森達也さんの「平和講演」についての私見です。
昨日の続きなのですが。私が学生時代に被爆者や被爆二世で被爆者青年同盟を作り、その一員として、そのころからずっと引っ掛かっているのは。何しろ、当時何もお手本があるわけでなく、私たち自身が議論し、考え、決め、行動していくしかなかったのです。そして、私たちは子ども時代の被爆、または被爆二世であり、先の侵略戦争の責任はどこにあるのかと言われても。また、私たちは親の苦労を散々見てきているわけです。そんな時、自ら被爆したわけでもなく、親が被爆したわけでもなく、戦争の被害もさほど受けなかった人達から、「被爆者だって、戦争をした責任があるだろう」と言われると、それなら、あなたはどうなのか」と言いたくなるわけです。
ここで森達也さんが言われる「僕たちは」というのは、森さんはどこに立ち位置があるのだろうと思うのですね。森さんは「被害者でもあり、加害者でもある」のですか?「どう被害者なのですか?」と聞きたくなるのです。「日本人」というくくりの中で自らを被爆者と同じ立ち位置にして「僕たちは」と言われているのでしょうか。
以前、あるアメリカ人から、「広島の運動には原発がなかった」と言われたことがあります。広島では、反原発の運動を命をかけて闘い、そして実際過労で亡くなった方、ガンに倒れ亡くなった人もいます。そして、森滝市郎さんも高齢の病んだ体を押して、青森の六ケ所村や伊方原発の現地や訴訟にも出かけていき・・・。そんなことをしっかり見ていますし、私たちも伊方原発、島根原発など現地にも行き、反核は反核兵器だけでなく、反原発も当然のこととして、福島よりずっと以前から闘ってきました。しかし、私たちの力が弱いからこそ、今だに原発をゼロにすることはできないままでいます。彼が知らないだけです。そしたら彼はなんと、「原発の廃炉になった炉を原爆ドームの後ろの旧市民球場の跡に置くといい。そしたら、初めて広島は反核の運動の場になりうる」と言いました。私は怒りましたね。こんな場でどうしてそんなジョークをいうのかと、そしたら「これはジョークではない。真面目な考えだ」と彼は言いました。
その時、彼は自分のことを原爆を落としたアメリカの人ではなく、「広島市民として受け入れもらっていると思っている」と言いました。だから、広島市民としての反省のつもりなのでしょう。
これまで被爆者は語るだけではありませんでした。全て焼かれて、食ことも十分でなく、寝る所もないような状況で、ケロイドの顔をさらし、予行列車で東京に行き、東京駅で顔を洗い、国会へ、厚生省へ、首相官邸へと訴えに行き、座りりこみをしたと。それはすさまじい体・命を懸けての闘いでありました。その闘いを経て、やっと被爆者への様々な補償が少しずつなされてきたのです。いまだに被爆者と認められず、裁判に勝っても、また控訴審を闘わなければならない老いた「黒い雨」の地域の人もあります。
私は、今、被爆者はしっかりその被害を語ったらいいと思います。被爆者に被害と同時に加害の謝罪もさせようとしないで下さい。加害については、また別の人が謝罪をすればいい。被害がわからないからこそ、アメリカ人はいつまでもその加害性に気づかないのだと森さんも言っています。私たちだって、朝鮮半島の人達からの告発を受けて、初めて日本人がどんなにひどいことをしてきたかを知って来たのですね。(勿論、戦後の教育の中で、特に私は中学校で、侵略や差別の歴史や人権について、しっかり教えてもらいました。その教育の下地があったからこそと思っています。)
その意味で、私は語って下さる被爆者が存命の内に、たくさん話を聞いておきたいのです。
取り留めのないことを言いました。私の中では「加害と被害」が混とんとしていたのが、今回の森さんの講演で、少しだけ整理されたような気がします。とりあえずみんなで加害も被害もしっかり語れと言うことでしょうか。
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