国際間特別養子縁組について・続
外国人の学校にお勤めのご夫婦の所に生まれたばかりの赤ちゃんのお世話した時には、ご夫妻が半分ずつ産休、育休を取りそれが済んだら、今度はご夫妻で半分ずつの教師になりました。午前中に彼が出勤すると、午後には彼女が出勤。次の日にはその反対。そうして二人で仕事と育児をされました。この時には、ご夫妻は、住んでいる団地の皆さんにお家に来てもらって、手作りのハンバーガーでパーティーをされました。そこに私も行って、このおうちに赤ちゃんが来るに至った事情をお話し、皆さんにお願いしました。そうして、地域の皆さんが笑顔で受け入れられたのです。
別の、やはりそれぞれ別の大学で英語の教官をしていらっしゃるご夫妻。この方たちは、養子縁組をしたいと児童相談所に行かれました。そこで、それなら河野がお世話をしているので、訪ねて行くようにとのアドバイスがあり(児相はずいぶん風通しがよかったのです。)、お二人でクリニックに来られました。お二人は、すでに一人の子を他の国から養子として迎え育てていらっしゃいました。
その時、丁度、一人の子が施設にいました。この子は、他の方の養子になる予定で話を進めていたのですが、養親予定の方の親戚の強い反対でダメになったのです。それならすぐに次の方、というのも忍びなくって、児相にお願いして、養護施設で育てて頂いていました。
「丁度今女の子がいます。施設に訪ねて行って会ってみてください。連絡をしておきますので。かわいい子ですよ。」と、つい私は言ってしまったのです。そしたら、彼がこういわれたのです。
「私達はウェルエディケット(よく教育された)人間だから。どんな子でもかまわない。どんな皮膚の色をして、どんな顔をしているか、それは問題ではない。とにかく、親に育ててもらえない子がいれば、それで十分だ。私達が責任を持って育てる。だから、会う必要はない。」と。つい、「かわいい子ですよ。」なんて言った私は恥じ入りました。
それで、すぐに児相に連絡をし、その数日後、児相にご夫妻と児相の職員と施設の職員と、そして、実母、赤ちゃんと私が一堂に集まりました。必要な手続きをして、その場で赤ちゃんを抱っこして帰って行かれました。その後、私は何度も家庭訪問をし、裁判所への申請等を行いました。それから何年も二人の子どもたちが仲良く、おおらかなご夫妻に育てて頂いている姿を見せて頂きました。その度に、「ウェルエディケットの人間だから」という言葉が私の頭をよぎりました。それは今もそうです。
私がアメリカの多くの方たちの所にお世話をしてきたのは、近藤紘子さんのご尽力もありました。近藤紘子さんは、ここでは詳しくはお話しませんが、谷本清牧師の長女さんです。谷本牧師は、被爆者の救済に尽力された方です。なかでも、原爆孤児の国際養子縁組や、精神養子縁組なども教会を通じて活動されました。紘子さんも、アメリカの大学で心理学と国際間養子縁組を学ばれました。私は彼女の弟と高校が同級生でした。そのご縁で、私は紘子さんと組んで、主に教会繋がりの日系の方たちへの国際養子縁組を行ってきました。
今、私はみんなみんな幸せに育ててもらっていると断言します。アメリカでは、皆さん、早い時から、出自を明らかにして育てています。以前、ハワイに行った時、私のところからハワイに行った親子さんたちがパーティーを開いてくださいました。その時に10歳の少女が
「私はね、広島で生まれたの。でも、お母さんが若くて育てられなかったから、私はハワイに来たの」と語ってくれました。何のウソも隠し事もなく、すくすくと育っていました。
私は、これらの方たちに学んで、今があります。だから、海外に子どもを出してはならないと言われると、とても残念なのです。ベビーライフの方たちが、どのような縁組をなさって来たのかは知りません。それでも、マスコミであたかも海外の人と養子縁組をしていたことを悪事のように語られているのに、とても違和感を持つのです。
別件ですが。私の誕生日の一週間後が娘の誕生日です。桜が満開の時、二か月近くも早くに飛び出してきた子です。東京で一人暮らしの彼女とは今はめったに会えませんが。昨夜遅くにパイを作ったので、今朝冷凍で送りました。友人たちと食べてくれればと。
『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。
広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
| 固定リンク
コメント