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広島市医師会館

今日の木曜日休診日は、あさからフル回転でした。医師会館で書類提出、クリニックで予約していた患者さんの相談、刑事さんと面接、廃棄物の業者さん、そして私的要件で夕方まで、午後7時から研修。

 朝一番に広島市医師会館に行きました。2015年に県医師会館が広島駅の裏にできてから、それまでの観音の医師会館には広島市医師会と市医師会看護専門学校が残続して使用しています。それ以来、行くのは初めてです。駐車場には、車が一台止まっているだけです。守衛さんもいらっしゃらなく、ガランとして何とも寂しい限りでした。

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用事を済ませて帰りながら、この会館には本当にお世話になったと感慨深いものがありました。いつも研修はここでしたので月に一回は来ていました。同時に沢山の会合があり、活気がありました。それに、私の医療裁判の時には夫と共に通いましたし。

私が土谷病院に赴任してほどなく性教育の会がこの医師会館であり、そのシンポジウムで、私が質問。その答えに対して私が反論の発言をして大騒ぎになって。大叱られしました。結局はその発言が元で、私の性教育の講演の依頼が来、私の性教育のデビューに繋がったのです。当時の先生方はもう皆さん亡くなっています。

それから。1980年代の初め。全国に当時の優生保護法を変えて人工中絶を禁止しようという動きがあった時。何回かその動きはあったのですが、その時には成長の家、カソリック等の宗教団体を中心に強力に展開され、法案が国会に上程される所まで行きました。各地方議会には、中絶禁止というか、経済的条項を削除するようにという請願がなされ、次々と採択されました。広島でも。

それに対して、全国の女性たちが立ち上がりました。本当に中絶が出来なくなる危機感が一杯でした。広島では、女性グルーブと一緒にこの医師会館で集会をしました。東京から吉武輝子さんに来て頂いて、キレキレの講演をしていただきました。産婦人科の先生たちも来てくださいました。しかし同時に「青い芝の会」の方たちが沢山来られたのです。これまで障害があるとの理由で、多くの障がい者が中絶で殺されてきた。一切の中絶はやめろという、彼らとの討論も壮絶でした。

まだフェミニズムなんて言葉もないころです。

結局、その法案は通ることはありませんでした。ただし優生保護法の問題は、この法律に基づいて多くの障害のある人達が不妊手術を強制されたという事実もありました。それについては国からの謝罪、医師たちの反省等に基づいて今も謝罪や賠償が続いています。当事者の苦しみはそれは多少の賠償金でどうにかなるものでもなく、今も続いています。

その後法律は「母体保護法」と名前を変え、中絶の経済的要項もそのままです。

そんなことをつらつらと考えながら、医師会館を後にしました。書類の提出、この書類を作り上げるのにどれだけ苦労したか、もうやめようかと何回も挫折しかけましたがやっと作りました・・。郵送しないで、持って行って、おかげで今の医師会館の姿に触れることができました。


 


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