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平和と希望のコンサート・「レクイエム碑」

今日のことで、誠に申し訳ないのですが。本日11月28日(土)午後5時半から、エリザベート音楽大学セシリアホールにて、「平和と希望のコンサートⅢ」が開かれます。今年の6月に開かれる予定でしたが、新型コロナの影響で延期になったそうです。

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ここでは、広島県の男性合唱団の方々により、レクイエム「碑」が歌われます。広島二中一年生、全滅の記録、その男声合唱と最後には、混声合唱で、レクイエム碑の最終章が初めて英語で披露されます。

行かなくては。毎年、広島二中の後輩、県立広島観音高等学校の音楽部OB会が、益田遙先生の指揮で合唱されます。それは、混声合唱です。男性合唱を聴くのは私は初めてです。

そして、今日、小野瑛子さんの炎のメモワールと、西村利信さんの「原爆体験記」を出演される男性合唱団の方々へ渡して下さいとことづけました。もっと早くに渡せればよかったのですが。

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合唱曲「レクイエム碑」の第4章「川の中で」の、「浅瀬に取りつき石垣をよじのぼる生徒に/手を差し伸べる傷ついた先生/君は傷が軽い/頑張って家に帰るんだ/私はもう歩けない/だが君は元気だ/さあ握手して」との歌詞があります。それは、のちに生徒さんの証言から山本信雄先生だと分かりました。小野瑛子さんは、その山本先生の次女です。

あの歌詞の山本先生の遺児が千葉に住んでいらっしゃる、健在だとの情報がもたらされた時、私たちは驚き、そして喜びました。ぜひ来て頂こう。[8.6ヒロシマ平和の夕べ」で話して頂こうと。そして、連絡を取り付けて。2017年の平和の夕べに来て頂いたのです。

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この時、肺がんで闘病中の小野さんは、懇親会の席でウィグを取られました。そのおぐしも素敵ですよと言うと、それからはそのままで、一緒に写真を撮って戴きました。

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夫と長女を原爆で亡くしたお母様は、原爆の惨状を英文で書き、「Time」誌に送ったそうです。そしたら、GHQに見つかり没収。そしてひどく叱られたそうです。その英文の手記は、お母様が亡くなって遺品を整理していた時に瑛子さんが見つけられ、それを翻訳して、「炎のメモワール」として出版されました。その一部、原爆の惨状の部を別刷りして、私たちに寄付して下さったのです。

また、山本信雄先生の教え子の西村利信さんは、小野さんと同じ千葉在住でした。一年生の弟を亡くし、ご自分はやはり二中の二年生で、ひどい被爆をしながらも、生き延びられました。小野瑛子さんの炎のメモワールを朗読した方があり、それを聴いた方から教え子の方がいるとの情報が入りました。しかもその方、西村利信さんは、被爆後二年して千葉に転居、そこの高校で原爆の手記を書き、文学クラブの機関誌にそれを掲載されたのです。厳しいプレスコードをかいくぐるようにして残ったその手記が、小野瑛子さんと俳優の岡崎弥保さんのお二人の手で、改めて冊子として発行されました。書かれている原爆の惨状はそれは生々しく、あまりに過酷な状況でした。

それが発行されたのが2018年5月31日。そして、小野瑛子さんは、肺がんが悪化してその年の10月30日にお亡くなりになりました。そして。何とその翌日、10月31日に西村利信さんも亡くなったのです。

この二つの手記は、合唱をされる皆さんが読まれると、きっと歌われる上での思いもさらに違ってくるでしょう。そう思ってお渡ししたのですが。遅すぎると思いながら・・。今日、聴きに行きます。

 

 

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