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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」福島から伊東さん。

今日は三次に講演に行く日。スマホの警告音で目が覚め、ものすごい雷雨で怖い思いをしながら、雨と高速道路の情報を見ていましたが。結局三次にも警報が出て、学校は休校になったと連絡がありました。残念ですが、延期ということで。急に休みが出来て、では溜まっている仕事を片付けましょうとクリニックに行きました。が、気が緩んでしまって、十分に働けませんでした。駄目ですねえ。

さて、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」での福島からの伊東さん。ここ数年、福島からは避難している方たちに話して頂いてきましたが、今年は福島で頑張っている人の話を聴きたいとお願しました。伊東ささんが、今年の1月に芦屋で講演されたのを、平和の夕べのスタッフの一人、竹田がテープ起こしをして、ご本人にもお渡ししたと。その原稿から一部をご紹介します。

私は、事故以前からいわき市に住んでおり、浜通りにある医療生協の理事長をしていた。当日は大混乱で道路が渋滞、動きがとれなかった。翌朝、ふだん車で30分ほどの病院にやっとたどりついた。専務、職員が、会ったとたん「理事長!戦場です!」と大声。宮城、岩手の津波被害は前日から知っていたが、福島の状況はよくわからなかった。「蘇生治療をしたが駄目だった」と、彼らは徹夜状態のまま廊下で仮眠をとっていた。屋上の給水タンクが使えない。水、飲料水を何とかしなければ、給食がとまる。やっと3時ころ、近くの作業所でつくったオニギリを配る。そういう状態だった。そのときに、第1原発が水素爆発した。

 とうとう、やっちゃった!

ドアを蹴破るように飛び込んできた早川さんという、ずっと原発の危険性を訴え住民訴訟もやってきた人が「伊東さん!とうとうやっちゃった!」と叫んだのを、はっきり憶えている。私たちは「事故が起きれば大変なことになる」と学者のみなさんの話を聞き、チェルノブイリにもスリーマイルにも行き、知っていた。しかし、早くから原発立地に反対してきた者は「地域の発展をじゃまする人たち」と言われてきた。いま思うと、福島事故はどうもチェルノブイリともスリーマイルとも違うよな。この10年、こんなに福島県民を苦しめている。

チェルノブイリでは「元の村に帰りたい」という声は、ほとんど聞かなかった。30キロ範囲は完全に放棄し「除染」もしない。その代わりに政府が責任をもち、新しい町をつくった。日本は移住政策をとらない。とれないのかもしれない。数10万人を移住させる土地もない。つまり日本は、「事故は起きない」ということが大前提だった。議会で質問すると「万一の際は、どこに集合しバスを何10台用意する」とか、絵に描いたようにすらすらと答弁する。その結果が、この10年だ。

 被災地の中心、阿武隈高地は非常に古い山地。その東海岸に原発をつくった。そこでお互いに繋がりながら暮らしてきた人々は、本当に暮らしの根幹を失わされてしまった。

伊東さんたちは今年3月11日、福島に非核の灯の記念碑を作られ、点火されました。その写真をネットから戴きました。伊藤さん左から二番目です。

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お話を聴くのがとても楽しみです。

 

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