兄の死後のこと。
兄が逝ってもうすぐ一月になります。
兄のお葬式のお花を分けてもらって持って帰りました。胡蝶蘭、ユリ、カーネーション、小菊、グラジオラス、カスミ草、すべて白。
豪華な花を一杯玄関に飾っていて、それがとうとうこれだけになりました。
長い間がんを患っていたので、いつかはこうなることは分かってはいても、やはり胸の空虚感が続いています。兄は、偶然ではありますが、河野の実家の大分に住むようになって、実家に帰る度に顔を見せていたので、親しくしていました。日常生活を共にしていたのではないのに、この寂しさ、もっとああしてあげればよかったのに。こうしてあげたかった等という思いが募ります。私でさえそうなのだから、義姉や姪はいかばかりかと思います。
私の胸にずっとあるのは、義姉の「キリストの胸に抱かれて」「また会えるから」という言葉。私には、どうしても死後の世界があるとは思えなくって。親のお墓参り等はちゃんとしていて、そして、死んだ両親に話かけたりするけれど、だから、亡くなった人は私の胸の中に生きていると、それはわかるけれど。
兄が献体をしたことも、今、兄の体はどんな風になっているのかな?とか。兄の棺が霊柩車に乗る時に、義姉の弟さんが「美代子先生の時は何体だった?」聞かれました。弟さんは、私と同じ年に岡山大学の医学部に入学し、内科医として活躍した人です。「私の時は4人で2体だった」「僕もそう。でも、今は4人で1体なんだって。足りないんだって」「ええっ?でも、大分大学はもう一杯だって言ってたけど」「そう、だから不思議でね」そんな話をしました。今は4人で1体で、それで一杯なのかもしれません。そして、学生時代の厳粛な解剖実習の時を次々と思い出しました。
義姉の所にはこんな感謝状が贈られて来たと、写真が届きました。
そして。この番組を観た時のことです。
広島の原爆死没者追悼平和祈念館で今も上映が続いている「時を超えた兄弟の対話-ヒロシマを描き続けた四國五郎と死の床でつづった直登の日記-」。そのナレーション吹き込んだその夜、木内みどりさんは広島で亡くなりました。
この番組は素晴らしくて、観ていて涙が止まりませんでした。こんな番組が広島だけで(これは中国地方でしたが)放映されるのは、勿体ないことだと思います。でも、それが今度は、全国で放送されるそうです。12月7日の夜午前0時から。日付が変わって8日の午前0時と言った方が正確ですね。NHK・BS1です。
生涯、やさしい絵や詩で反戦・反核を訴え続けた四國五郎さんと、女優であり、反原発の運動、晩年は四國五郎さんの絵本の朗読等を続けた木内みどりさん。そのお二人の出会いを描いた番組です。四國さんの絵や詩も、そして木内さんの朗読も、たくさん出てきます。ぜひ多くの方に見て頂きたい番組です。
その中で、もちろん、お二人の胸打つ活躍と同時に。広島で亡くなった木内さんの遺骨をお連れ合いとお嬢さんのお二人が山の中に散骨されました。「これでひと段落つきました」というお連れ合い。「どこにでも、自由に飛んでいきなさい」というお嬢さん。兄が亡くなって程なくだったので、特に私には響きました。
河野の実家のお墓のこと、私ちはどうなるのか、お墓よりもその前に。もしも動けなくなった時にどこで過ごすのか等々。
兄の死からずっとそんなことが頭から離れません。
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