「8.6ヒロシマ平和の夕べ」鴨下全生さんの講演②
今日は終戦記念日。戦後75年です。8月6日から続いて本日まで、例年になく多くの報道に接しました。新聞、テレビ、どこの社も力の入った報道がなされ、まだまだ日本の良心は捨てたものではないと思うこともしばしばでした。
真夏の暑さもすさまじく、どなたかのフェイスブックで見ました。こんなに暑い日本の夏だから、この中でオリンピックをしようとするのがそもそも無茶な話なのだと。今でさえ、次々と熱中症による死者が出ているのに、この中でスポーツをすることで、または観戦することで、多くの死者が出るのではないかと危惧します。
今日は、義母のお墓参りをして、広島に帰ります。
昨日の鴨下全生さんの講演の続きを転載しますね。高校生にしては、あまりに力の入った、それだけ様々な体験をしたからでしょう、それらを通しての心からの訴えです。
3
国は、避難住宅の提供さえも打ち切りました。
僕は必死に残留しているけど、多くの人が、やむなく汚染した土地に戻っていきました。
でも、広く東日本に降り注いだ放射性物質は、8年経った今も、放射線を放っています。
汚染された大地や森が、元通りになるには、僕の寿命の、何倍もの歳月が必要です。
だから、そこで生きていく僕たちに、大人達は、汚染も被曝も、これから起きる可能性のある被害も、隠さず伝える責任があると思います。
嘘をついたまま、認めないまま、先に死なないで欲しいのです。
原発は国策です。そのため原発を維持したい政府によって、賠償額や避難区域の線引きが決められ、被害者の間に分断が生じました。傷ついた人同士が、互いに隣人を憎み合うように、仕向けられてしまいました。
僕たちの苦しみは、とても伝えきれません。
だから、どうか共に祈ってください。
僕たちが互いの痛みに気付き、再び隣人を愛せるように。
残酷な現実であっても、目を背けない勇気が与えられるように。
力を持つ人たちに、悔い改めの勇気が与えられる様に。
皆でこの被害を乗り越えていけるように。
そして、僕らの未来から、被曝の脅威をなくすため、世界中の人が動き出せる様に、どうか共に祈って下さい。
このスピーチを終えた僕を、フランシスコ教皇は、優しく抱きしめてくださり、その様子は広く国内外に報道されました。
一方、(フランシスコ教皇は)その日の夕方に対面した安倍総理には、
『今回の来日では、特に東日本大震災の被災者らのおかれている困難な状況の証言に、強く胸打たれ、心を揺さぶられた』 と話され、その後、大変厳しい言葉で『唯一、対話によって核の問題を解決すること』 を強く求め、特に
『わたしたちは若者たちに対し、むなしいことばでではなく、誠実にこたえなければならない。まやかしではなく、事実によってこたえるのです』
と、迫りました。 しかし残念ながら総理の耳には、ローマ教皇の説教すら残らなかった様です。
そして翌日、フランシスコ教皇は帰路の飛行機の中で、歴代ローマ教皇として初めて原発に反対を表明されました。これは、13億と言われるカトリック教徒だけでなく、世界に大きな影響を与えたと報じられました。こうしてフランシスコ教皇は、正に『声を発しても耳を貸してもらえない人々の声』に、なってくれたのです。
4.
しかし僕は、教皇にハグされた集会の直後に、会場にいた被災者の若い男性から罵倒されました。
「さっきの話の 『避難できた僕らは、まだ幸せ』 とは、どういう意味だ。俺は今も福島県に住んでいる。あれは、どういう意味で言ったんだ。」と、繰り返し言われました。
僕は、突然のことでうまく反応できず、その方に納得してもらえる返事ができませんでした。
そのことがずっと心に残り、夜半から急性胃炎で 39 度の熱を出し、激痛に5日間苦しみました。
僕たちのようないわゆる自主避難者は、しばしばこのような恫喝を受けます。中でも一番辛いのが、今も福島に住んでいる人や、親族が福島にいる方の言葉です。その主張は決まって「放射能が危険なのではなく、汚染や被曝という言葉を使う人が悪であり、これを成敗しなければ自分達の生活が危機に晒される」というもので、正義感と危機感で強く責められます。しかし、訴訟の中でぼくらがずっと主張してきたとおり、今も凄まじい放射能汚染があることは明白です。
僕が辛いのはここです。もしも、その人たちが、本当に原発事故前と同じ平和な生活が出来ていたなら、10 代の僕の言葉にいきり立って、わざわざ罵倒しに来るでしょうか? その方も、今も語れない辛い思いを抱えているから、そういう行動に出てしまうのだと思います。たぶんあのとき、僕がすべきだったのは、汚染の実態を伝えることではなく、その方の何が辛かったのか、何で苦しんでいるのかを、ただじっと聞くことだったのだと思います。
これが、僕が直面している分断の姿です。
苦しんでいる人同士が、互いに石を投げ合って、更に傷つき、力尽きていく。
元をただせば、全ては原発事故による被害です。放射能汚染に起因する営業損害や、安全への不信感。今も続く被曝や、将来の病気への恐怖、避難の苦痛。そして何よりも、コミュニティーの崩壊。司法に訴えることも出来ずに、涙を流しながら沈黙している人たちが、今も無数にいるのです。
それでも、先日、黒い雨裁判では、国が区域外と決めた地域の方々の訴えが完全に認められる、素晴らしい判決が出されました。あの判決は、区域外避難者としてずっと差別されてきた僕たちにとって、最高のエールとなりました。ぼくらも諦めずに、声を上げて行きたいと思います。そしてどうか全国の原発事故被害者の訴訟も応援してください。
ありがとうございました。
鴨下さんをはじめとして、どれだけの被災者が苦しみ続けて来たことか。これを私たちは決して忘れません。そして、これからも共に戦い続けることを、改めて誓います。
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