年を取るということ。
先日、インフルエンザのワクチンをうちに来た方の予診票を見るなりびっくりしました。予診票の紙がブルーだったのです。今広島市の65歳以上の方は市の補助があって1600円で接種できます。その方たちの予診票は紙全体がブルーなのです。「ええっ!あなた、65才なの?」と。彼女は「そうよ先生、私もう65才よ。」と、ウフフ、と笑いながら答えます。うーん、私全然彼女の年を気にしないでこれまで付き合っていました。改めてうなりました。あなたとも長い付き合いだねえと。
彼女との出会いは私がまだ大学病院に勤務している時。彼女は17才の高校生でした。他科に入院していた彼女が産婦人科に紹介され、外来受診したのです。当時の助教授の問診、私も含めて複数の医師に取り巻かれて彼女は「気持ち悪い」と泣き出しました。それが出会いです。デリケートでかわいい少女でした。彼女も「あの頃、先生もロングヘアで綺麗だったよ。あ、だったと言ってはいけんか。」ですって。
その後私は大学病院から土谷病院へ。そして開業。ずっと彼女との付き合いは続いています。高校生から大学生に。大学も卒業して教師に。結婚、二回の出産、今も彼女は大学教授として頑張っています。彼女の娘さんも私の患者さんです。長い間仕事を続けていると、こうして患者さんの人生に丸ごと触れさせていただくことも多くなりました。うーん、そっかあ、あなたも65才かあ。ふと気づきました。計算してみると、私は来春で医者になって50年になります。患者さんの年齢でびっくりしているけれど、それだけ私も年取っているということだわ。長い間過ごしてきたなあ、もうそろそろ引退しなければねえと。
先日の性教育仲間との忘年会で、年を取るということ、若い人達に何をつないでいくかということの話も出ました。先日亡くなった方、社会はその方の功績をほめたたたえ、死を惜しむけれど。私から見ると、その方はもっと早く立場を若い人に譲るべきだったと。組織の安定した維持や今後を考えると、そうすべきだったのです。いくらそれを言ってもがんとして「死ぬまで現役」と寝たきりになっても、そう云い張られました。結局立場は現役のまま亡くなられました。
私はそんな組織に責任ある立場ではないけれど、少なくともクリニックをちゃんと閉めて、従業員にも退職金を払い、次の就職先を見つけて。患者さんたちにも閉院を告知し、次なる医師への紹介状を渡しておくくらいのことはしなければね。その時にはこれまでのカルテをご本人に渡すというのもいいかもね、などと考えています。それがいつになるかまだ不明ですが。
クリニックの青野さんのお花です。クリスマス仕様になりました。きれい。このお花のシリーズがまだ続きそうです。
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