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広島二中22会の会報集大成、縮刷版

もう、少し前。広島二中、広島観音高校の大先輩、松本正さんが、こんな貴重な本を送って下さいました。広島二中の22回卒業の同期会、22会の会報「仁いに伊」の集大成、縮刷版です。年一回のこの会報は、22号をもって、1981年から2003年まで、実に22年間続いたうえで終了とされました。これを22年間出し続けたのが、松本正さんなのです。時には、17ページにもなるこの会報。内容は実に多岐にわたって、楽しくあるいは時には深刻に読ませて頂きました。

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中でも、1995年発行の第14号。原爆から50年の特集。これまで誰にも語ってこなかったけれど、とご自分の体験、惨状を初めて書いた方も。やはり原爆の被爆の体験は、何人の方のを読んでも、それぞれが異なるけれど、共通して絶望、怒り、悲しみ、そして平和を求める心になって行っています。

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この集大成の初っ端に、わが恩師寺本和彦先生の文章が。二中出身の寺本先生、松本様と同期だったのですね。その後、母校の観音高校にお勤めになり、そこに私も入学したのです。私は演劇部で、地区大会、県大会と優勝し、中四国大会に。遠征に出る時に、寺本先生は顧問ではないけれど、私たちの引率について来て下さいました。

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私の父は、二中時代からずっと観音高校に至るまで教師をしていました。ですから、寺本先生は、父の教え子でもあり同僚でもありました。ある年の8月6日、父と一緒に広島二中の慰霊祭に出席した時に、寺本先生が顎のがんにかかられたことを聞きました。何と、めずらしい所にがんができて。と、父はひどく心配しておりました。そう言っていた父の方が先に亡くなり、寺本先生がお葬式で弔辞を読んで下さったのです。

小説家、梶山季之特集(いろいろと松本さんのエピソードも)や、石本美由起さんとの座談会などは、楽しく読みました。そして、これは仕方のないことではありますが、次々と訃報が載るのも重いことです。中でも、共政界の若頭が撃たれて亡くなったという記事には、へえっ、そう、二中だったの?と。でもこうして、松本さんのおかげで、エピソードと共に同期の方たちに知らせていただけた方たちはむしろラッキーだったのではないでしょうか。

そして、二中時代の心に残る先生の名前を、という所に、一人の方が父の名前を挙げて下さっていたのも、うれしいことでした。

最後に、松本正さんの後書きを。

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松本様、ほんとうに長い間、こんな大変なことを続けられたことに、驚嘆しますし、感謝をもします。8.6ヒロシマ平和の夕べのスタッフの同窓生にもこれを回して読んで頂きますね。ありがとうございました。

 

 

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