永田浩三さんの「野党共闘勝利の方程式」③
講演の後、永田浩三さんに質問しました。「東京8区では、連合はどうだったのでしょうか。連合の新しい会長が盛んに共産と立憲が統一したから負けたと言っていますが、それはどうなのでしょうか。」と。
それについて、永田さんは、連合の話をしませんでしたね。と言われました。それは邪魔されましたと。でも、連合の関東バスと、日教組の先生方、がとてもよく働いて下さいましたと。日教祖の先生たちは、全共の先生たちとともに頑張ったのだそうです。産別、各組合によって、異なるということでしょうか。そして。立憲と共産が共闘したから負けたということは、全く、何のデータも根拠もありませんと。共闘したからこそ、ここまでで済んだ。もしこれが統一しなかったら、もっと大変な負け、むごいことになっていたでしょうと。私が考えているのと全く同じ答えでした。
私は、今回の全国的な立憲や野党の負は自公の戦略にやられたと思っています。あのまま菅さんで衆議院選挙をやっていたら、自民は大敗していたことでしょう。その選挙を見据えて、菅さんを降ろす。そして、総裁選挙をする、これは、連日メディア使って、自民党という一党のトップを選ぶだけなのに、まるで日本の総理を選ぶかのような、結果、自民党の大宣伝をしたこと。そして、不人気の安倍、菅さんから一転、二人に比べるとさわやかそうに見える、誠実かもしれない岸田さんに変わることによって、期待を持たせた・・。
広島でも、河井事件の後は、参議院再選挙で自民党がまさかの負けを食らっても、今回はまるで岸田さんが選ばれたことによって、もりかけさくらも忘れ去られたような雰囲気が出来てしまったと。そう思います。
それを、あたかも立憲と共産が組んだから負けたのだという言い方は、根拠がありません。
そして、さらに永田さんが言われました。「これは長い歴史があるのです。」と。だから私も言いました。「そうですね。中曽根・山岸さんのころからの組合潰し。」永田さん、「そう。国鉄・電電公社・・」国労潰し、全電通潰し・・。全電通の方々が、広島の平和運動、被爆者運動にも大きな働きされたことは私もよく知っています。
やはり私はこの質問を皆さんの前ですべきだったなあと、永田さんのお返事を聞いた後で、思いました。
永田さんはお話の最後に、こんな写真を出されました。加藤周一さん、知の巨人と言われた方。大江健三郎さんらと共に九条の会を作り、市民連合の先駆けを作った方。、永田さんの講演のその日が加藤さんの命日だったのだそうです。今はもう加藤さん知る人も少なくなったかもしれません・・。この写真を見て、先人たちの意思は引き継がれている、いえ、引き継いでいかなければとの思いを新たにしました。
実は、この会の前に主催者である広島2区市民連合の総会が開かれ、講演会の参加者にもその議案書を下さいました。この運動総括を読んで、とても丁寧に総括がしてあることに、感激しました。
その中の一部をここに転載させていただきます。東京8区との違いも明確です。何しろ東京8区は運動を積み重ねてきた実績があります。県内すべての市民連合がむしろこれからですね。地道な運動を重ねて、力を付けていかなければね、と思います。
「(前略)しかし、選挙戦になると速成の野党共闘の力不足が露呈した。候補一本化は中央主導であり、地方から積み上げたものではなかった。立憲、共産の選挙協力の具体的な話し合いは十分に行われたとは言い難いし、その協議の中に市民連合は加われていない。連合は共産党との選挙協力認めないままで、公示を迎えても、大井候補と共産党が共に闘う姿を有権者にアピールすることはできなかった。2区市民連合が10月22日に開いた街頭演説では、大井候補と候補を下りた共産党の藤本さんが瞬間的に遭遇する場面がつくられたが、それが精いっぱいであった。それまでの街宣では二人がいつも一緒にスピーチしていたのに、選挙本番になるとそれが出来なくなった。「野党共闘で政権交代」というスローガンを掲げても現実の選挙戦で共闘する姿が示せない様では有権者の支持を得ることは難しかった。」
永田浩三さんの講演のルポを終わります。永田さん、2区市民連合の皆様、貴重な会を開催して下さって、ありがとうございました。感謝いたします。
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