韓国人原爆犠牲者慰霊祭
今日は、午前中「第52回韓国人原爆犠牲者慰霊祭」に出席しました。
在日本大韓民国民団広島県本部の主催のこの慰霊祭はいつも8月5日に行われます。今年は、5日が木曜日の休診日なので、参加することができました。コロナの時代になって、昨年も今年も日韓親善協会の忘年の夕べも夏の会も開かれなくて、長い間会えなかった方たちに本当に久しぶりにお会いできました。
頂いたプログラムに書かれている「韓国人原爆犠牲者慰霊碑由来」を転載します。
第二次世界大戦末期1945年8月6日午前8時15分米軍機によって、広島上空に投下された一発の原子爆弾は広島市民20数万の尊い生命を奪いました。
死没者の中には当時、現役軍人、軍属、徴用工訓練隊、学徒動員、一般在住の韓国人2万数千名が含まれていたと推察されています。
これら韓国人犠牲者の霊魂を慰める為に1969年大韓民国居留民団広島県本部(当時)が主管となって慰霊碑建設委員会設け、碑の建立に着手いたしました。建設委員会のご尽力と勧告人財界人有志、一般民団員その他多方面にわたり多くの方々のご援助に依りまして、1970年4月10日、堺町1丁目(本川橋西詰)にて慰霊碑の除幕を行い、同年8月5日第1回目の慰霊祭を挙行致しました。また、1999年7月21日には移設委員会が中心となり内外より多数の方々の協力を得、平和公園内のこの地に移設されました。慰霊祭は1回目以降毎年行い、今年第52回目の慰霊祭が挙行されることになりました。
死没者名簿には今年新たに13名を追加し、総数2,786名が奉納されております。
尚、此の碑石は、すべて母国大韓民国の産出石であり、同胞の手によって作成されたものです。
2021年8月5日
慰霊祭では初めに2786名の死没者名簿が慰霊碑に納められました。
今年の会は、やはりコロナのために簡素化するということで、いつも楽しみにしている民団の女性たちの鎮魂歌はなく、在日本大韓民国民団広島県地方本部団長、李英俊さん、在日本大韓民国民団中央本部団長、呂健二さん、駐広島大韓民国総領事館総領事、林始興さんの三人の方の追悼辞弔電披露と献花で終わりました。
民団の李英俊さんは、
「我々は、過去の不幸に歴史が繰り返されず、世界人類が平和に共存できるよう協力し、英霊の恨晴らすように努力いたします。
そして、同胞社会を守っていく次世代に非核化問題を再確認して、戦争はあってはならないという認識を植え付けていかなければなりません。(中略)そのために、民団広島県本部では被爆者の皆様にお願いして定期的な核兵器のない世界恒久平和の実現のために証言活動を続けていらっしゃいます。
我々は、この先輩方の志を同じくして、誓いを新たにし犠牲者の皆様に約束いたします。広島地域の安全と「平和な世界」「核のない世界」の実現に努力いたします。」
などと述べられました。
また、総領事の林始興さんは、次のように述べられました。
「(略)過去の植民地原爆の経験を通じて、私たち皆は差別と戦争のない世の中を念願することになりました。
しかしまさに今この時間にも北朝鮮の核問題が韓半島と北東アジアの平和を脅かしており急変する世界の情勢は、悲惨な戦争の痛恨の記憶を刺激しています。
数十万の命を奪い数百万の命を苦しませた核武器の脅威に立ち向かい、完全な非核化と恒久平和を定着させるため、私たち皆は覚悟を改めなければならない時になりました。
その大きな目標に向けて、今、各々にできる実践を地道に積み重ねて行かなければなりません。
原爆犠牲者の記憶を次の世代に継承し、国境と民族を越える市民交流を促進して北東アジア地域の国家が相互信頼を築いてゆくための知恵を出し合うことが、私たちが追及しなければならない方向であります。(後略)」
この後参加者みんなが献花して終わりました。
関係者の皆様、ありがとうございました。来年はコロナも収まって、民団のお母様方の歌声も聞けます様に。
その後、午後からは私はクリニックにこもって、レセプトや明日の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の司会のための資料作りをしたり、夜はその打ち合わせをしたりしました。いよいよ明日です。皆様、リアルで、またはZOOMでお会いしましょう。きっと重くとも意義のある会になることと思います。
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