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小説「衆議院議員選挙」④

私が広島市PTA協議会会長を提訴した裁判の、「性教育パッシング広島裁判を支援する会設立記念講演会」の司会は平木かおるさんがしてくださいました。会の冒頭、いさじ章子さんが、チャンゴを演奏して下さいました。チャンゴに合わせて、平木さんが薄いブルーの長い布を持ってひらひらと舞いました。そのすぐあとの司会はあはあと息が苦しそうで・・。そんなシーンをよく覚えています。

チャンゴを演奏して下さったいさじさんは、画家であり、詩人でもありました。その他いろいろな所で、ずいぶん私を助けて頂きました。そのいさじさんは、その後すい臓がんを患われました。手術、抗がん剤・・。闘病しながらも、絵を描き、詩や文章を書き人々の前で話をして・・。すさまじいほどのエネルギーで、がんになって3年近くを駆け足で生き抜き、2017年8月に亡くなりました。

 私はあれだけお世話になりながら何にもできなかった。その思いが重苦しく胸にたまったおりました。

昨年6月、広島市会議員の馬庭さんから、電話がありました。「今度衆議院議員選挙に二区から大井さんという人が出るから。大井さんはね、いさじさんの息子さんなんよ。基町高校から東大。今政治学者で大学で政治学を教えてる。立憲民主党にも理論講義をしていて選挙にでるように口説かれたんよ。」と。私は、閉塞した広島の選挙界に、そんな候補者がいるということがびっくりだったし、それがいさじさんの息子さんだなんて、二重のびっくりでした。

 それは応援しなくっちゃ。何にもできなかったいさじさんへの恩返しになるかもしれない。でも、会わないとね。初めて会ったのは、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の会にはじめから終わりまで平木さんが連れて来て参加して下さった時。その会の後でした。想像通りの好青年でした。

 頂いたパンフレットにあった彼の文章。思わず涙でした。ここに転載します。

 彼の原点は広島での高校生平和ゼミナールであったと。「被爆者の聞き取り通じて、個人の生死を左右する政治権力の怖さ肌で感じました。それが私の原点です。」


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私が特に胸をうったのは、次の文章です。「母親が最後を過ごした基町アパートに西日が落ちる光景を見ると、今も胸が締め付けられます。遺品を整理していた時、私が送った博士論文を、母が線を引きながら読んでいるのを見つけました。専門的な学術論文が母親にどれほど役立ったか。」

「この国の政治の最高責任者は、総理大臣でも野党第一党の党首でもなく、われわれ一人ひとりです。それが国民主権の意味です」これもいいですねえ。河井夫妻と、夫妻から沢山の議員さんがお金をもらっていたという、全国に大醜態をさらした広島の政界。「この広島から政治をわれわれに取り戻し、ともに作り上げていくために、全力尽くす覚悟です。」

 ほんとうに応援しなくては。この人を通さなくっては。

 この項まだ続きます。


 

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