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「黒い雨訴訟」高東征二さん。

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」での今年の被爆証言は黒い雨訴訟原告団のお一人、高東征二さんにお話し頂きます。

 「黒い雨訴訟」。被爆直後真黒い雨に打たれたにも関わらず、国による被爆者の線引きで、被爆者と認められない方たち。その方たちの命をかけた訴えで、地裁では全員を被爆者と認めるという判決が出ました。実際この訴訟に原告となって16人以上の方たちが昨年の勝訴の判決を見ないままに亡くなりました。

昨年の勝訴について、2020年7月29日の共同通信の記事を転載させていただきます。

「最高の判決だ」。裁判所前に歓声と拍手が響き渡った。「黒い雨」訴訟で29日、広島地裁が原告全員の請求を認めると、放射線の影響による健康被害を訴え続けてきた原告団は喜びに沸いた。

判決後の集会では「やってきたことが認められてうれしい」「歴史的に意味がある」との声が上がった。被告の広島県と広島市、訴訟に参加した国に控訴を断念するよう求める意見も相次いだ。

最初の提訴から約5年。他界した原告もいる。原告の1人で、訴訟を支援する会の事務局長も務める高東征二さん(79)は「事実を事実として認めてくれたが、(国の厳格な援護の基準が)不服のまま死んだ人もたくさんいる。国は何を考えているのか本当に分からない」と話した。

つえで体を支えていた広島市佐伯区の沖昌子さん(79)は「胸が詰まって、涙がわっと出た」と判決に感無量の表情。少女時代から体が弱く、入退院を繰り返してきたが、被爆者健康手帳はもらえなかった。「薬が手放せず、裁判の間も体はどんどん悪くなった。判決がこのまま確定すれば助かる」

生後数カ月の時に黒い雨を浴びたと訴えてきた原告団最年少の清水利則さん(75)は「主張が認められたのは当たり前だと思うが、うれしい。川一本で被爆者と認定されるかどうかが分かれてきた今までの線引きがおかしかった」と話した。〔共同〕

写真も共同通信のものです。ここに転載することをお許しください。皆さんの喜びの表情はどんな文章で語るよりも、長い闘いが報われた、その喜びに満ちた表情なのです。

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しかし、この喜びに沸いたのもつかの間。この訴訟は広島県と広島市により控訴されてしまいます。まだ、私たちに闘えというのか。待っている間にみんな死んでしまう。と原告の方々は悲痛な声を上げました。

この7月の14日、控訴審の判決が出ます。その記事をこれも共同通信から戴きます。裁判が結審した今年2月17日の記事です。

広島への原爆投下直後に降った「黒い雨」を浴びたのに、国の援護を受けられないのは違法だとして、住民84人(死亡者含む)が広島県と広島市に被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟の控訴審第2回口頭弁論が17日、広島高裁(西井和徒裁判長)で開かれ、結審した。判決は7月14日。

昨年7月の一審広島地裁判決は、国が援護対象とする区域の外にも黒い雨が降った可能性を指摘し、原告全員を被爆者と認め、県と市に手帳交付を命じた。

この日の弁論で原告の高東征二さん(80)が意見陳述し「一刻も早くわれわれを救う方向で結論を出してくださるようお願いします」と訴えた。

結審後の記者会見で原告団長の高野正明さん(82)は「速やかに審理を進めてくれた。勝訴判決が出ることを期待している」と語った。原告側代理人の竹森雅泰弁護士は「判決の7月まで長いが、高裁は国側が上告することを見越し、最高裁でもひっくり返らない判決を書こうとしているのだろう」と自信を示した。

県と市、訴訟に参加する厚生労働省は昨年8月「最新の科学的知見や過去の裁判の確定判決に反する」などとして控訴。控訴理由書で「文献立証や専門家の意見書を順次提出していく」などと争う姿勢を示していた。

厚労省は、援護区域拡大を求める地元の意向を受け、黒い雨の降雨域や人体への影響を再検証する有識者検討会を設置。今月18日に第2回会合が開かれる。〔共同〕


8月6日という、被爆者にとって大切な日に私達の会に来てお話下さることに深く感謝いたします。その時には、もう控訴審の判決が出ています。判決は、きっと勝訴すると確信を持って見守りたいと思います。

皆様「8.6ヒロシマ平和の夕べ」での高東さんのお話をたのしみにしてくださいませ。

 

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