近藤紘子さんと養子縁組の話をしました。
ブログを書くのも久しぶりになります。体調が悪いのではなく、本当に書く時間がない生活をしていました。朝から深夜まで。
今夜近藤紘子さんに電話しました。久しぶりです。養子縁組に関して、お尋ねしたいというか、教えてほしいことがあって。いろいろと話が弾みました。私は、近藤さんと組んで、海外へも特別養子縁組のお世話もしてきました。国内と海外と、大体半々でしたでしょうか。もう何度もこのブログでも紹介してきましたが、紘子さんは、元流川協会の谷本清牧師の長女さん。谷本牧師が教会を通じて、戦後被爆者の様々な救済活動をされた一つに、原爆孤児の養子縁組もありました。そして、紘子さんも、アメリカの大学で国際間養子縁組と心理カウンセリングを学びました。(その時下宿していたのが、何とパールバックさんのお家だと!!そしてパールバックさんも沢山の養子を育てていらっしたと)
私は、高校時代、谷本清牧師の長男の建さんと同級生で、そのころ一緒に養護施設にボランティアに行ったりしていました。建さんの紹介で紘子さんと出会いました。まだ土谷病院の時代です。紘子さんは、やはり教会繋がりで、主にアメリカ在住の人からの養親希望を紹介して下さって、育てられない出産をした女性と赤ちゃんの、国内での手続きは私が、そして、国際養子縁組の手続きは紘子さんが、というコンビで取り組んだものです。私は、それらの活動を通して、海外在住の方たちから沢山のことを学びました。
このたびのの電話で、そんな話が弾みました。そして、聞いたことです。
昨年は、被爆75周年で、何と海外の25社から紘子さんに取材があったと。それは時々は私も活躍をテレビで見ていましたが25社はすごい。その中で、彼女がラジオでしゃべっているのを、もう45年も前に養子縁組をした女性の養父が、偶然アメリカで聞いていたのだそうです。そして、すぐに娘に連絡を取ったと。彼女は、その放送局、イギリスのBBCに連絡したのだそうです。そして、そのBBCの記者から紘子さんに、これは、紘子さんにとってとても大切なことだと思うからと連絡がきたのだそうです。そして。彼女たちは、45年ぶりにZOOMで話をすることができたのだそうです。彼女は、養子縁組をした時は4歳。今はもう50歳近い年になっています。そして、紘子さんが尋ねたことに、「本当にもう、サイコーの両親の所に来ることができた」との返事だったと。その養親には、実の子が一人いて、その後、二人を養子として迎え、さらに第4子として彼女を迎えたのだそうです。彼女は虐待されていた子だったと。でも、養親の元ですくすく育ち、お兄ちゃんたちも優秀で、アメリカにある制度の飛び級をしていたと。それを見ていた彼女も優秀で飛び級をしたと。
そして、私たち二人で組んでお世話をした養子たちの話もしました。みんな素晴らしい養親の元で本当にすくすくと育っています。いつか、その子たちに会える時が来るといいなあと思います。
今、日本では、「できる限り国内で」との制限があって、なかなか海外には養子縁組のお世話はできなくなっています。待ち望んでいる人達はアメリカにも沢山いらっしゃるのですが。その人たちの養子になればほんとうに素晴らしい子育てをして下さることはわかっているのですが。また、いつか一緒にお世話ができるといいねえとお話をしたということです。

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