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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」2021のご報告・田井中雅人さんの平和講演

2021年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の平和講演は朝日新聞記者の田井中雅人さんでした。田井中さんについては、8月4日の私のブログ、ここにご紹介しています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2021/08/post-dccf27.html

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「核の時代を終わらせるために」というテーマで、それは素晴らしい講演をして戴きました。丁度12月29日、NHKBS1スペシャルにて、「原爆初動調査隠された真実」が放映されました。アメリカが原爆投下後広島と長崎に調査に入り、黒い雨被害を初め、被爆の影響をつかんでいながら、隠蔽していたことを、丁寧な資料・証拠発掘して報道しました。これは見ごたえがありました。やっぱりね、なのですが、それの証拠は大スクープですね。

 この報道は、この度の田井中さんの講演「「核禁条約の発効と『黒い雨』判決は、ヒバクの過小評価の歴史と論理を転換する」という内容と、ぴたりと一致しました。

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実は田井中さんの講演のテープ起こしを何度も読み、検討したのですが、どこも一つとして削除できない、誠に充実した濃厚なお話だったのです。そこで。申し訳ないことではありますが、田井中さんの講演のテープ起こしそのままここに再現します。私があれこれ手を入れるべきではないのです・・。長文になりますが、了解くださいませ。

 「黒い雨」訴訟など、なぜ国は被爆と被爆者の範囲に「線引き」をするのか。広島・長崎原爆投下後、米軍とマンハッタン計画の学者らによる合同調査委員会が広島、長崎に入り、放射線の被害、影響を調査、ABCC(原爆被害調査委員会)に引継いだ。生き残った被爆者に脱毛、紫斑、下痢、倦怠感、発熱などさまざまな急性症状が現れた。爆心に近いほど多く、2キロくらいから減少していく。ABCCは脱毛と紫斑の2症状だけを「被爆による急性症状」と定義づけた。3キロ、5キロ離れた多くの被爆者にも、下痢、出血、倦怠感などの症状が出ている。しかし、2症状がその後の基準づくりにされた。

これらの問題について中川保雄さん(神戸大・科学史研究者、故人)の研究がある。「放射線被曝、防護の基準は、核・原子力を開発する側がヒバクを強制される側に、やむを得ない、がまん受忍するものと思わせる科学的装いを凝らした社会的基準である」(要旨、注:『放射線被曝の歴史』中川保雄著/2011年増補版、旧版1991年)。アメリカ、米軍は原爆の被害、残留放射能の影響をできるだけ低く見積もりたかった。

ヒバクを強制する側の基準

戦後、国際放射線防護委員会(ICRP)が作られ、核開発や原水爆実験による放射線被曝を強制する側から、「平均的な人は耐えられる」「何キロ以内、何ミリシーベルト以下を基準」としてきた。

福島原発事故の後、年間1ミリシーベルトだった一般の人の基準がICRPの勧告を受け20ミリとされた。行政が数字を出し、専門家とされる人が論文に、また行政が取り入れる。それが目安とされ、「帰還政策」になっていく。

福島原発事故の際、放出された放射性物質は大気中、海中に拡散し太平洋全域、アメリカにも届いた。

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事故直後に、東北沖に展開した空母などから救援物資を運んだ米軍の「トモダチ作戦」では、多くの兵士がヒバクした。甲板作業の兵士はもちろん、多くの乗組員が強い外部、内部被曝を受け、何カ月もたって体調を崩した。少なくとも9人が亡くなっているが、ほとんど報道されない。米軍は14年に報告書を出し、「黒い雨」と同じ論法で「相当する線量ではない」と線引き、切り捨てている。

「栄光の歴史」 ハンフォード

福島ではアメリカのハンフォードをモデルにした「浜通り復興計画」が持ち上がっている。米西海岸のハンフォードには、長崎に投下した原爆のプルトニウムを作った原子炉があった。80年代まで使われ、長崎原爆7千発分のプルトニウムを量産した。いまは博物館になっている。

周辺は緑ゆたか、ブドウ畑が広がりワインも作られる。研究機関、原子力産業、廃炉ビジネスが集結し、観光客が集まる。一見、すごくきれいな町起こし。博物館のガイドが、きのこ雲をあしらったポロシャツを着ていたり、レストランにはアトミックエールというビール、高校のスポーツチームがボマーズ(爆撃隊)とか。

「ここで作った原爆を長崎に投下し、戦争が終わってよかったね」。科学者も人々にも、栄光の歴史になっている。しかし、「黒い雨」「トモダチ作戦」のように、線引きの外に多くのヒバクシャがいる。

プルトニウム生産による高濃度廃棄物もまったく処理できていない。タンクに入れ地中に埋めているが、漏れ出している。川、農地も汚染された。先住民族の人たちは野草やコロンビア川のサーモン、川魚を食べて生活してきた。戦後生まれ、お父さんが技術者だった女性は、子どものころコロンビア川で遊び泳いだ。10代後半から甲状腺ガンや流産を経験する。30年余り「病気だらけの人生」と、裁判に訴えてきた。

裁判所は、「あなたたちは、広島・長崎の被爆者が受けた線量よりもはるかに少ない。因果関係は認められない」と退ける。政府や核産業は、「自然界にも放射能はある」「ガンは多発していない」という対抗研究を行ない、「あなたのガンはタバコのせいでは。家系由来かも」など自己責任論を持ち出してくる。

禁止条約不参加は保有への担保

「核は毒じゃない。大げさなものではないよ」という歴史と状況に対抗できる内容を、核兵器禁止条約は持つ。「ヒバクシャと核被害者の受け入れ難い苦痛を心に留める」と前文に書いた。「核は悪、毒、非合法、非人道」と規定した。軍縮の枠を越えた人道、人権条約である。

核兵器禁止条約は「核の語られ方」との、たたかい。第1条に、核兵器の開発、実験、製造、保有、配備などを禁止した。使用の威嚇、支援、奨励は、アメリカの核の傘に依拠し、開発を放棄していない日本に関係する条項でもある。条約は、それらを禁じている。第6条、被害者支援と環境改善は、広島・長崎・福島の被害者の救済、汚染された太平洋の環境改善という、まさに日本の役割となる。一方、化学兵器、毒ガスなどのように検証が、まだ規定されていない。日本は、今後開かれる締約国会議にオブザーバーでも参加するべき。

アメリカの核被害者も、禁止条約の成立に熱心に活動した。ハンフォードもそうだが、じつはアメリカは「ヒバク大国」。マンハッタン計画の核施設は全米に広がり、1950年代はネバダ砂漠で核実験が繰り返された。アメリカ政府は、「核実験は危なくないよ。きのこ雲を見よう」とプロパガンダを展開した。

多くの「風下のヒバクシャ」がいる。ユタ州セントジョージに住む女性は、お母さんのお腹にいたときにヒバク。西部劇のロケ地も汚染され、多くの映画関係者がガンで亡くなっている。「高齢化により被爆者、被曝者がいなくなっていく」と言われるが、なくならない。「風下の町」では子どもや孫、3世、4世に甲状腺ガンや流産が多発する。足もとのヒバクシャは、「自分たちよりも、次の世代に影響が大きい」と国際会議で証言している。

日本は、何をしてきたか。17年、核兵器禁止条約の交渉会議をボイコットした。その前の、交渉会議に向けた会議でも、アメリカに言われるままに反対に投票した。

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「核の論理」に終止符を打つ

アメリカ、ABCCが、「爆心から2キロ以内の急性症状以外は被害を認めない」とするのは、なぜか。原爆・核兵器が、「無差別、残虐な兵器を禁止する」ハーグ陸戦条約違反とされては困る。「内部被曝とか、遺伝的影響はない」、単に「熱線や爆風で死ぬ」としないと戦争犯罪になってしまう。「2キロ以内にいた人にしか起きない被害」という基準、論理にしたかった。

核兵器禁止条約は、それを崩してしまう条約である。

日本は、「必要最小限であれば、(保有は)必ずしも憲法の禁止するところでない」(16年、閣議決定)としている。

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原発は、原爆の材料を作る装置。プルトニウムを保有し、ミサイルに転用するロケット技術もある。表向きは、もちろん平和目的。しかし、条約に参加すると核兵器を作れなくなる。「潜在能力は保持しておきたい」。

アメリカのヒバクシャ、ハンフォード、トモダチ作戦も、黒い雨と同じように「広島・長崎ほど被爆していない」と切り捨てられ、「毒、悪い」と言わせないようにされてきた。「黒い雨」判決に、菅首相は「受け入れ難い部分もある」とコメントした。「科学的、合理的知見がない。個人差がある」とか、同じ理屈である。

この論理、基準の押しつけが、「放射線ヒバクの歴史」だった。しかし、核兵器禁止条約、「黒い雨」判決の確定は、科学的とされてきたことが、じつはヒバクの過少評価、押しつける側の論理だと明らかにした。「核の語られ方」を変える、転換点になる。

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以上で今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご報告を終わります。これまでの皆様のご支持、ご協力に深く感謝申し上げます。私たちは、すでに、来年の平和の夕べについて動き出しています。これからも、これまでに負けない会の提供をいたします。そして、この世界からの核廃絶、戦争のない社会作るために少しでも貢献できれば幸いです。どうぞ、今後ともよろしくお願いします。

なお、今回、ご報告が大変遅くなりましたこと、心からお詫び申し上げます。


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遅ればせながら「8.6ヒロシマ平和の夕べ」2021のご報告を

今年の終わりに、2021年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご報告をします。遅ればせながらですみません。

 コロナ禍がまだ続いている中、川沿いのRCC文化センターの七階、風通しの良いところで川風に吹かれながら行いました。入場される方は満席の半分の人数に制限し、同時にオンラインによる全国配信もと、ハイブリット方式で行い、両方で毎年の参加数を上回る参加でした。もちろん、会場ではすべての方にマスクをしていただき、検温も行って。

2021年、被爆76年目、1月に核兵器禁止条約が発効。7月、「黒い雨訴訟」の勝訴が確定し、被爆者にやっとやっと手帳が交付されることになりました。そんな中、被爆の継承、核廃絶をどう進めるか、問いながらの開催となりました。本会としては14回目。これまでの被爆証言者・小野瑛子さん、平和講演の中沢啓治さん、小林圭二さん、那須正幹さんも亡くなりました。


全体のプログラムは、「黒い雨」訴訟の高東征二さん、「10年目の福島から」は、いわき市の伊東達也さん。平和講演は「核兵器禁止条約の発効と核廃絶」について田井中雅人さん。世代を越えて被爆の実相をどうつなぐか、若い世代から高橋悠太さんら3人が参加、KNOW NUKES TOKYOの活動や国会議員に面談し核禁条約への意見、日本政府の参加について質問し、まとめていることを紹介されました。


高東さんは、「7月29日に判決が確定。8月3日に、私もやっと被爆者健康手帳を受けました。」と、交付されたばかりの手帳をかざして下さいました。ほんとうに長いあいだ、判決待たず亡くなった原告たち、さまざまの事情で裁判に参加できなかった被爆者もいます。もう、1日も待てません。国はすべての黒い雨被爆者に、一刻も早く手帳を出してほしい。内部被ばくの危険に、真剣に向き合うべきです。」と話されました。この内部被曝という問題、単に黒い雨の被爆者だけでなく福島の、そして世界の被曝者にも通ずる問題です。田井中さんのお話もこれに繋がることでした。

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しかし今ここに来て国は、黒い雨の被爆者の方々の被爆者認定をするためには、がんや白内障などの疾病に罹っていなければならないという条件を付けてきています。高裁判決は、疾病のあるなしの条件を付けてはいません。76年も経って、いまだに被爆者と認められない方々のこと、本当にいいかげんにしてほしいと思います。広島出身の総理になってもこれまでとおんなじ!!なのです。


 福島からは、伊東達也さん。ビデオで参加して下さいました。伊東さんたち「非核の火をともす会」は、今年の3.11に、楢葉町に広島、長崎で採火したの原爆の火、「非核の灯」をともしました。「福島原発被害から10年目。避難指示区域の12市町村を見ると、住民登録の半数が戻れていません。小中学校の通学者数は事故前の1割弱。営農再開は30%余。福島の難事は続いています。そもそも“廃炉”が30年、40年で終わるなど、あり得ません。」非核の火をともしたことに触れ、「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマが『核と共存できない』ことを示している」と結ばれました。

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今年は3人の大学生たち、KNOW NUKES TOKYO のメンバーが来て活動の報告をして下さいました。若者たちは、「それぞれ広島、長崎出身です。」「東京で核兵器の問題を考え訴えています。東京にも多くの被爆者がお住まいです。」「核兵器禁止条約に日本が加わるために、どうすればいいのか考え議論しました。政治へのアプローチは重要ということで、アンケートを取っています。その結果。

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国会議員一人ひとりに、あなたはどう考えますかと聞くために面会求めました。その目的です。

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その為の手順は。
1.情報収集
2.仲間を集める
3.手紙書く
4.面会の交渉・調整
5.面会実現
このような段取りを経ての質問の内容です。

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どなたに会ったら、どう言われたという報告がありましたよ。面会して下さらなかったのはどなたかという具体名も。

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聞いていてとても楽しく、私達にもためになる報告でした。

「ノー・ニュークスのKNOWは、反対のノーと知るノーです」と、核廃絶と被爆の継承への新しいとりくみを説明されました。若い人達の具体的な行動、報告は参加者の皆さんに大好評でした。

やはり来年の平和の夕べにも何らかの形で若い人の参加を求めたいと思います。

そして、いよいよ平和講演。田井中さんの「核の時代を終わらせるために」。

明日その講演の報告をしますね。


 


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今年の診療を無事終えました。

 今年の診療は今日で終えました。昨年に続き、コロナ禍でしんどい一年でした。なにより経営。ウィルス除去のすべての空調のやり替えや、レントゲン室から発熱外来への部屋のリフォーム超音波診断装置の故障、買い替えなどに加えて、やはり患者さんの減もあって、つらい思いをしました。年末近くなって、患者さんはもうすっかり元に戻りましたし、収入減は休みの日にワクチンの集団接種に行ったり、当院でもワクチン接種したりなどで、少しずつ戻し、何とか展望が見えてきました。12月のボーナスと給料を出して、通帳の残りを見て、ほっと一息つきました。来年には何とか元に戻したいと思っています。

 診療最後の今日のお疲れ様のお弁当は、いつもは熊野のみどり屋さんのを甥が運んできてくれていたのですが、みどり屋さんの定休日は水曜日で、それにぶつかってしまいました。いろいろと考えたけれど、そごうの加賀谷さんにお願いに行って、お弁当を作って戴きました。二段のお弁当。

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加賀の郷土料理の治部煮、ブリの照り焼き、海老湯葉、昆布も、どれも上品でとてもいいお味で。おいしく楽しく戴きました。これで今年もおしまいです。と思っていたら、いまから急患です。おなかがひどく痛いという患者さん、ほっとけない様子なので、すぐに来なさいと言いました。場合によっては救急車で搬送かな?休みの日でも、なかなかすべて忘れて休むわけにはいきません。仕事をやめない限り。

年末になりましたが、来年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の平和講演と被爆証言をして下さる方が決まりました。骨格が出来たので、もう少しで全体像が出来上がります。これにもホッとしています。

 今日から今年の終わりまで、今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の総括を書こうと思っていましたが、急患の状況によってはとても無理かもしれません。年を越すかもしれません。これをしないと、宿題をやっていないような後ろめたさが付きまといます。どんな会であったかだけしか私は報告をしていないのです。司会をしながらだったので、すべてのお話をちゃんと聞けたわけではなかったので、ずっと、録音を聴き直していました。アッという間に年末になってしまいました。

 「核兵器禁止条約」が発効され、黒い雨の裁判の判決が確定したという今年、平和の夕べの〆めをちゃんとして今年を締めくくりたいと思います。明日と明後日です。すみません。

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お祝いの会と忘年会

特別養子縁組の書類がひと段落して、と言ってもまだ広島市に提出するべき書類は残っています。松江から住民票が届いたら、それを加えて提出です。新たに作るのはないので。昨日は「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の講演の依頼の長い手紙を書きました。熱意をもってお願いすれば、何とか受けていただけるかしら。

 今日は朝から夜までかかって、年賀状を作りました。プリントで大失敗もしたけれど、何とか終わり投函しましたよ~。計300枚。着々と片付けて、仕事を残さないで、歳を越したいです。

養子のことで格闘していて、書く時間がなかったことを少し。一週間前の日曜日の夜。本当に久しぶりに姉の一家とお祝いの会をしました。姉の身内の若い人二組が結婚。でも、式もしなかったし、お祝いの会もできなかったので今のうちに身内だけでお祝いを。それに姉の退職のご苦労様の会もしていませんでしたので一緒に。

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福岡の兄から自作のお皿と鉢のプレゼント。光っていてよく見えませんが、薄いブルーのとてもきれいな作品です。

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久々に気のおけない人たちと楽しくお話できて、うれしかったです。

その翌日月曜日は、今年最後の韓国語の教室の日。二年ぶりに忘年件食事会をしました。韓国料理の新しいお店「ピョンチャンプルコギ」で。韓国のようにお肉も焼いて切ってくれるし、とってもとっても美味でした。

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サムギョプサルのコース、お肉も焼きキムチも、せいろのまま出て来る餃子もすべて美味。

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〆のごはんのチーズキムチポックンパ。たっぷりのチーズをバーナーで。うーん、トロリとして絶品でした。

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梅酒のソーダで酔っぱらっちゃった~と言っているワタクシです。

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講座もこれからしばらく冬休みです。長距離運転しながら韓国語会話のCDを聞いて、力を落とさないようにしようと思います。

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広島市の区役所の結末です。

広島市中区の出生届の続きです。フェイスブックだけでなく、個別にもいろいろと感想、アドバイスを戴きました。ありがとうございました。一応、けりがつきましたので、ご報告を。戸籍がまだできていないと言われて帰った日、ふと気づきました。私は実母の委任状を一通しかもらっていません。それを出しても戸籍が出来ていなかったので帰ったのですが、その委任状を返してもらっていません。改めて戸籍が出来た時に取りに行くのに、委任状がないと出してもらえないかも。しまったなあと。で、翌日8時半になるのを待って、電話をしました。委任状を返してもらわなかったので、返して下さいと。そしたら、その前日対応された方が電話を変わって、それは預かっていますと。廃棄されていなくって良かったとホッとしました。心配して下さった方も書かれていましたが、窓口の人は、よくわかっていない人もいるし性格的にもいろいろだから、そんな時には上司、責任ある人に変わってもらったほうがいいと。はい、私が窓口の方に話したのは三人。13日と15日と17日です。うち、15日と17日は、責任ある立場の方が対応されました。というか窓口の人が良くわからなかったのでしょう。SOSで代わられたのです。その二日とも同じ方です。電話もはじめに対応された方からその方に変わられました。だから、電話で委任状を預かっていると言われたのも、同じ人です。

そして、その時にさらに尋ねました。

昨日、松江市役所から出生届について問い合わせがあったはずですと。その時に「まだ出生届が出ていないと答えられたそうですね。それは間違いですね。私は、提出しています。それを提出されていないなどと言っては、養親さんは不安に思うではないですか。」そしたら、「それは間違いですね。保留にしているというべきでした。」と言われました。「そう答えたはずですが、少しニュアンスが異なること言ったかもしれません。」だそうです。本当にそうなのですか?と聞くと、私は松江から電話がかかって来て、そう答えたと聞きましたと。だから「では、電話がかかって来たことご存じなのですね。」と言いました。「はい、ですから電話がかかって来てすぐに昨日松江市役所に住民票の関係の書類を速達で送りました」と言われました。ええっ、もう送られたのですか。いつですか。「電話をもらってすぐです」と。「何と、催促があったからすぐに送ったのですか。それまで、届けがあってすぐにどうして送って下さらないのですか」というと、「いろいろと不手際が重なってすみませんでした。」と初めて謝られました。だから私はすぐに養親さんに、昨日送ったそうですからと連絡を入れました。

そして、午前9時。職場について診療を開始しようとしたら、電話です。「戸籍がご用意できました。」と。本当に、何と、です。その前日まだ(旧)戸籍が届かないからできないと言われてたのが、翌日、朝9時にはもうできたと。訳が分かりません。お昼時間に取りに行き、(区役所に行くのはこれで4回目です)出来上がった新戸籍を受け取りました。そして、夕方には無事、書類一式を養親さんに送ることができました。そしてびっくり。私が新戸籍を受け取って帰ると、養父さんから連絡がありました。松江市役所から、住民票ができたからと連絡があったと。広島市が木曜日の松江市役所からの電話の後すぐに速達で送ったのが、金曜日に松江市役所に届いて、速攻で住民票を作って下さったのだそうです。受け取った住民票の写真がラインで送ってきました。私からの書類一式が届くのが翌日の土曜日ですから、結局は、裁判所の特別養子縁組申し立てや市役所での国民健康保険や乳児医療などの諸手続きをされるのは、週明け27日になりますね。御用納めの28日の前日、年内ギリギリで何とかできそうです。松江の方たちが急ぎいろいろと手続きをして下されば、のことですが。養親さんによると、市役所の方はとても丁寧に対応して下さっているそうです。

改めて、今回のことは一体何が問題だったのかと考えました。13日に赤ちゃんが生まれて、15日に出生届を出しに行って、赤ちゃんの戸籍ができたのが、結局24日です。こんなに時間がかかったのはほんとうに初めてです。早い所では、翌日に戸籍ができましたと連絡をくださいますし、住民票が入る所の役場に市役所から、そちらの住民の〇〇さんの住民票に同居人として赤ちゃんが入りますので、よろしくお願いしますと、電話してくださるとこもありました。やはり「特別養子縁組」という制度が知られていないこと。様々な手続きを受け付ける窓口が、ルーチーンではない、ちょっと変わったことへの拒否感があること。それについて、謙虚に尋ねてくだされば、いくらでも丁寧に事情をお話しますのにあっちの窓口、こっちの窓口でも、いきなり尋ねることはせず、「ここに書いて下さい」とこれもまた紋切り型に対応されること。その結果ひどく時間がかかってしまって、それにより様々な都合が悪くなる人への配慮がなされないこと。すなわち、「思いやりのなさ」に尽きると思います。

それにしても。私のクリニックで「市長の許可証は必要ない。その代わりに私の両親の名前を書けといわれたわ」というと、スタッフはびっくり。「ずいぶん前に亡くなった両親の方が今の市長の証明より信用できるんですねえ」と。そしたら、一人のナースが、「そういえば私、つい最近、銀行で、私が小学生の時に死んだ父の職業を書かされましたよ」と言ったので、まあそうなのと、あらためてみんなで爆笑しました。

昨日は、クリスマスイブ。プレゼントを送った孫からテレビ電話があり話しました。送った洋服や本を喜んでくれて、ささくれ立った心が和みました。そごうで買って帰ったごちそうを姉の家で四人で食べました。マリオのパエリアとローストビーフのお弁当とチキンの照り焼き、夫にコーンスープとケーキを頼んでいたのでそれらも。姉がとても喜んだので、良かったです。

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広島市の区役所が不愉快。

本日は、朝からドック入り。血液検査だけでなく、胃カメラやマンモグラフィーやつらいこともいろいろとして、やれやれです。昨年より体重が2キロ落ちていましたよ。コレステロールも中性脂肪もうんと低くなっていました・・へへ。

 終わって少しまだボートする頭で、朝抜きだったので、たまるでフルーツトーストを食べました。うん、美味。

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その後、特別養子縁組の書類の最後の仕上げをしようと。書類は、家庭裁判所、広島市、島根県知事(児童相談所)あてなどにそれぞれ作ります。さらに当方と養親さんの保管用も。膨大なのを作り上げて、養親さんに宛てて送付して終わろうと。本当は私も一緒に裁判所に行けるといいのですが(結構裁判所でゴタゴタするので)雪が降るおそれがある中、平日に行くとしたら今日しかないのですが、ドックだし。28日でお役所は御用収めだし。だからすべての書類をきちっと作って提出するだけにして、送ろうと。

ところが。もう今日は怒りに任せてここに愚痴を書きます。赤ちゃんの出生届の提出による新しい戸籍を取りにいったのです。新戸籍は中区に作ります。私、このことで区役所に行くのは三回目です。そもそもは、赤ちゃんが生まれたのが13日。一週間前の水曜日15日に出生届を出しに行ったのです。実母さんと一緒に行けるといいのですが、まだ入院中で、コロナの関係で、入院患者さんの外出はダメと病院で言われたので、私が代わりに区役所に行きました。その前日、区役所に確認の電話しました。本人はこうこうで外出できないので行かれません。変わりに私が行きますが、委任状がいりますか?と。そしたら、丁寧に教えて下さいました。委任状はいりません。実母が自署して下さい。そしたら、他の方が来られても、実母の届となりますと。だから、病院に出生届を持って行って実母さんに署名してもらいました。それを持って行ったら、区役所で私は何ものなのかと。私、特別養子縁組の広島市長の許可証や名刺、それに私の保険証など出したのですが、ずいぶん待たされた後、この用紙に書けと。それがこれです。

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だから書きました。名前も住所も生年月日も電話番号も。でも、よく見るとこの紙には、(出生届・死亡届は除く)と書いてあるではありませんか。しかも、下の欄外には、「必ず氏名と住所氏名と生年月日を記入して下さい」とあるのに、全部、その上電話番号まで書かされました。さらに、出生届を出すのに実母の戸籍謄本を出せと。戸籍は県外です。取り寄せていましたが、それは家庭裁判所に提出用です。出生届を提出するのにどこにも戸籍がいるなんて書いてないのだから、そのための取り寄せはしていませんでした。そうとわかっていたら、二通取り寄せていましたよ。結局その原本を渡しましたが。

 それに、赤ちゃんの住民票を登録する所は、養親の住民票の所なのですが、(同居人として入ります。)その人と、実母はどういう関係なのか親戚か何かなのかと。私が提出した自分の名刺と広島市の松井市長からの特別養子縁組許可証など、それは関係ないからと返されていました。

だから養親のところですと。そもそも特別養子縁組のことを知らないのでしょう。さらに確認するのに、まだ時間がかかりますということで、もうお昼休みの時間がなくなるので全部回収して帰りました。

 そして、17日金曜日。あらためて時間がかかるかもしれないので、しっかり時間を取って行きました。実母の戸籍ですが、戸籍謄本を出せとはどこにも書いてないので、コピーにさせて下さいと。実母の戸籍のコピーを出しました。そしたら、「それでもいい」と言われたのですよ。そこに私は原本ももっていたので、その場で原本と間違いないか確認したらいいのに。これが、今日の問題に繋がります。

私の本人確認一覧表に書かされたのは、出生届は除くとなっているのにどうしてですか?と言いました。そもそも出生届を出しに来る人は、おじいちゃんかおばあちゃんがほとんどなのでと言われます。それはそうでしょうが、このような事情がある人もある、その少数の人はいつもこんな不快な目に合うのですか。少数の人にも丁寧に対応するのが行政ではないのですか。私はやましい所は何もないので、書けと言われれば書いてもそれは構いませんよ。でも、これからもこんなことはあるでしょうが、その度にこんなことになるのですか。私はこれまで何回もこの中区役所に出生届を提出に来ていますよ。いつもスムーズなのに、こんなこと初めてです。とも言いました。特別養子縁組についても勉強して下さいとも言いました。

結局すったもんだしながらも、受け付けてもらいました。戸籍が出来るのに、一週間かかりますと。ええっ?そんなにかかるのですか。急ぐのですが。そしたら、できるだけ早く作ります。出来たら、連絡しますと言って下さったのです。

 だから待ちました。今日で一週間。結局連絡はして下さいませんでした。で、今日のドックの後、フルーツトーストを食べた後、区役所まで行きました。あらかじめ実母さんに書いてもらった委任状を持って。そして、私の本人確認です。委任状と共に、保険証と、市長の養子縁組あっせん許可証、名刺などをだしたのですが、まず、委任状の日付が書いてないと。全て本人に書いてもらわないといけないのですと。でも、それは出生届がいつできるのかが分からないので、日付は書けませんでした。そもそも出来たら連絡すると言われていたのに、連絡がなかったから、一週間たった今日取りに来たのです。そして、私が提出した市長の許可証や名刺はこれまたダメですと。これは証明になりませんと。市長の証明は何の役にも立ちません。用途には、特別養子縁組の申し立てのためにと書いているのですが。私を確認するのに、私はどこの人か、と。中区です。そしたら、私の両親の名前を書いて下さいと。ええっ?私の両親ですか。もう死んでますが。それでもいいですと。だから書きましたよ。両親の名前を。おそらく私の戸籍を確認したのでしょうね。多分マイナンバー証を出せばよかったのでしょうが。私は持たないので。

その挙句です。戸籍はまだ出来ていないのです。だそうです。ええっ?一週間でできると言われましたよね。今日で一週間ですが。私が出した実母の戸籍謄本がコピーだったので、本籍地に戸籍の取り寄せをしていると。それがまだ届かないと。隣の県ですが、一週間たってもまだ届かないのだそうです。それが届けば、戸籍はすぐに作りますと。ああ、三回行っても、ダメでした。何ともまあ。変わったことをする人への嫌がらでしょうか。自転車で帰りながら、涙が出て来ました。情けなくって。丁度その時、養親さんから電話がかかってきました。まだ住民票が出来ていないと。今日、広島市中区役所にそこの市役所が問い合わせると、まだ出生届が出されていないと答えたそうですよ。出生届は出していますよ。出ていないのではなくそちらの手続きがもたもたしているだけでしょうに。養親さんはとても不安になっています。ちゃんとしているから。もう少し待ってと言ったのですが。申し訳ないことです。

 これで、年内の住民票への記載は絶望的ですね。それが出来ないと、家庭裁判所に申し立てができないし、養母の育児休暇の手続きは養子縁組の申し立てをした時からになります。だから一刻も早く手続きをしたいし、それに住民票が出来ないと赤ちゃんの健康保険が出来ません。健康保険は、養子縁組が認められるまで、赤ちゃん単独で国民健康保険に入るのですが。保険証が出来ないと、年末年始の赤ちゃんの健康が本当に心配です。これまで、どこの役場でも三日もあれば住民票に記載されていましたのに。丁寧な所では、とても親切に対応して下さってこちらが感激することもありますのに。

 以前北陸のある県に赤ちゃんが養子として行ったときに、そこの役場がかたくなに住民票には入れない、結果、国民保険にも入れないとがんばったことがありました。何ともまあ、役場というのは、前例のないことには、かたくなになるものだと本当にあきれたものです。ところが、私の足下で、広島市の中区役所でこんなことが起こって。私は寸暇を縫って、こんなに一生懸命しているのに、人の苦労を知ってか知らずか。ほんとうに情けないことです。

ながながと愚痴ってすみませんでした。くそっ!!


 


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岡山市立御南中学校2年生への講演。barrier-freeの制服。

先週の木曜日、あのホテルで火事騒ぎがあった日、岡山御南中学校の二年生にお話しました。二年生計260人余りと保護者の方、先生方が体育館に一杯です。全校生と800人余りの大規模校。その前にお話した全校生徒21人というのと、真反対です。

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ここでは、司会も号令も挨拶も、私の紹介も、すべて二年生の保健委員が行いました。それどころか、私がビデオの準備などを済ませて一旦外に出て、トイレでコンタクトを入れて会場に戻ろうとしたら、ちょっとここで待ってくださいと。入口でうん?と待っていたら、中で「講師の先生の入場です」との声。そして、男子生徒さんの先導で、拍手の中を後から前まで歩みました。なんか恥ずかしくって。

生徒さんが並んでいるのを見ると、混合名簿です。それに、男子生徒と同じ制服を着ている女子生徒もちらほら。聞くと制服は完全にbarrier-freeにしていて、女子生徒も男子生徒もパンツでもスカートでもよいようになっているそうです。体操服も男女差なしに。でも、なかなかスカートの男子生徒が出て来ないと言われていました。

話し終えるとやはり保健委員の男子生徒さんが私へのお礼を述べてくれました。メモ見ながらとてもいい挨拶で。私は握手して「そのメモ、下さい」と言ってもらいました。これは表ですが、裏にもギッシリ。表を見たり裏を見たりしながら、述べてくれました。

講演を聴きながらお礼の言葉のメモしてくれているのがよく分かります。

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「今日はお忙しい中貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。ふだんなかなか相談したり聞くことのできない性や体のことを率直に分かりやすく教えていただき、性や体に対する考えが大きく変わりました。ほかにも人間関係の築き方という話を聞いて、性を知らないことの恐ろしさ知りました。今日聞けたお話は私たちにとって大きな財産になるに違いありません。教わったことを生かし、今後の人生をよりよいものにしていきたいです。そして、自分の人生を輝かせたいと思います。今日は本当にありがとうございました。」

又拍手の中男子生徒さんに先導されて、校長室まで帰りました。その廊下には、この二枚の額がかけてありました。

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男女差のない体操服が廊下に展示してありました。

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いい学校だったなあと、とても気持ちよく帰ることができました。帰りは雨。高速が渋滞で、かなり時間がかかりましたが、ラジオでずっと国会中継を聞きながら帰りました。この頃国会中継はなかなか時間がなくって聞けません。いい機会でした。

 岡山御南中学の先生方、保護者の皆様、そして生徒さんたち、本当にお世話になりました。ありがとうごさいました。

 

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泊まっているホテルで火事騒ぎ。

ここは岡山のホテルです。さきほど、すさまじい音がして。ラッパみたいなでかい音。飛び起きると、続いて「火事です。火事です。一階で火災が発生しました。落ち着いて避難してください。」と、何度も。さあどうしよう。ささっとパソコンなどをバッグに詰めて。廊下に出ると部屋から飛び出した人達。どこから逃げる?と、非難階段がありました。そこからだ。と、階段に出る非常口を開けようとすると、あれ?開きません。鍵がかかっています。なんか、開け方が書いてあるけれど・・そのとおりにしても開きません。どうしましょう。私達は5階です。うろうろしている内にエレベーターが開きました。上の階からの人達が乗っています。火事の時にエレベーターはダメとは聞いていたけれど。早くに逃げた方がいいから。乗りましょうか、と。みんなで乗って、一階についたらそこで、

「先ほどの火災警報は間違いです。お部屋にお戻りください。」ですって。なあんだと、又部屋に戻りました。しかし。びっくりしたなあ。仕事後の夜のドライブで、疲れて疲れて。前夜がほとんど寝られなくって、かなり寝不足の上の疲れで、もう寝よっと、布団に入って眠り始めた所だったのですね。こんな起きこされ方をしたら、もう眠れません。まいりました。

明日は、岡山市内の中学校で講演です。体育館だそうで寒そうです。カイロを持ってきました。タイツを買いたかったけれど、その時間がありませんでした・・。

今日、市役所に特別養子縁組予定の赤ちゃんの出生届を出しに行ったら、全然その制度を知らない係の人で、さんざん待たされた挙句結局提出できなくって帰りました。腹立つやら情けないやら。実母は広島市の住人ですが、本籍は他県です。その他県の戸籍謄本をもって来ないと、出生届による新しい戸籍が作れないと。ええっ出生届出すのに戸籍謄本がいるなんて初めて言われましたよ。

又赤ちゃんの住民票を置く所のこの方たちはなんの繋がりがあるのでしょうかとか。「だから、特別養子縁組の養親となる人で、赤ちゃんをここに連れて帰るのです。」まあ何度も広島市には提出してるのに今更こんなことをいう人がいるなんて、ほんとうにびっくりです。おかげでお昼ご飯も食べられなくって、午後の診療もはじまりが遅くなって患者さん待たせてしまいました・・。


又改めて金曜日に行きますが・・。さてさて。それにしてもつくづく思います。私達民間のあっせん事業者は散々研修を受けて、また一月に二日間にわたって研修受けなければならないですね。私は厚労省の人に言いたい。私達よりも行政の人達への研修をしてくれと。もっとこんな制度を知ってもらう努力をしてくれと。初めての役所に行く度に、あまりの理解のなさに愕然とするのです。

まあ、あれもこれも情けなく腹立つことばかりです。昼のことを思うと、ますます眠れなくなりそうです。

クリニックの青野さんの花先日のお花のリニューアルです。黄色が加わってますます華やかになりました。見に来て下さいませ。

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年を取るということ。

先日、インフルエンザのワクチンをうちに来た方の予診票を見るなりびっくりしました。予診票の紙がブルーだったのです。今広島市の65歳以上の方は市の補助があって1600円で接種できます。その方たちの予診票は紙全体がブルーなのです。「ええっ!あなた、65才なの?」と。彼女は「そうよ先生、私もう65才よ。」と、ウフフ、と笑いながら答えます。うーん、私全然彼女の年を気にしないでこれまで付き合っていました。改めてうなりました。あなたとも長い付き合いだねえと。


彼女との出会いは私がまだ大学病院に勤務している時。彼女は17才の高校生でした。他科に入院していた彼女が産婦人科に紹介され、外来受診したのです。当時の助教授の問診、私も含めて複数の医師に取り巻かれて彼女は「気持ち悪い」と泣き出しました。それが出会いです。デリケートでかわいい少女でした。彼女も「あの頃、先生もロングヘアで綺麗だったよ。あ、だったと言ってはいけんか。」ですって。

その後私は大学病院から土谷病院へ。そして開業。ずっと彼女との付き合いは続いています。高校生から大学生に。大学も卒業して教師に。結婚、二回の出産、今も彼女は大学教授として頑張っています。彼女の娘さんも私の患者さんです。長い間仕事を続けていると、こうして患者さんの人生に丸ごと触れさせていただくことも多くなりました。

うーん、そっかあ、あなたも65才かあ。ふと気づきました。計算してみると、私は来春で医者になって50年になります。患者さんの年齢でびっくりしているけれど、それだけ私も年取っているということだわ。長い間過ごしてきたなあ、もうそろそろ引退しなければねえと。

先日の性教育仲間との忘年会で、年を取るということ、若い人達に何をつないでいくかということの話も出ました。先日亡くなった方、社会はその方の功績をほめたたたえ、死を惜しむけれど。私から見ると、その方はもっと早く立場を若い人に譲るべきだったと。組織の安定した維持や今後を考えると、そうすべきだったのです。いくらそれを言ってもがんとして「死ぬまで現役」と寝たきりになっても、そう云い張られました。結局立場は現役のまま亡くなられました。

 私はそんな組織に責任ある立場ではないけれど、少なくともクリニックをちゃんと閉めて、従業員にも退職金を払い、次の就職先を見つけて。患者さんたちにも閉院を告知し、次なる医師への紹介状を渡しておくくらいのことはしなければね。その時にはこれまでのカルテをご本人に渡すというのもいいかもね、などと考えています。それがいつになるかまだ不明ですが。

クリニックの青野さんのお花です。クリスマス仕様になりました。きれい。このお花のシリーズがまだ続きそうです。

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はせべのお雑煮とベランダの植栽

昨日の日曜日、その前夜に友人の穂垣さんから連絡をいただいて、187号線地域活性化プロジェクトというイベントに行きました。

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本通りから三井ガーデンホテルに至る187号線に面するお店が様々な催しをすると。中でも、以前、コロナで夜の営業が出来なくなって、朝、お雑煮を提供するということで駆け付けた小料理屋さんの「はせべ」。そこがまたお雑煮を出すということで、それは行かなくっちゃ!と。

根菜雑煮です。ふるまい酒をおちょこに一杯戴いて。外に置かれた机と椅子でお雑煮を戴きました。

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こんがり焼いたお餅、大根、蕪、ニンジン、ネギなどとお味噌仕立てのお出しが何ともいいお味で。本当においしいお雑煮でした。

そのああとはクリニックに行って、気になっていたベランダの植栽の手当です。もう、ハイビスカスの冬の準備をしなければ。それに、チューリップも植えなければ。成長してもう鉢が小さくなった沢山の草花などの植え替えも。

途中から夫も来てくれて。買っておいた簡易の温室を組み立ててくれました。

ハイビスカスや根や球根だけになったアジサイやスズラン、アマリリスなどを入れて、こんな風に一杯になりました。この中で無事冬を過ごして、また春から活躍してくれればいいのですが。入り切らないのは、もっと寒くなったら室内に入れるか、何かかぶせるか何とかしようと思います。

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ふるさと納税の返礼品で戴いたチューリップの球根。球根100個ということだったのに植えようとしたら、何と5色150個もありました。

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うーん、大きなプランター5個しか買ってないので、どうしようと悩みましたが、思い切って、30個ずつ植えてみました。大きいプランターなのでそれなりに隙間開けて植えることができました表面に乾燥をふせぐためにミズゴケをおいて完成です。さあ、どうなるでしょう。

真っ暗になるまで頑張って何とか終えることができました。春になったら、患者さんたちに喜んでいただけることを目指して、丁寧に育てたいと思います。

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忘年会、フルーツサラダ他。

昨日は、性教協広島サークルのメンバーとの忘年会でした。長い間飲み会はできなかったので、本当に久しぶりです。気の合った皆さんと長い時間楽しくお話しました。胸の中にたまっていること、権威ある人とされている人への疑問など、一杯話をして、すっきりしました。

 私にとっては、単なる忘年会ではなく、秘かにお祝いのお酒でもありました。

 広島市特別養子縁組あっせん事業の更新の許可が届きました。沢山の書類を提出しての審査が通ったと。今回の許可期間は5年間です。いま、ほんとうに丁度一人の赤ちゃんが生まれようとしています。この子は山陰のご夫婦の所に行く予定です。昨日も新しく赤ちゃん求めるご夫婦が来られました。これから5年、私がまだクリニックを続けていればの話ですが、どんな赤ちゃんと実母と養親の方たちとの出会いがあるか、楽しみでもあります。

それから、あっせん事業の第三者評価の結果がやっと届きました。約半年かけての様々な準備、評価機関の面接調査、それからさらに半年かけての結果です。もうじき何らかの形で公にいたします。ホッとしました。

これから年末にかけて沢山のすべきことがあります。昨日の忘年会で仲間の皆さんに励まされたばかりです。頑張らなければなければ。日曜日ですが、今からクリニックに出勤します。

ここの所、講演を聴いたことなどの固い話ばかりアップしていましたので、ちょっと一休みです。最近のランチのちょっと変わった物を。

ゲートイン。ここは日変わりのランチが定評ですが。これはフルーツサンドです。イチゴがくなってしばらくフルーツサンドもメニューから消えていたのですが、ぶどうで復活です。きれいでおいしいサンドです。ここの紅茶は、砂時計と共に供されます。

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もう一つ。すぐそばのケンタッキーフライドチキンのポットパイのセット。

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私の写真は下手でおいしそうに見えないので、パイだけお店の動画からスクショを。パイもシチューもそれはそれは美味でした。

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広島市から届いた特別様縁組あっせん事業の更新の許可証をアップしますね。

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永田浩三さんの「野党共闘勝利の方程式」③

講演の後、永田浩三さんに質問しました。「東京8区では、連合はどうだったのでしょうか。連合の新しい会長が盛んに共産と立憲が統一したから負けたと言っていますが、それはどうなのでしょうか。」と。

それについて、永田さんは、連合の話をしませんでしたね。と言われました。それは邪魔されましたと。でも、連合の関東バスと、日教組の先生方、がとてもよく働いて下さいましたと。日教祖の先生たちは、全共の先生たちとともに頑張ったのだそうです。産別、各組合によって、異なるということでしょうか。そして。立憲と共産が共闘したから負けたということは、全く、何のデータも根拠もありませんと。共闘したからこそ、ここまでで済んだ。もしこれが統一しなかったら、もっと大変な負け、むごいことになっていたでしょうと。私が考えているのと全く同じ答えでした。

 私は、今回の全国的な立憲や野党の負は自公の戦略にやられたと思っています。あのまま菅さんで衆議院選挙をやっていたら、自民は大敗していたことでしょう。その選挙を見据えて、菅さんを降ろす。そして、総裁選挙をする、これは、連日メディア使って、自民党という一党のトップを選ぶだけなのに、まるで日本の総理を選ぶかのような、結果、自民党の大宣伝をしたこと。そして、不人気の安倍、菅さんから一転、二人に比べるとさわやかそうに見える、誠実かもしれない岸田さんに変わることによって、期待を持たせた・・。

広島でも、河井事件の後は、参議院再選挙で自民党がまさかの負けを食らっても、今回はまるで岸田さんが選ばれたことによって、もりかけさくらも忘れ去られたような雰囲気が出来てしまったと。そう思います。

それを、あたかも立憲と共産が組んだから負けたのだという言い方は、根拠がありません。

そして、さらに永田さんが言われました。「これは長い歴史があるのです。」と。だから私も言いました。「そうですね。中曽根・山岸さんのころからの組合潰し。」永田さん、「そう。国鉄・電電公社・・」国労潰し、全電通潰し・・。全電通の方々が、広島の平和運動、被爆者運動にも大きな働きされたことは私もよく知っています。

やはり私はこの質問を皆さんの前ですべきだったなあと、永田さんのお返事を聞いた後で、思いました。

永田さんはお話の最後に、こんな写真を出されました。加藤周一さん、知の巨人と言われた方。大江健三郎さんらと共に九条の会を作り、市民連合の先駆けを作った方。、永田さんの講演のその日が加藤さんの命日だったのだそうです。今はもう加藤さん知る人も少なくなったかもしれません・・。この写真を見て、先人たちの意思は引き継がれている、いえ、引き継いでいかなければとの思いを新たにしました。

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実は、この会の前に主催者である広島2区市民連合の総会が開かれ、講演会の参加者にもその議案書を下さいました。この運動総括を読んで、とても丁寧に総括がしてあることに、感激しました。

その中の一部をここに転載させていただきます。東京8区との違いも明確です。何しろ東京8区は運動を積み重ねてきた実績があります。県内すべての市民連合がむしろこれからですね。地道な運動を重ねて、力を付けていかなければね、と思います。

「(前略)しかし、選挙戦になると速成の野党共闘の力不足が露呈した。候補一本化は中央主導であり、地方から積み上げたものではなかった。立憲、共産の選挙協力の具体的な話し合いは十分に行われたとは言い難いし、その協議の中に市民連合は加われていない。連合は共産党との選挙協力認めないままで、公示を迎えても、大井候補と共産党が共に闘う姿を有権者にアピールすることはできなかった。2区市民連合が10月22日に開いた街頭演説では、大井候補と候補を下りた共産党の藤本さんが瞬間的に遭遇する場面がつくられたが、それが精いっぱいであった。それまでの街宣では二人がいつも一緒にスピーチしていたのに、選挙本番になるとそれが出来なくなった。「野党共闘で政権交代」というスローガンを掲げても現実の選挙戦で共闘する姿が示せない様では有権者の支持を得ることは難しかった。」

永田浩三さんの講演のルポを終わります。永田さん、2区市民連合の皆様、貴重な会を開催して下さって、ありがとうございました。感謝いたします。

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永田浩三さんの「野党共闘勝利の方程式」②

永田浩三さんの講演の続きです。杉並では、6年前からネットワークの活動が本格始動しています。そのベースにあったのは、2005年の杉並区教育委員会が「新しい歴史教科書をを作る会」の教科書を採択した、その反対運動があります。この採択については、私も広島から心を痛めておりました。私の息子が杉並に住むと決めた時、もし子どもが生まれたら新しい歴史教科書で学ぶようになるのだろうかと、秘かに心配したものです。その反対運動を初めとして、永田さんのレジュメにあるのは、「足腰の弱い立憲、地元に根付いた共産、緑の党、生活者ネットワーク、鍵となった社民党支持の人達」、たまり場に高円寺のカフェとして。


しかし、社民支持層と共産支持層が一緒に頑張る土台ができても一本化は難しかったと。

かつての都知事選挙にてのトラウマがあると。細川護熙候補の時、宇都宮健児候補降りろの大合唱で、でも降りなかったと。鳥越俊太郎候補の時にも宇都宮さん降りろの大合唱で、結局降りたのだけれどその時はつらくて皆さん号泣だったと。


そして今回。ついに一本化できないままに、9月26日、「政治をかえる8区の会」集会。

ところが、思わぬ展開です。れいわの山本太郎さんが8区から立候補すると発表したのですね。それは、山本さんの一人フライングではなく、どうも立憲は2年も前から山本さんに立候補の打診をしていたみたいだと。それが大騒ぎになって住民からここがすごい所だと思うのですが。「吉田晴美だと思ってた」という横断幕を貼っての集会が開かれたのだそうです。その三日後に、山本さんは8区から立候補はしないと表明したのだと。すると、共産の候補が私も立候補を断念すべきだと、自ら本部に申し出たと。そうして、奇跡のように一本化が出来たのだと。

選挙戦です。

立憲、共産、社民、みどり、生活者ネットが一緒に街宣をしたと。司会は立憲がしない。市民が仕切る。がなり立てない、小さなマイクで丁寧に語ると。れいわの山本さんも二回来て応援したと。


石原伸晃氏の選挙戦は、これまでは石原軍団が大挙して来て、はでに応援ををしていたと。その石原軍団が解散し、今年は来ない。石原氏の演説は本当に冴えないものだったと。私もテレビで何度か見ました。公示第一声で最前列の女性が「なんにもやってないじゃないか」と批判したため演説中断。そして、女性がいなくなってあらためて、「今回の選挙は今いた女性をみても分かるように、共産と立憲が野合して、相容れないものは排除、邪魔をする」と言ったと。その後ひたすら「助けて下さい。」というばかりだったと。岸田氏も行ったみたいですね。


結局は、吉田さんの大勝で、石原氏は比例でも復活できなく、議席を失ったと。

何がポイントだったのか永田さんの分析です。これが素晴らしいので。


6年に及ぶ信頼関係の構築。若い人達に前面に立ってもらう。経験不足をみんなで補う。候補者の孤独を支える。パワハラは絶対にしない。楽しい作業を一緒に行う。おじさんが偉そうにしない。思いもかけない風が吹く。そのチャンスを最大限生かす。ただただ地味な日常のつみかさね。」


最後に、今の日本の世界と比べての分析と、若者の状態も語られました。


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若いころから「政治」に無関心ではいられなかった自身から見て、とても不思議なのですが。でも、今の権力者が目指している教育、その成果が着々と進んでいるのではないかと思います。

永田さんのお話は痛快でした。暗いことが多い今、希望がもてそうな気もしました。先日聞いた山本太郎さんの話でもそうでした。もう私は年ですが、まだまだ絶望しないで見守りたいと思います。

永田さんの話の後、どうしても質問したいと構えていたのですが、質疑応答はなしということで、がっかり。強引に挙手して発言すればよかったと後悔しました。それで、後で永田さんのところに行って質問したのです。

「8区では、連合はどうだったのでしょうか。連合の新しい会長が、共産党との共闘が立憲の負けを招いたと盛んにいっていますが、それは根拠があることなのでしょうか」と。明日書きますね。

今日の木曜、休診日、私は午前中は電話当番、午後銀行に行き、従業員のボーナスを手配しました。何とかボーナスを支給することが出来て、ほっとしましたが、まだ今年は厳しくて。これから、諸支払いと12月の給料も手当しなければなりません。通帳を見てため息です。

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永田浩三さんの「野党共闘勝利の方程式」①

少し遅くなりましたが、5日日曜日のご報告を。弁護士会館で武蔵大学教授永田浩三さんの講演「野党共闘勝利の方程式」を聴きに行きました。主催は「子どもたちに未来を拓く広島2区市民連合集会」。永田さんは、元NHKプロデューサーであり、「政治をかえる8区の会呼びかけ人共同代表」のお一人です。8.6ヒロシマ平和の夕べで平和講演をしていただいたこもあります。

東京8区。連続10回当選のあの石原伸晃氏を破って、立憲民主党の吉田晴美さんが当選した所。そこでどんな闘いが繰り広げられ、午後8時、投票箱が締め切られたとたんに吉田さんに当選確実が出るという圧倒的な強さで勝利したのか、それを語って戴きました。

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そもそも杉並という地は、区議会の勢力図など見ても、実は保守的な所と永田さんは言われました。それでも、私たちにとっては、1954年のビキニ環礁における米国の水爆実験で第五福竜丸などが被爆、久保山愛吉さんが亡くなり、マグロから放射能が検出された、その後、いち早く杉並のお母さんたちを中心に「水爆禁止署名運動」が立ち上がったこと。それが今に至る核兵器禁止の運動に繋がって行った所、すなわち住民運動が根付いている所という印象があります。

具体的な運動についてとても楽しく、うなるような数々の実践を語って頂いたのですが、その前に安倍・菅政権の9年を振り返られました。

 もう知られているように、アベノマスク、森友・加計問題、桜を見る会。今年の8月6日の広島での菅首相の挨拶読み飛ばし、9日には長崎で読み飛ばさなかったことがニュースになったこと。桜については、NHK大阪で作成された、Eテレでの「バリバラ桜を見る会」について話されました。これは、私も見ましたが力作でした。「バリアフリーと多様性の宴」として様々な社会を動かし始めた、当事者の方たちがゲストでした。性暴力被害者として声上げた伊藤詩織さん、「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例成立」に尽力した在日コリアン3世の崔江以子さん(先日の広島での条例制定を求めるネットワーク結成集会に来て下さったのは、私、名前が聞き取れなかったと書いていますがこの崔さんでした)、強制された不妊手術で子どもを産めない体にされたことで国の責任を訴えている小林喜美子・寶二さん夫妻など。この番組については、官邸が再放送を中止させたと。しかし、人々の中にはそれを録画し、ユーチューブで流す人もいるので、見てみて下さいということでした。

私は、ニコニコ動画で再度見ました。やはりとても優れた番組でした。その静止画ですが。

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ぜひ皆さん見て下さい。「バリバラ、桜を見る会」で検索できます。

又、永田さんはこんなのが開かれるとポスター見せて下さって爆笑でした。風が強い日でしたが、無事に開かれたのでしょうか。

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このほかメディアへの介入についても、クローズアップ現代や、様々なニュースキャスターの交代、かんぽ生命保険不正販売の番組などへの、数々の圧力などを具体的にお話下さいました。本当にこの9年間でとんでもない国にもっていかれているということを痛感しました。

そして、そのような背景での東京8区のお話です。永田さんたち中心にした市民連合として、選挙選に入るまで様々な取り組みをされたこと。市民連合としての原則というか、項目です。いいですねえ。憲法、原発、格差、ジェンダー、モリ・カケ・桜学術会議など全てが盛り込まれています。この原則の元で様々な実践がされました。


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秘密保護法、憲法勉強会、丸木位里、俊「原爆の図・署名と焼津」を見に行く、辺野古に吉田晴美さん連れて行く。教育問題の寺脇研さん、前川喜平さんを吉田さんに繋ぐ、貧困問題の宇都宮健児弁護士とつなぐ・・などなど。


この調子で行くと長くなりそうですが、どうぞお付き合いくださいませ。

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広島日韓親善協会「忘年・会員の夕べ」

昨日は、永田浩三さんの講演を聴きに行きました。「子どもたちに未来を拓く広島2区市民連合」主催です。素晴らしいお話でしたが、少しご報告に時間が必要です。明日からのご報告にして、今日は、今日の夜に行われた広島日韓親善協会の「忘年・会員の夕べ」についてご報告しますね。

コロナのために日韓親善協会の会は冬も夏も開かれず今回二年ぶりの開催になりました。今年は会が開かれることになって、うれしくてうれしくて待ち遠しくって。でも、感染対策が厳重で、今年は李先生たちボランティアの韓国料理はなし。それにいつも沢山来る留学生の皆さんの姿がなく少し寂しい会でした。私は、6時過ぎまで診療で、いつもより早く6時開始のことで、走って行ったのですが、やはり遅刻。もう日韓の会長や総領事や県知事のお話がすんでいて、市長がお話している所でした。総領事さんのお話が聴きたかったのに、残念。それからすぐに乾杯、お食事です。

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しばらくすると、RCC制作の「平和への旅路  世界の記憶 朝鮮通信使」の番組が流されました。江戸時代に何度も派遣された朝鮮通信使、日韓の友好の歴史的事例として注目を集め、近年あちらこちらの自治体で再現行列や関連展示が行われています。

この度、12月14日に駐広島大韓民国総領事館主催で、「朝鮮通信使、その原型と再現」という会が開かれます。ぜひ行きたいのですが、平日の昼間、これはどうにも参加不可です。残念。

流された番組から。

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どこも大歓迎で、大ごちそうでおもてなしをしたと。これは蒲刈のおもてなし。

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そして、朴裕恵さんの舞踊。相変わらず、ものすごく美しくて素敵な踊りでした。

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そして、恒例のお楽しみ、大抽選会。いつもと様子が違って、淡々と粛々と進められて。抽選は舞台の上もでなく、当たった人が取りに行くのでなくスタッフが走って座席まで景品を届けます。盛り上がりもなく。私が当たるでもなく・・。静かに会は終わりました。

物足りなくても、でも、このコロナの状況の中で、会が開かれたこと、そのことそのものが何よりでした。関係者の皆様ありがとうございました。来年もぜひ・・会が開かれます様に。

 

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「ヘイトスピーチをなくすために」

昨日は、診療後この集会に参加しました。三時まで診療でしたので、少し遅刻ですが、師岡弁護士の講演パワポの原稿など丁寧な資料を配布して戴きましたので、よく分かりました。

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師岡さんは、外国人人権法連絡会事務局長などで活躍されていますが、東京弁護士会の「人種差別撤廃モデル条例案」作成に尽力されたし、川崎市の「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」制定にも尽力されました。その川崎市は、条例の中に罰則も設けられています。

 昨日は、師岡さんと共に、川崎市での条例制定に尽力された方(名前がよく聞き取れませんでしたごめんなさい)も会場に来られて話されました。この方のお話は胸を打ちました。条例を制定したということは、「差別を禁止し、差別は犯罪となる」ということを明言したこと。「差別されてきたあなたたちを放っておかないよ、行政があなたたちを守るよ」ということだと。いろいろな立場を超えて、「差別をゆるさない」という、この一点で全会一致で制定されたと。差別は回数や規模で評価されない。差別があるかないかだけなのだと。

そして、朝鮮の好きなことわざも教えて下さいました。「始まりは半分だ」と。始めたということは、「半分達成した」ということ。この会が結成されたということは、半分達成したので、広島市ももう半分頑張れば条例制定できると。がんばって下さいと。

チラシの裏にあった、なぜ広島に「反差別」条例が必要かという文章をアップします。これと似た文が広島市に「広島市差別のない人権尊重のまちづくり条例」制定を求めるアピールとして採択されました。

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師岡さんの講演に続いて、広島での差別の現状をいろいろな立場の方が語って下さいました。広島朝鮮学校の校長は生徒に対するチョゴリの制服を切るなどの命にかかわるほどの差別について、障がい者の立場からは広島市の障害者差別について、外国人支援なさっている大学の先生からは、外国人技能実習生の現状と課題について、共生フォーラムひろしまの方からは、「NHKタイムライン」差別事件について、同じく共生フォーラムひろしまの方からは「ネット上の部落差別」について等々。広島にも沢山の差別が横行しています。

昨日結成された「広島市差別のない人権尊重のまちづくり条例」制定を求めるネットワークは、昨日の時点で30団体、それに20数名の個人の方が参加していると。私たち、「性教協広島サークル」もこれに団体として加盟しています。ささやかながら、この条例制定に尽力したいと思います。

今日の午後からは、これに参加します。8.6ヒロシマ平和の夕べでも講演して頂いた、永田浩三さんの久々の講演を聞きに行きます。

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あの、石原伸晃氏を破った東京8区の野党統一候補勝利の報告です。きっと学ぶことは多いと思います。

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さえんことと、ちょっと贅沢でうれしいことと。

情けない結果が届きました。このように。

河野 美代子 様 

いつもカープにあたたかいご声援をいただき、誠にありがとうございます。

この度は、「2022年度シニアカープファンクラブ」にご応募いただきまして、誠にありがとうございます。

この度、たくさんいただきましたご応募のなかから厳正なる抽選を行い、誠に残念ながらお客様のご希望に添えない結果となりました。


毎年毎年、申し込んでいるのに、毎年毎年外れです。情けない。カープには実はコネがあるのです。以前は、チケットの購入など時にお願いすることがあったのですが、ファンクラブは抽選だから、それに特別にお願いすることはできないというか、してはいけないと思うので、ガチに正面から申し込んでいます。フーン、しょうがないね。昨年までは、レディースとシニアとどちらも申し込んでいて、二つ申し込むからダメなのかと思って、今年はシニアだけにしたのにそれでもダメでした・・。

しょんぼりです。

もう一つ。昨日メールが来て、今日、広島市からクリニックの現地調査に行くと。特別養子縁組についてです。ひえーっ。あまりに急ですよ。診療があるので、何の準備も出来はしない。週末は診療が込み合うし、来週の週はじめにしてもらえないかというと、それはダメだと。今日の内だと。仕方ありません。そのまま見てもらうしかありません。エイッと覚悟決めてそのままを見てもらいました。ま、日ごろの仕事は、まあやっているつもりなので。本当にそのままです。何とかやり過ごしました。

それに今日、厚労省から特別養子縁組についてまた、二日間、研修をするのだそうです。診療を休んで講習を受けなければなりません。これは義務です。やれやれ。横からついてくるものが多すぎます・・。

冴えないことが続くけれど、ちょっとだけいいこと、というか、贅沢をして喜んでいます。

これ、なあんだ。ポール&ジョーのクリスマスカレンダーですよ~。11月の売り出し日に向けて、予約の初日に予約に行って売り出し日の初日に買って、12月になるのを待ちました。やっと12月になって。

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1日から25日まで毎日ひとつずつ開けて行きます。一つずつ何かが中に入っていて、今日は三日目で、こんなのみっつ。ポーチと化粧下とリップクリーム。

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全部でこんなになるのだと、これはホームページから。

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ねこの顔のリップなど、かわいいのです。一個ずつ開けるのが楽しみで。娘とママにもおんなじのを送りました。孫にはチョコのカレンダー。初日のを開けている動画をママから送ってきました。

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ちょっと贅沢だけど、こんな楽しみでもなければやっとられない!!というものです。

 

 

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作木中学で話をしました。

今日は三次市の作木中学に講演に行きました。作木は、三次のずっと奥というか、北と西が島根県に接しています。以前は作木のカヌー公園のコテージで8.6ヒロシマ平和の夕べの合宿をよくしていました。その公園の横を通って中学校へ。

中学校は、全校生徒21人。1年生9人2年生3人3年生9人。その皆さんに話をしました。それに、保護者の方たちも、たくさん来てくださいました。平日なのにありがたいことです。生徒の皆さんよく聞いてくれました。「一年生、まだよくわからない言葉が出てくるかもしれません。でも、これから大きくなるにつれて、あっそうか、このことだったのか、とわかる時がきっと来るからね、その時のためにも聞いておいてね」と言っておいて話しました。

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玄関に貼ってある学校案内です。少人数で生き生き。みんなでする神楽やカヌー大会など楽しそうです。

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ただ、体育館は寒くて。ストーブを炊いてくださっていたのですが、途中からシンシンと冷えてきて、口が回りにくくくなって。ごめんなさい私、口が回らなくなって。ここで話をさせて下さい。と言ってストーブの前に行って話しました「皆さんも寒いでしょう。ごめんね、もうすぐ終わるからね。」と言って。

中学生は、まだピンと来ないかもしれません。でも、高校生になったらぐっと身近なものになるはずです。どうぞ、楽しく過ごせる大人になります様に・・。

そうそう、今日も生徒の皆さんに三次市の「デートDV」のパンフレットが配られました。早くからこのことを知るのは、とてもいいことと思います。人間関係を作ることの基本ですから。

今年の三次市の講演も終わりです。今年は、中学校二校、高校一校で話させていただきました。ありがとうございます。



行きは高田インターから山道を通りましたが、帰りは布野から54号線を通って帰りました。気になっていた布野の道の駅に寄って見ました。

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様子が変わっていて。平日でもあるし、どなたも客はいなくて、寂しいことでした。

今日はこれからお客さんに会いに行ってきます。


 


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ドリミネーション

もう、終わったつもりでいたけれど。山本太郎さんの話、書き忘れが。手を挙げて当ててもらった一番の人、「死にたい、死のうと思ってた時に、太郎さんの、死ぬな、死なないで。生きて一緒に変えようよと言っているのを聞いて、死ぬのをやめようと思いました。」と。太郎さんは、「こんな社会だもの。つらい人、もう生きたくないと思う人もいるよね。この中に、これまで死にたいと思ったことのない人いますか?手を上げてみて」と。半数より少し少ない人が手を上げました。「でもね、生きて。生きて一緒にこの世の中を変えましょうよ。」それは、力強く呼びかけましたよ。そんな強い言葉が、死のうとしていた人を止めることもあると。実感しました。

 左足の鼠径部痛がひどくて、歩くのがとてもむずかしかったのが、何とか治って来たので、久々に夫とウォーキングです。行く先は、これも久しぶりのドリミネーション。端から端まで往復すると結構な距離になりました。車が大渋滞だけど、やはり車からでなく歩いて観た方が・・。毎年おんなじでマンネリかな?とも思うけど、なんかうれしくて。

写真です。

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明日は県北、作木の中学生に話しに行きます。雨から一気に寒くなって明日は氷点下だと。うーん、スタットレスにしていない。ゆっくり走りましょう。その後は、広島市民劇場の観劇に行きます。そしてもっと夜遅くは、楽しみな人と会います・・。又ご報告しますね。


 


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