「8.6ヒロシマ平和の夕べ」「私が大飯原発を止めた理由」樋口英明さん②
「8.6ヒロシマ平和の夕べ」、樋口英明さんの講演「私が大飯原発を止めた理由」の続きです。
つまり原発は、ずっと電気と水が必要だ。去年亡くなった中曽根元首相の最大の影響は、1955年原子力基本法を作ったことだとされる。「原子力はかつて猛獣だったが、今は家畜になっておる。日本国民は、まだこれを猛獣だと誤解している」と。猛獣というような可愛いいものではない。核兵器、原爆はウラン、プルトニュウム燃料を10万、100万分の1秒という一瞬にエネルギーを解放する。原発はそのエネルギーを水と電気でコントロールしながら1年余をかけ、ゆっくりと解放する。水と電気を与え続けなければ、原爆と同じ。核兵器は倫理にも、理性にも反する。しかし最後はボタンを押すか押さないか、人間性に期待できなくもない。原発は、水か電気どちらかが断たれれば「爆発」する。水、電気が断たれる原因は戦争、地震、災害、疫病いくらでもある。
核の平和利用と言われるが、「核の平和時」利用に過ぎない。水と電気が安定的に供給されれば、という話、自国に向けられた核兵器である。そんな危険なものなら、それなりに安全に造られていると思われるかもしれないが、そうではない。事故発生確率と被害の大きさは一般的に反比例する。新幹線と広島の路面電車では、発生確率では路面の方が高い。新幹線が車と衝突する確率はゼロ。だけど被害の大きさが違うから、新幹線は発生確率を抑える設計、運行になっている。
自然界にM9の地震はめったにないが、M5程度はよくある。推進勢力は、「原発の敷地に限っては、将来にわたって震度6、7の地震はこない」と言う。信用できますか。地震学者は、地震学の3重苦として「観察不可、実験不可、資料なし」と言っている。全国に地震計を配置したのは、阪神淡路の後から。せいぜい20年くらいの資料しかない。地下30キロの震源の観察はできない。それでなぜ、多くの裁判長が原発を止めないのか。700ガルが震度6なのか7なのか、裁判官は知らない。過去に何回起きたかも知らない。実際に起きている地震に比べ、原発の耐震性が高いか低いか重視していない。
止めるべき理由は簡単だ。事故のもたらす被害は甚大、地震大国日本では高度の安全性ということは、高度の耐震性ということ。54基もつくり、しかも耐震性は極めて低い。3・11を経験した私たちは、どうするべきか。死の灰は科学的に処理できないことが明確になった。原発事故はめったに起きない、起きても30キロ範囲の影響というのも違った。原発は、それなりに丈夫。しかし阪神淡路の後の資料で見ても、見当はずれの低い耐震性で造られている。私たちの世代で解決しなければならない。私たちは、知ってしまったのだから。(要旨)
講演の要旨は以上です。最後の「知った者が解決しなければならない」と。そして、「ここにいる皆さんはもう知ってしまったのだから、原発を止める義務がある」と言われました。
これは、昨年、樋口さんが広島の「福島と広島をつなぐ、もみのきの会」で講演された時の講演録です。8.6の当日に販売させて頂きました。アッという間の完売でした。
この冊子には、私たちが時間がなくてできなかった聴衆との質疑応答が載せてあります。そのしょっぱなに興味深い問答がありますので、それを引用させて頂きます。
問 質問は2点あります。1点は、昭和30年に制定された「原子力基本法」という法律について、貴殿はどのような認識でおられるかということ。もう1点は、原子力規制委員会ですが、これは国会で承認されたもので、要するに原子力を止めるか止めないかの権限は、この規制委員会に委託したわけです。にもかかわらずなぜ原子力を止めるという訴訟を裁判所が受けるに至ったのか、と。これは、日本国憲法の立法・行政・司法の領域のなかで言えば、司法が行政の領域に入り込んでいるのではないか。だから、それは日本国憲法に違反しており、止めるとか稼働するとかいう判断も、本来は、司法でなくて行政がやるべきことだと思います。しかも国会で承認した原子力規制委員会というものがあるわけで、この委員会の5人に、国会は委託したのだから、裁判所はむしろ「そういう訴訟はうちではない、原子力規制委員会に行って話をしなさい」と振り分けるのが筋ではなかろうかと思いますが、いかがでしょうか、以上です。
答え(樋口さん) お答えします。「原子力規制法」は法律の問題、「安全な原発しか動かしてはいけない」というのが、法律の規定です。原子力規制委員会に一定の権限を与えていますが、「ひの審査がおかしければ、裁判所が判断できる」、ということについては、全く争いがありません。法的には問題ない。ですから、「規制委員会に権限を任せているんだから、裁判所は口出しするな」という考えは、ごく一部の評論家が言っているだけで、司法の世界(裁判所、弁護士、検察官)では、そういう説をとっている人は、ほとんどいないと思っています。私は、おかしければおかしいと判断できることが、憲法から来る「裁判所に対する当然の要請」であると理解しています。以上です。
それから、この度の講演の中で、なぜ裁判官は(最高裁判所の裁判官も)、こんな危ないものを止めろと言わないのかというお話で、「原告の弁護士がちゃんと裁判官を説得しないからだ」と言われました。裁判官というのは、自ら調べたり考えたりするのでなく、法廷に出された資料や弁論から判断するので、その裁判官をいかに説得するかが、勝負なのですね。私は、このところ、性暴力の法廷に立ちことが多くて、検事さんや裁判官が、いかに物事を知らないのか、特に女性の体や心理をほんとうにわかっていないというのを痛感しています。原発の難しい仕組みを知らなくとも、単純に「こんなにアブない」ということを説得すればいいと思うのですが。ですから、樋口さんの「あぶないものは止める」という言葉が、大変力強くて、頼もしく思いました。
それから、「原発は自国に向けた核兵器である」という言葉も重いです。政治家の中には、将来日本も核兵器を作るために、原発を続けなければならない」と堂々という人もいます。将来の核兵器の話でなく、今、ここにある原発が、水と電気が供給されなければ、即核兵器となるのだと、ゾッとする、鋭いお話でありました。
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