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「マルモイ」

かねてから行こう行こうと思っていた映画「マルモイ」を観に行きました。

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脚本、監督があの「タクシー運転手~約束は海を越えて」の脚本、オム・ユナさん。タクシー運転手がひどく面白かったので、期待一杯でした。

今回は韓国の現代映画ではなく、日本の統治時代の話。1940年代の京城が舞台です。全国の各学校で朝鮮語の使用と教育が禁止され、「国語」の時間には日本語を教えていた時代。

日本がほんとうに許せないことをしたのが、「言葉」と「苗字」を奪うこと。日本語と日本名を強制したこと。その時代に、朝鮮語を守ろうと、朝鮮語辞典を作る人達の命がけの働き、抵抗、闘いが描かれました。自分たちの言葉を守ろうとした、その当たり前の行動で命まで奪われるという、誠に理不尽なこと。本当に我々の先人たちがやったことが申し訳なくていつものように涙ボロボロでした。

韓国は、地域によって言葉がかなり異なり、それらの方言を全国から集め、標準語を定めるという、膨大な労力と年月をかけて、辞書は出来上がります。

 購入したパンフレットに載っている韓国のポスターもとてもいいですね。

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京城第一中学に行っている、優秀でも貧しくて学費が払えない、そのためにひどい暴力を受ける息子と、とてもかわいくて、映画の中でホッとする場を作り出している少女。この二人も載っているところが何よりです。

その他、日本名を強制された息子、妻が日本にさからったために刑務所に入れられ、その妻の命を救おうと、そのために密告をしてしまったけれど、結局は妻も獄死してしまう男。包容力のある、優しくも芯の強い、結局拷問ししてしまう男性。などの人も描きながら、主役の二人。辞書を作ろうとその中心になって闘う「朝鮮語学会」の代表。文字も読めず、すりなどで子ども二人を育てる男が、段々と文字を覚え、結局は辞書の原稿を守り、銃で打たれて死亡してしまう、その二人の交流が温かく、時には笑いを誘い、最後は涙という感動の作品です。

分厚い辞書が出来上がったのは、解放後。命を懸けて守られた手書きの原稿には、赤ペンが一杯入っていて、今は博物館に保管されています。その赤ペンの入った原稿。子どもたちに手渡された分厚い辞書の中に、父親が子供二人に書いたつたない文字の手紙が挟んでありました。それらを見て涙が止まりませんでした。本当にこの辞書が出来上がってよかった!!

 でも、感動というよりは、私たちの国が行った加害に対して、ほんとうにどうすればいいのか、それを考えて、ずっと胸が重いままでいます。少なくとも、多くの方にこの映画を見て頂きたいと呼び掛けること。横川シネマは今、席を一つ飛びにしてありますが、一杯でした。9月7日までです。

 

 

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ウォーキングで原爆ドームとハノーバー庭園

昨夜のウォーキングは久しぶりに原爆ドームの裏側のそばを通りました。なんか、若い人たち、ほとんどがカップルですが、多く訪れていました。裏から近づくと、結構迫力があります。あら、ここに入口があるんだと初めて気づきました。

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旧産業奨励館の入口なのでしょう。周りには、崩れた建物のコンクリート片がゴロゴロと転がっています。

私が大学に入学してすぐの昭和41年、この時ある映画の撮影が広島で行われていました。それに私も協力していたのですが、その時、ちょうど原爆ドームを保存するのか、取り壊すのか論議されていました。被爆者の中には、見るのも痛々して、早く壊してほしいという人もいたのですね。それに、建物はボロボロと崩れて、とても危ない状況でした。残すのであれば、ちゃんとくずれないように工事をしなければ、でも、それには莫大なお金がかかると。その議論は、全国にひろがり、保存のための募金が沢山寄せられて、それで工事ができるようになりました。広島市も永久保存することを議会が決定しました。

 その後、国やアメリカの反対を押し切る形で運動が盛り上がり、それに押し切られる形で、世界遺産にも1996年に登録されました。これまでにも何回も大規模な工事が行われて、これまで維持されています。しかし、そのための費用もばかにならず、ふと、今残すか否かの運動が行われている陸軍被服支廠も、あの巨大な建物すべてを保存するには、維持がなかなか大変でしょうと、ドームを眺めながら、想いを馳せました。

その後はハノーバー庭園を通りました。そこでは、若者が階段を使って、スケボーに乗っていました。スケボーに乗ったまま階段を上がろうとして、何度も転んだり引っ掛かったり、イテーッとうめいたり。夫が「けがをすることがあるの?」と聞くと、「はい、結構けがします」と。ひどいけがをしないように気を付けてねというと、はい、ありがとうございますと、とてもていねいでした。

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もう少し行って県立体育館の横では、何人もの若者が音楽をかけてダンスをしています。屋外でスケボーやダンス、いいですねえ。籠ってスマホのゲームばかりより、よほど健康的ですね。

私たちも見習ってせっせとウォーキングです。でも、まだまだ暑くて。湿度も高く、橋の上でも風もあまりなくてひどい汗でした。もう少し涼しくならないとつらいです。

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TOKUKOさんが閉じるので

 今日診療後、洋服を買いにお店に行きました。お店のカードを調べてもらったら、2004年から16年間、そのお店の服ばかり買っています。そのお店は今月いっぱいで閉じます。レナウンの会社更生法申請に伴って、そのブランドはお終いとなるのだと。日本中に沢山のお店を抱えているのに、そのすべてを閉じるのだそうです。レナウンから離れても独自でやってほしいのにと思いましたが、その主催者が閉じると決められたのだと。ほんとうにがっかりです。最後の服を買ってお店を出る時、店長に深々とお辞儀をされ、泣きそうでした。これから、どこの服を買おうか考えられないし、これからずっとこれまでの服を使い回ししましょうね。

クリニックの近くの貸衣装やさんも閉じられました。昔からの伝統ある老舗のお店です。こう結婚式もない状況では、お店の維持は難しかったのでしょうね。町内会の一員として、お気の毒で。

他人事ではありません。 私のクリニックは、少し患者さんが持ち直してきました。前のように、忙しくすることが多くなってきました。でも、講演はほとんどが中止のままです。ごくわずか、時々入っているだけです。

 私は、講演料は、すべてクリニックの収入としてきました。それも含めての経営でした。休みの日にせっせと講演にでかけて、それは自分の収入にはしないままこれまで来ました。だから、その収入がほぼゼロとなって、これは厳しいことになっています。いつかクリニックをやめるだろう、そのための従業員の退職金をためておいたのですが、それに手をつけてしまいました。空調をやり替えたこともありますが、1900万円が1100万円になりました。職員の給料は下げるわけにはいかないのですが、私の給料は、すでに半分にしています。さてさて、これからどうしましょう。何としても生き抜かなければ、ですね。

史上最悪と言っていい政権がやっとやっと閉じようとしています。思わず、ヤッタ!!ですが、でもわかりません。この後の政権を見ないと。

ほんとうに最悪でした。これについては、また書きたいと思います。

今日は、TOKUKOさんがなくなるので。残念記念に、私のこれまでの写真。モデルは悪くてすみません。全てTOKUKOさんの服をアップします。一緒に写っているかた、すみません。わたしの服をみてもらうだけですので。

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小学校高学年の性教育のスライドづくり

昨日からずっと講演のスライドづくりにかかっています。今日は、小学校の校長先生にクリニックに来て頂いて打ち合わせをしました。そこで、カミングアウトです。実は、私は小学校で、児童にお話しするのは初めてなのですと。これまで約40年間、性教育については散々、何千回も講演してきましたが。生徒さんには、中学生以上。小学校では、保護者の方や先生方にお話してきました。性教育のあり方などについて。小学校での性教育は、先生方と保護者の方がするべきものと思ってきましたので。

でも、今回は、校長先生とは以前から性教育を通じての知り合いで、子どもたちのことについても、色々と相談に乗ってきたりしていた方。依頼があった時、この辺りで小学生の子どもたち自身にも話そうかと心変わりがあったのです。

これまで、小学生には、原発事故の福島の子どもたちについて話したことはありますが、性教育は初めて。初体験だというと、校長先生は、びっくり仰天。初心者ですのでよろしくというと、もう、ほんとうにびっくりして、恐縮されておりました。

ということで、まだ完成ではないのてすが、4年生から6年生の高学年の子どもたちへの話のスライドを作りました。私は、中学生以上はスライドなしで話しているのですが。小学生については、スライドであらすじを作っておかないと不安で。その一部をアップしますね。

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二次性徴については先生の役目。私は医師の立場で。

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つたえたいことは盛り沢山です。気を付けるのは、人はいろいろなのだと。こうなければならないではなく、色々違っていいのだよということ。

人に対しても差別意識を持たない大人になってほしいと思っています。

さて、まだ本番まで二週間あります。これからもいろいろと悩みながら、手直しもしようと思います。

その前に、大仕事。子どもの性被害の法廷に立たなければなりません・・。憂鬱ですが。これからその準備です。

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小学校での性教育の授業

小学校低学年向けのスライドを作っています。小学生なので、スライドは少しにして、お話というか、会話で行いたいと思います。

想いがどんどん膨らみます。とっても楽しみで。


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卵と精子の受精、子宮の中で大きくなっていく赤ちゃん、そして出産。生まれたころと同じ大きさ、重さのお人形も使って。

最後は、プライベートゾーンについて、きっちりと伝えたいと思います。

この後、今度は高学年向けの「ようこそ思春期」のスライドを作ります。

こんなコロナの時代に、子どもたちにお話しさせてくださること、心からありがたいと思います。

 

 

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大井赤亥さんの話を聞きました。

先週の金曜日診療後、大井さんの話を聞きに行きました。大井赤亥さん。広島二区から衆議院議員に立候補する予定の若き男性。かつて、私を応援して下さった、いさじ章子さんの息子さんです。

 その昔、私が性教育に対して、あまりのひどい虚偽の誹謗中傷をされて、当時の広島市PTA協議会の会長を名誉棄損で訴えたことがあります。その時の決起集会、全国からずいぶん沢山の方が駆けつけて下さいました。当時、東京の七生養護学校で知的障がいのある子どもたちへの性教育に対するバッシングで職を追われた先生たち、処分撤回の厳しい裁判を闘っていた原告の方たち、それに豊中市男女共同参画センター「すてっふ゜」の館長を、右翼の恫喝で雇止めをして、その撤回の裁判を闘っていた三井マリ子さん、基調講演は、東京で統一教会などの霊感商法に対して闘われていた紀藤正樹弁護士でした。その大会の冒頭、チャンゴをたたいて応援して下さったのがいさじ章子さんです。その後の選挙のときにもずいぶんお世話になりました。いさじさんは、東京芸術大学出身の画家。その後、すい臓がんを患われ、亡くなるまでも、沢山の絵とエッセイ、詩を残されています。命を見つめた、心に突き刺さる数々の遺稿です。

大井さんは、そのいさじさんの息子さん。広島で基町高校生の時、平和ゼミナールで活躍、その後東京大学政治学科卒、院で博士課程修了。若き政治学者として活躍していました。その彼、いさじさんの息子さんが立候補を決意されたと。これは、応援しないわけがない!!と。それも、強力な自民の現職がいる二区からと。大井さんは、他の区の立憲民主党からの立候補予定の方たち、三区のライアン真由美さんと、5区の野村功次郎さんと一緒に「8.6ヒロシマ平和の夕べ」にも初めから終わりまでいて、すべての話を聞いて下さいました。

この度は、仲間たちが声をかけてくれて、彼の話を聞きました。

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誠実な、頭の切れる学者さん。でも、選挙は全く不慣れなので。少しでも、私のかつての経験で持てるものでお手伝い出来たら、と思いました。

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若くてさわやか。

チラシを読んでいて、涙ぐんでしまいました。基町のアパートでお母さんの遺品の整理をしていて・・。

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私は、昔から社会党の、今では社民党のファンではありますが。立憲民主党という党が、これからどうなってい行くのか、まだまだ未知な部分はあります。党の一人としてよりも、一人の対自民の候補として、頑張ってほしいと思います。

期せずして、明日から河井夫妻の裁判が始まりますね。あのおしゃれで美しいあんりさんが、手錠、腰縄の姿を人々の前にさらすのかと考えたら、とても気の毒です。裁判では、とても沢山の被買収者、お金をもらった人たちの名前が公にされるとのこと。私も、その名簿をある方からもらいました。これまで知らぬ存ぜぬを通してきた人たちも、ここで明らかにされて、さあ、どうするのでしょう。これも、これまでの安倍政治がもたらしたもの。その安倍政治を少しでも早く終わらせるために、私は、大井さんを応援しようと思います。

 

 

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プリンスホテル二日目。

プリンスホテルで朝目覚めて。部屋から下を見ると、プールサイドで朝のヨガをしているのが見えます。私も加わればよかったかな?でも、夜おそくまでしゃべって寝不足だからと自分にいいわけ。おしゃべりは、もっぱら政治といつかあるであろう衆議院議員選挙について。みどりと、三角に飛び出しているのが、お風呂です。

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で、お風呂へ。朝風呂、朝の海風に吹かれながらの露天風呂がとても気持ちよくって。

それから朝ごはん。

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海を見ながら、しっかり戴きました。もう、お昼は食べなくっていいねと。

チェックアウトは11時なので、その後は24階へ。ラウンジは無料解放されていて、コーヒーやジュースなども無料です。

ここからもゆっくり海を眺めました。

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ましたの駐車場を見ると、やはり多くの車です。コロナで厳しかったようですが、これだけ人が戻ってくると、一安心でしょうね。

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一泊ですが、のんびりさせて頂きました。自宅に帰るとまだ12時前。

それから夜までじっくりとスライドづくりです。今度小学生に性教育の講義をします。これまで中学生にしかしていなかったのですが、小学生に挑戦です。低学年と高学年に分けて。楽しみではありますが、一面不安もあります。低学年には、「いのち」を高学年には、「思春期」を中心に話そうと思います。動画を駆使して、楽しくしようと・・。その前に、今度法廷に立たなければなりません。子どもの性被害の証言です。それはちょっと憂鬱。いろいろと頑張りましょう。

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広島グランドプリンスホテルにいます。

今日は、ここ広島グランドプリンスホテルにいます。姉母娘と友人のKさんの女四人で泊まりに来ました。

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食事は、22階の海が見えるレストランで。

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前菜とデザートだけアップしますね。広島の食材を使った上品な和洋折衷のコースです。

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ゆっくり夕食を戴いた後で、今度はお風呂。前からプリンスホテルの温泉に入りたかったのですが、これまでチャンスがありませんでした。サウナも露天もあっていいお風呂でした。

実は、ここ、プリンスホテルには大きな思い出があります。2002年夏、このプリンスホテル全館を借り切って、「性教協  人間と性教育研究協議会」の全国大会を行いました。全国から、1300人余りの方が来られ、大盛況でした。広島サークルのみんなは大変頑張りました。何といっても、参加費も安く、ホテルにもがんばって頂いて、全体を何とか安くあげるために、旅行会社に入ってもらわないで、参加者個人で広島に来て頂くこと。ホテルでの部屋割りなどは、すべて広島サークルで行いました。模擬授業も分科会の発表も、大変性教育が盛り上がっている時で、素晴らしいものがもり沢山でした。全体会での講演は、先日亡くなった、映画監督の大林宣彦さんでした。その熱い四日間は私の一生の中でも決して忘れられないものになりました。

また、この大会には、その直前の平和宣言でアメリカを厳しく断罪した秋葉市長が挨拶に来て下さり、みんな大喝采でした。その時のことを揶揄して、その後の市長選で全くあり得ない捏造を、いわゆるごろつき新聞に書かれ大量にまかれて、私たちは刑事告訴しました。何人もの右翼が逮捕、実刑判決を受けるというおまけまでつきました。(それまで、市政の人事まで牛耳っていたごろつきを追放できたものです)

プリンスホテルで、そんなことを思い出し、胸が締め付けられる思いがしました。入口正面の池です。

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明日までゆっくりします。明朝海を見ながらお風呂に入るのが楽しみです。

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特別養子縁組・小さな研修会

昨日の木曜、休診日、午前中にはクリニックで小さな研修会を行いました。特別養子縁組について。

お客様は、東京から「ATTI Japan」の榊原明美さん、名古屋から「NPO CAPNA  旧子どもの虐待防止ネットワーク・あいち」の萬屋育子さん。

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待合室にスクリーンとプロジェクターを用意して。私は、作ったばかりの特別養子縁組養親希望の方の研修資料の一部をプリントして読んで頂きながら、当院で行っている養子縁組のお世話の内容についてお話しました。実親の出産前から、出産後立ち直りに至るケア。養親の、親になるための子育ての練習から、諸手続きのサポート、その後の相談に乗りながら子育てへの寄り添いなど、長く続くケアについて。とくに、実親のその後のケアには、実子がどのように育っているのか、それを知りたいという思いがあります。それにどう答えるかが必要になって来ます。大切に育てて頂いていることに安心して、自分自身の人生をしっかり歩んで行きます。それら、両方のケアに、ラインが大活躍することなど、ラインのスクションの数々を見て頂きました。

実は、かずる特別養子縁組組あっせん事業所の中に、家庭裁判所に提出する書類は、本人任せというのもあるのを聞いて、びっくり。裁判所への手続きは、結構長い文章も書かなければならなかったりして、なかなか大変です。

当方では、書類は一緒に作り、ほとんどの方の場合、共に裁判所に行きます。いわゆる同行支援です。でも、遠方でそれが困難な時には、すべての書類を当方で整えて、これをこのままもって裁判所に行き、提出してくださいと送ります。最初に困難な書類の提出のところで、絶望的になることもあるらしいのですね。

そのようなケアの状況のお話をして、今度は、お二人から、愛着形成がうまくいかなくなった時の、これは特に生まれてすぐの養子縁組ではなく、ある期間養護施設で育った後の、養子縁組の時などにおこりうるのですが、その時のケアについて、動画を見せて抱きました。「ATT Japan」は、「愛着とトラウマのトリートメント研究所」の略称です。その数々の研修会のチラシです。


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「CAPNA」は、子どもの虐待防止のために、様々な危機介入や啓発活動をされています。

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お二人から、貴重な著書も戴きました。

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その後、情報交換もしっかりできました。今後一緒にできることが沢山ありそうです。日本のあちらこちらで、貴重な働きをしている方たちが沢山おありだと、改めて知りました。

大切な時をすごすことができました。ますます力を頂いて、私も頑張ろうという気になりました。えんぽうから来て頂いて、ほんとうにありがとうございました。
 

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カープの愚痴です。

フェイスブックでは、少し写真を出したのですが。これはまた別の写真です。

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内野はすでに日陰ですが、外野はまだまだカンカンのお陽さまの直撃を受けて、暑いのなんの。カープ観戦に行けるのはうれしくてうれしくて。そわそわ待つのですが。まあ、情けないったらありはしない。覇気がないですねえ。もう、つまらなくって、途中で帰りました。

観戦する私たちも元気が出ません。だって、マスクをしているのに「大声を出さないでください」と繰り返し言うのですよ。カープを観に行って声が出せないなんて。七回の裏のカープの歌を歌いながら、風船を揺らして飛ばすという、それもまあ風船が危ないので飛ばせないのはわかるけど、だったら代わる何かがないと。じっと、流れる歌を聴くだけというのも、元気が出ませんよ。「歌唱もしないで」て。歌くらい歌っても、と思うのだけど。なにもかも禁止!! 禁止、禁止ばかり。仕方ないことではありますが、過剰じゃないの?と思います。

球場に行けるのはうれしいけれど、そんなに楽しいものではありません。

途中で帰ったら夫がびっくりして。「どうしたの、途中で帰って来たの?」と。うんというと、ぶっと噴出して、わははは、と大笑いしましたよ。

この前、大分の兄の所に行ったら、もうとても弱っているのに、カープの試合はテレビで必ず観ると。福岡の兄に、大分に来ませんか?一緒にお見舞いして、その後家に泊まればといったのですが、もう、運転がしんどいといいました。その次兄も、「カープはどうなっとるんかね。毎日テレビを見てるんだけど。元気がでんよ。」といいます。

こんな風に、遠くにいる人達、昔っからカープファンでいる人たちが、球場にいくこともかなわず、ひたすらテレビで応援しているのですね。観音に球場があるころ、まだナイターもできず、テレビの放送もなく、球場に行くかラジオを聴くかしかなかったころ。そのころからのファン、年をとっても、今も熱くカープを応援していることを、監督は分かっているのかね。まったく、もう、情けない試合をして。

今日、球場で食べたむさしの「カープ女子弁当」。もみじ饅頭も入ってると嬉しかったのですが、餡のないカステラだけのでした。久しぶりのむさしのおむすび、おいしいけれど、少し塩がきついような。暑い中で食べるから塩を多めにしてるのかしら、と思ったのですが、違う?

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今日は、午前中はクリニックで「特別養子縁組」の小さな研修会をしました。これについては、またご報告しますね。

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世田谷のふるさと納税「インドカレー」のセット

来ましたよ~!世田谷区のふるさと納税の返礼品。こんなに。

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世田谷にあるインド料理のお店の。何でも、テレビのカレー選手権で優勝したこともあるらしい。

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で、今日の晩御飯は、姉母娘と私たちの四人で。でっかいナンは切り分けて。プレーンのとチーズナンとスイートナンと。

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メニューはこうです。

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ヨーグルトのドレッシングは絶品。でも、オニオンビックルは激辛と書いてあって、注意しているのにパクリと食べて悶絶している人がいました。夫は、胃がないので、唐辛子が腸を直撃して、動きまわるのです。釜焼き卵ってこれまで見たことないのですが。岩塩でついていましたので、それを付けて。

カレーは、ホウレンソウとチキンのと、ポークの。それぞれ本当においしくて。お腹いっぱい。

大満足です。

世田谷区からは、とても丁寧な手紙が入っていました。「新型コロナとの闘いのためにご援助頂きありがとうございました」と。それに特性のTシャツも。世田谷居住の娘に世田谷のTシャツいる?と聞いたら大笑いされたので、私がパジャマ替わりに着ます。XLですので。

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区長には、ぜひ頑張ってほしいですね。返礼品もよかったので、もう少し時間をおいて、またふるさと納税をしようと思います。

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特別養子縁組養親希望の方への資料作りが続いています。

特別養子縁組の養親希望の方たちへの研修、その資料づくりが完璧にできたように言いましたが、実は、まだ続きを作っています。というのも、肝心の子育てのことについて、母親学級で使う資料を使おうと思っていたのですが。その資料を見ていて、あまりに妊娠中のことが多くて。それは、自らが妊娠・出産をするのでなく、親になろうとする方には、少々気の毒ではないかと。出産後の所から入らなければ、と思ったのです。

特別養子縁組あっせん事業者の厚労省の研修に行った時、養親希望の方たちにどのような研修をしなけければならないかという講義がありました。それによると、こんなのです。

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いろいろと悩んで、結局自分で作ることにしたので。いろいな本を参照にしながら。そして、これまでも養子縁組をした養親の方々の子育ての相談に乗って来た(今ではラインという便利なツールがありますので、それを駆使ししています)経験から、頑張って作っています。

何より参考になるのは、広島市の「母子手帳」です。母子手帳は、実親が使っていたものをそのまま養親に渡します。でも、養親になるひ人が事前にもらって読んでおくことはできませんので、その母子手帳に書いてあるこことを参考にして、作っています。

赤ちゃんの発育のこと、それも単なる体の発育でだけではなく、精神的な発育、いやいや期のことなども特に。そして、赤ちゃんの時だけでなく、子どもとしての発達、思春期のことなども踏まえて。

でも、思うのです。みんなこんな研修を受けて、親になるわけではありませんよね。

今日、患者さんの妊婦さんが「母親学級がコロナの関係で中止になって、受けられないので、すごく不安」と言われました。

「母親学級で習わなくても、生まれてから必要なことは病院で教えてくれるから。実際にやった方がはるかに勉強になるのだから、不安に思わなくても大丈夫よ。勉強をしなければと思うのだったら、この母子手帳をしっかり読んでご覧なさい」といいました。そこには、不安に思うことのその対処方もしっかり描かれています。

みんな子育ては試行錯誤です。完璧を目指したら、それこそノイローゼになってしまうでしょう。そんなことを含めての研修をしたいと思っています。

まだまだ時間がかかります・・。

 

 

 

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特別養子縁組の養親希望の方への研修

一週間の夏休みが終わり、今日から診療再開でした。当然ではありますが、忙しかった!!です。昼休みは少しの時間ですが、ローソンの冷やし中華ミニを食べられただけ良かったですし。終わりもそごうの閉店までに駆け付けることができました。

夏休みの間、大分に行っている時以外は、ずっとクリニックに出勤していました。休みといえども、次々と電話がかかるし、来られる方もあって、忙しく対応しました。そして、ずっと取り掛かっていたのが、二つのスライドを作ること。やっと出来上がりました。

実は、特別養子縁組の養親希望の方への研修のためのスライドです。一つは、特別養子縁組についての基礎知識。希望すると、どうなるのか、具体的に赤ちゃんを迎えるのは、どういう流れになるのか、裁判所への手続きは?などなど。これまで、マンツーマンでこれらの研修をしていましたし、例えば手続きなどはすべて私がやっておりましたが、それらを「見える化」しました。それをスライドを使いながら説明もしますし、それの一ページずつプリントをして、冊子としてお渡しもします。

もう一本は、事例が沢山ですし、写真もいっぱいなのでプリントはしません。スライドを見ながらお話をしたり、考えて頂いたり、話し合ったりのためのものです。これまでの私の実践が詰まった集大成みたいのもので、誰にもまねができないものと自負しています。養親希望の方に家庭訪問した時に、そんな研修をしようと思います。

 私は、これまで国内外のたくさんの方たちの養子縁組のお世話をすることで、ほんとうに多くのことを学ばせて頂きました。それらを通して、養子縁組に対する信念も徐々にできました。

私は、嘘や秘密のない子育てを、と思っています。それに、子どもを育てるのに、しつけよりも何よりもかわいいと思って育ててほしい、それには、仲の良い優しいご夫婦でいてほしい。どちらかの力が一方的に強い夫婦よりも、力関係が平等で、楽しい夫婦でいてほしいと思っています。贅沢なようですが、難しいことではありません。それらの方々が養親になる条件だと。

研修のためのスライドが出来上がって、ほんとうにホッとしました。というか、一応基本ができたので、これから実践をしながら追加したり、訂正したり、充実させようと思います。

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夏休みには、大分の墓参りとお見舞い以外はどこにも行かずでしたが、何より充実した休みになりました。

 

 

 

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別府から帰りました。

昨夜というか今朝午前1時に無事広島に帰ってきました。2泊3日の別府行きでした。

目的は全部果たしました。

河野家の墓掃除と墓参り。ひたすら暑かったです。

私の兄のお見舞い。二か月間中断していたオプジーボを再開したばかりで、大分弱ったというか、ほとんど寝ていました。

我が家の庭の草取り、掃除。夫が主にしましたが、私はラベンダーに蔓が巻き付いて枯らしているのをほどいたり引き抜いたりしていると、まあ、いっぱい何十も蚊に刺されてしまって、早々に撤退です。

食事は、近所のスーパーで買ってきたものを中心にずっと家で。せっかく別府まで来て、どこにも食事に行かないなんてと愚痴を言ったら、墓参りの後で、港に行ってみようかと。別府港に夫のお気に入りのレストランがあります。焼き魚定食とか、私は団子汁とか。行くと、そこは閉じていました。コロナで、風通しよくできないので閉めているのだと。でも、二階に食堂がありました。行ってみると、広い食堂。多分、バスツアーとかに使われているのでしょうか。海が見えて、なかなかのロケーションです。でも、客は一人もいず、私たちだけです。

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当然、窓際に座って。夫はブリの琉球定食、私は大分名物定食。

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夫の琉球は、実家ではいつもお茶漬けにしていただくのですが、お茶もないので、お湯をくださいと頼んでもってきて頂きました。私の大分名物は、とり天とだんご汁です。大分のとり天はたれにつけて頂くのですが、カラシがなくってちょっと残念。だんご汁は??。だんご汁定食の方がしっかりした団子汁なのかもしれません。

海の景色は素晴らしい所です。

別府はやはり観光客が少なくて、いいのかしらと思うほどです。ゴールデンウィークでは市長が「来ないで頂きたい」と強く言っていましたので私たちも行かなかったですが、今回はそうは言っていないみたい。そうすると経済が大変なのでのでしょうか。私たちは、港のレストランとスーパーマーケットの買い物に行った以外は観光地などにはどこにも行かず、籠っておりましたのでご迷惑はかけていないと思います。

そして、私は特別養子縁組についてのスライドを二本作りました。これは、また明日ご報告しますね。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」鴨下全生さんの講演②

今日は終戦記念日。戦後75年です。8月6日から続いて本日まで、例年になく多くの報道に接しました。新聞、テレビ、どこの社も力の入った報道がなされ、まだまだ日本の良心は捨てたものではないと思うこともしばしばでした。

 真夏の暑さもすさまじく、どなたかのフェイスブックで見ました。こんなに暑い日本の夏だから、この中でオリンピックをしようとするのがそもそも無茶な話なのだと。今でさえ、次々と熱中症による死者が出ているのに、この中でスポーツをすることで、または観戦することで、多くの死者が出るのではないかと危惧します。

今日は、義母のお墓参りをして、広島に帰ります。

昨日の鴨下全生さんの講演の続きを転載しますね。高校生にしては、あまりに力の入った、それだけ様々な体験をしたからでしょう、それらを通しての心からの訴えです。

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3
国は、避難住宅の提供さえも打ち切りました。
僕は必死に残留しているけど、多くの人が、やむなく汚染した土地に戻っていきました。
でも、広く東日本に降り注いだ放射性物質は、8年経った今も、放射線を放っています。
汚染された大地や森が、元通りになるには、僕の寿命の、何倍もの歳月が必要です。
だから、そこで生きていく僕たちに、大人達は、汚染も被曝も、これから起きる可能性のある被害も、隠さず伝える責任があると思います。
嘘をついたまま、認めないまま、先に死なないで欲しいのです。

原発は国策です。そのため原発を維持したい政府によって、賠償額や避難区域の線引きが決められ、被害者の間に分断が生じました。傷ついた人同士が、互いに隣人を憎み合うように、仕向けられてしまいました。
僕たちの苦しみは、とても伝えきれません。
だから、どうか共に祈ってください。
僕たちが互いの痛みに気付き、再び隣人を愛せるように。
残酷な現実であっても、目を背けない勇気が与えられるように。
力を持つ人たちに、悔い改めの勇気が与えられる様に。
皆でこの被害を乗り越えていけるように。
そして、僕らの未来から、被曝の脅威をなくすため、世界中の人が動き出せる様に、どうか共に祈って下さい。

このスピーチを終えた僕を、フランシスコ教皇は、優しく抱きしめてくださり、その様子は広く国内外に報道されました。

 一方、(フランシスコ教皇は)その日の夕方に対面した安倍総理には、
『今回の来日では、特に東日本大震災の被災者らのおかれている困難な状況の証言に、強く胸打たれ、心を揺さぶられた』 と話され、その後、大変厳しい言葉で『唯一、対話によって核の問題を解決すること』 を強く求め、特に
『わたしたちは若者たちに対し、むなしいことばでではなく、誠実にこたえなければならない。まやかしではなく、事実によってこたえるのです』
と、迫りました。 しかし残念ながら総理の耳には、ローマ教皇の説教すら残らなかった様です。

 そして翌日、フランシスコ教皇は帰路の飛行機の中で、歴代ローマ教皇として初めて原発に反対を表明されました。これは、13億と言われるカトリック教徒だけでなく、世界に大きな影響を与えたと報じられました。こうしてフランシスコ教皇は、正に『声を発しても耳を貸してもらえない人々の声』に、なってくれたのです。

4.
 しかし僕は、教皇にハグされた集会の直後に、会場にいた被災者の若い男性から罵倒されました。
「さっきの話の 『避難できた僕らは、まだ幸せ』 とは、どういう意味だ。俺は今も福島県に住んでいる。あれは、どういう意味で言ったんだ。」と、繰り返し言われました。

 僕は、突然のことでうまく反応できず、その方に納得してもらえる返事ができませんでした。
そのことがずっと心に残り、夜半から急性胃炎で 39 度の熱を出し、激痛に5日間苦しみました。

 僕たちのようないわゆる自主避難者は、しばしばこのような恫喝を受けます。中でも一番辛いのが、今も福島に住んでいる人や、親族が福島にいる方の言葉です。その主張は決まって「放射能が危険なのではなく、汚染や被曝という言葉を使う人が悪であり、これを成敗しなければ自分達の生活が危機に晒される」というもので、正義感と危機感で強く責められます。しかし、訴訟の中でぼくらがずっと主張してきたとおり、今も凄まじい放射能汚染があることは明白です。

 僕が辛いのはここです。もしも、その人たちが、本当に原発事故前と同じ平和な生活が出来ていたなら、10 代の僕の言葉にいきり立って、わざわざ罵倒しに来るでしょうか? その方も、今も語れない辛い思いを抱えているから、そういう行動に出てしまうのだと思います。たぶんあのとき、僕がすべきだったのは、汚染の実態を伝えることではなく、その方の何が辛かったのか、何で苦しんでいるのかを、ただじっと聞くことだったのだと思います。

 これが、僕が直面している分断の姿です。
苦しんでいる人同士が、互いに石を投げ合って、更に傷つき、力尽きていく。
元をただせば、全ては原発事故による被害です。放射能汚染に起因する営業損害や、安全への不信感。今も続く被曝や、将来の病気への恐怖、避難の苦痛。そして何よりも、コミュニティーの崩壊。司法に訴えることも出来ずに、涙を流しながら沈黙している人たちが、今も無数にいるのです。

 それでも、先日、黒い雨裁判では、国が区域外と決めた地域の方々の訴えが完全に認められる、素晴らしい判決が出されました。あの判決は、区域外避難者としてずっと差別されてきた僕たちにとって、最高のエールとなりました。ぼくらも諦めずに、声を上げて行きたいと思います。そしてどうか全国の原発事故被害者の訴訟も応援してください。

ありがとうございました。

鴨下さんをはじめとして、どれだけの被災者が苦しみ続けて来たことか。これを私たちは決して忘れません。そして、これからも共に戦い続けることを、改めて誓います。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」鴨下全生さんの講演①

暑いですねっ!!

今、別府にいます。私は、よく診療後の夜中に車で走るのですが、夜よりも明るい内が疲れないと思っていました。が、昨日は、カンカン照りの中、車を走らせるのに、すっかり疲れました。走行中はクーラーは効かせても、直射日光が体を直撃します。到着するとぐったり。帰りは夕方にしましょう。

到着して午後8時からリモートの会議。確かに、どこにいても会議ができるのは、リモートはいいのですね。久しぶりの友人たちと会えてうれしかったです。

今日から、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」での、鴨下全生さんの講演の原稿を戴きましたので、それを二回にわたって掲載いたします。今のような状況で、広島に来るかどうか、お母様と共々ギリギリまでずいぶん悩まれました。その末に、いらっして下さって、本当にうれしかったです。また、その発言もとても貴重でした。残念ですが、スライドは出せません。写真は講演中の鴨下さんです。

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ご紹介ありがとうございます。鴨下全生です。講演に先立ってお伝えしたいことがあります。

1
このコロナ禍で集会を開くことには、いろいろな意見があると思います。
残念なことは、既にその問題が分断の原因になっている点です。
沢山の集会や勉強会が、やむなく中止になったり、オンラインで行われたりしている中、集会をしたいのに諦めた人たちの中には、集会をしている人たちに腹を立て、正義を振りかざして攻撃する人もいます。この集会を動画で見ている人の中には、僕たちを軽率だと断じ、許せなく思う人たちもいるでしょう。本当は、政治がしっかりしていないせいで、このような分断が生じているのに、それを正すことなく、衝突してしまっていることが、僕には残念でなりません。

集会だけではありません。今、この国では、マスクをする、しない、とか、店を開くか休業するかなど、身近な場所で、ごく普通の人が、急に正義の剣を振りかざして、見ず知らずの人を攻撃することが、頻繁に起きています。

これは、原発事故後にも頻繁に見られた光景です。あの時と、同じような分断が、コロナ禍の今、様々な場所で起きています。僕らの周りには、沢山の正義があって、それは絶えず衝突を続けています。議論は大いにすべきです。でも、攻撃をしあってはダメなのです。僕らが対立している間に、政府は悠々と、とんちんかんなことを続けてしまう。

結局、何かを変えようとするには権力が必要です。
今、科学的に正しくないことをしている隣人に対して何か言ったところで、全ての元凶である政治を変えることはできないでしょうし、政府の的外れは止まらないと思います。もちろん、自分が思う正しいことを主張することはいいことですし、むしろ、それをやめてはいけないと思います。しかし、だからこそ、その労力は一番効果がある方法で使ってほしいのです。

2
去年の 11 月、ローマ教皇フランシスコは、この広島で核廃絶と世界平和を祈るスピーチをされま
した。その時の一節に、教皇の来日の目的が明かされています。

『私はつつしんで、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。』

――――――――――――――――

僕は 18 年前に、福島県いわき市で生まれました。
福島の地図だとこの辺です。原発から南に約40Km。
原発事故後に避難し、今も東京で避難を続けています。
2011 年 3 月、大地震と大津波のあった翌朝に、僕は、避難のために住み慣れた家を離れました。

当時の僕は、よく状況が呑み込めず、これはきっとよくある週末の旅行だと思っていました。
おばあちゃんちに泊まって、日曜日には帰って来て、月曜日にはまたいつもの登校班で小学校に行くんだと。そう思って福島の家を離れてから9年。今だに放射能汚染は、なくならず、僕は東京で高校生になりました。

避難してからの日々は、福島にいた時とは全く違う、不安定な毎日でした。
住居を転々とし、転校先でもいじめられ、僕も弟も吐いたり鼻血を出したり、よく体を壊しました。
肉体的にも精神的にも苦しい事が多い日々で、気付いたら自尊心がボロボロになっていました。
更に政府による避難住宅の提供打切りなど、生活の不安も増え、苦しみは増すばかりでした。

やがて高校生になり、生きていくのがどうにも辛くなった僕は、ローマ教皇に手紙を書きました。
返事の代わりに届いたのは、教皇謁見の招待状でした。そこで僕はバチカンに行き、ローマ教皇に謁見し、改めてメッセージを伝えました。教皇からは励ましの言葉と祝福をいただきました。
また昨年 11 月にローマ教皇が来日した際には、原発事故の被害者として、2 分のスピーチの時間をいただきました。今から、その時のスピーチをお話しします。

僕は福島県いわき市に生まれました。
8歳のときに原発事故が起きて、被曝を逃れるために東京に避難しました。でも、父は、母に僕らを託して、福島へ戻りました。父は先生で、僕らの他にも守るべき生徒たちがいたからです。
母は、僕と3歳の弟を連れて、慣れない場所を転々としながら避難を続けました。
弟は、父との別れが寂しくて、布団にもぐって泣きました。
僕は避難先でいじめにも遭い、死にたいと思う程つらい日々が続きました。
やがて父も、心と体がボロボロになり、仕事を辞めて東京へ来ました。
それでも避難できた僕らは、まだ幸せなのだと思います。

この先、明日に続きます。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」沖縄、仲村未央さんのメッセージ

「8.6.広島平和の夕べ」からちょうど一週間です。司会の冒頭にお話ししたのが、「黒い雨の裁判で、やっと、75年も経ってやっと被爆者として認められるという判決が出ました。どうか、国、広島県、広島市は控訴しないで頂きたい。」ということでした。

 それが見事に裏切られました。「判決には、科学的事実がない」などと、いけシャーシャーと言ってのけた、厚労大臣。判決を読んだのでしょうか。黒い雨の放射能、その障害について述べられ、原告一人一人にどのような健康障害があったのか、見事に述べられています。そして、その放射能による内部被曝の健康被害についても、数々の論文が提示されています。それらの検証の結果で出された判決です。まるで裁判官を無能とでも言っているかのようなコメントには全く納得できません。

どうにも、怒りが収まりません。

今日から、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について、振り返りを書きたいと思っているのですが。この控訴と全く関係ないことではないと思います。今の広島、沖縄に対して国が行っていることがますます明確になって来たと思います。

今日は、沖縄の仲村未央さんのメッセージを転載します。沖縄が新型コロナで非常事態宣言を出している今、県議である仲村さんは広島に出かけることは不可能となりました。そのために送って下さったメッセージです。会場では、高山いづみさんが朗読して下さいました。

仲村未央さんです。写真はホームぺージから戴きました。そして、朗読して下さった高山さんです。素晴らしい朗読でした。高山さんはこのようにおっしゃっています。「仲村さんのメッセージは名文だと思いました。怒りと希望と勇気にあふれている!代読なのについ感情が昂ぶりそうになりました。」

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 沖縄戦で失われた命を刻む「平和の礎」への追加刻銘はことし 30 人でした。県内出身者 20 人、県外 9 人、米国人1人。総数は 24 万 1593 柱となりました。戦後 75 年がたつ今日もなお、奪われた命の重さ、残された者の悲しみは増すばかりです。

 

 住民を巻き添えにした凄惨な沖縄戦、米軍占領と今日までつづく米軍基地の負担がその後の経済活動、都市基盤整備、教育や社会保障に至るまで県民生活にどれほどの支障を与えてきたのかという視点なくして、辺野古への新基地建設を断固拒否する県民の心は語れません。

 

 そんな中、沖縄では、米軍人の新型コロナウイルス大規模感染が明らかになりました。


在日米軍は、入国審査、検疫にかかる国内法の適用が除外されています。日本政府は日本に入国するすべての米軍関係者にPCR検査を義務づけるよう、米側へ働きかけていることを表明しましたが、根源にある日米地位協定の問題にはいっさい触れようとしません。基地と隣り合わせに暮らす現実が私たちの命と生活を脅かし続けています。

 

その上、政府は、あらゆる選挙で示されてきた沖縄県民の民意を無視し、このコロナ禍においても辺野古埋立て工事を強行しています。

 

沖縄が緊急事態宣言下にあった 4 月、辺野古埋立ての変更計画が不意に県庁に申請されました。3 カ月にわたった形式審査は終了し、今週にもその公告縦覧が始まります。

 

工期は大幅に延び、工費も 3600 億円から 9300 億円と 2.7 倍になりました。軟弱地盤が発覚し、工法や環境措置のずさんさに専門家からの指摘、批判が相次ぐ中、また一方では、イージスアショア配備計画の断念が伝えられる中、それでも「辺野古が唯一」とされることにはまったく納得がいきません。私たちはこれからも、何度でも「民意」を突きつけ、いずれ来る玉城デニー知事の判断を支えていく決意です。

 

 私は今日沖縄の地から、皆さんと同じ光を見ています。75 年前の忌まわしい記憶を受け継ぎ、いまに生かしていきましょう。明日には必ず希望があることを信じ、わたしたち自身の不断の歩みによって築く社会が誰をもの命を奪わず、平和のうちに輝かせるものになると確信し、心を合わせます。

 

 2020 年 8 月 6 日

沖縄県議会議員 仲村 未央

 

広島原爆の日の祈りに代えて


仲村未央さん、お忙しい中での、熱いメッセージありがとうございました。戦中、戦後、ずっと沖縄がおかれている厳しい状況を「8.6ヒロシマ平和の夕べ」は決して忘れません。常に思いを一つにし続けたいと思います。

 

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控訴の市長記者会見。怒りでいっぱいです。

先ほど、市長の記者会見の報道がされました。怒りに震えています。

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国から黒い雨の拡大などが示されたからということを言っていますが、訴訟の控訴はしないで、救済を考えればいいいではないですか。みんなポーズばっかり。総理も厚労省も知事も市長も岸田氏も。

これ以上、老いた被爆者にまだまだ裁判を続けろと負担を強いるのですね。国や厚労省のメンツに対してはっきりノーと言えない市長、知事。信じられません。きっと国は、この判決が放射線の内部被曝に及んでいることが都合が悪いのでしょうね。この判決を認めると、福島の被曝者についても補償を認めざるを得なくなるから?だからこそ、画期的な判決だったのですが。

ほんとうに気分が悪い。怒りが一杯です。

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「黒い雨」訴訟・国、県、市、控訴

ひろしま地裁の「黒い雨訴訟」、今日、厚労省、広島県、広島市は控訴するようですね。放射能を含んだ黒い雨に打たれて以来、75年間も経ってやっと被爆者として認められそうという時に、そして、原告も次々と亡くなって行っているというのに、何と。さらにまだ待たせるのですか。待っている間に原告はさらに亡くなってしまいます。

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厚労省に、「控訴しないで下さい。75年も待たせた原告を早く被爆者として認めてあげて下さい。これは、広島市民の民意です」という趣旨の意見を厚労省に送りました。そしたら、今日、返事が来ました。おお、意見をもらいっぱなしでなく、ちゃんと返事をするのだと思ったら。こうです。

「厚生労働省です。

この度は貴重なご意見・ご要望をいただきありがとうございました。

頂いたご意見は今後の厚生労働行政の参考にさせていただきます。

これからも厚生労働省をよろしくお願いいたします。

このメールは自動的に返信しています。」

あはは、自動的に器械が返信しているのですね。

こんなものなのですね。今の政権、自民党,厚生労働省、広島県知事、広島市長。この怒りをどうすればいいのか。結局こんな政権を支えている国民の問題なのでしょうが。

明日、私は大分にお墓参りに行きます。またまた県を越えての移動を控えるようにと言っているけれど、夫は長男の一人息子。行かないわけにいかないのです。迷惑かけることはしないつもりでいますが。大分から、今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」についての振り返りをしようと思います。

なお、現在、「8.6ヒロシマ平和の夕べ・2020」の全編をIWJがYoyTubeで視聴できるようにしてくださっています。IWJの皆様、長時間撮影して下さり、同時中継、そして、今回の全編公開、本当にありがとうございます。感謝申し上げます。アドレスは次の通りです。皆様ぜひご視聴下さいませ。

https://youtu.be/fOHI0Lwx8po

プログラムは次のごとくです。なお、沖縄の仲村未央さんのメッセージ、高山いづみさんの朗読は、2「被爆体験と私の想い」早志百合子さんの次です。

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比治山大学で講義。配布資料いろいろです。

昨日は、比治山大学現代文化学部子ども発達教育学科の一年生の講義に行きました。将来、保育園や小学校の先生になる予定の学生さんたちです。本来なら例年のように5月に行う予定でしたが、コロナの影響で昨日になりました。学生たちは、9月の終わりまで、休みなしで講義があるとのこと。大変ですね。でも、私の講義が実現できてうれしかったです。教師になろうとする人には、ぜひ「性教育」を学んでほしいのです。

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大きな教室で、座席は距離を置いて。

私も張り切ってパワポの用意をし、その原稿を患者さんの個人情報は抜いて印刷して頂いて、配布資料としました。それに加えて、蓮尾豊先生慣習の「避妊のおはなし」も。

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中身の一部はこんなの。大学生には、ぜひ知っていてほしいことがよくまとまっています。これは男性も女性もちゃんと読んで保管していてほしいのです。

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それと、デートDVについてと性的同意について。

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それから、教師になる人必見。子どもの性的虐待について。神奈川県の児童相談所のチラシです。

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これらを一杯配布して、そしてパワポをしながら二時間、しゃべりっぱなしにしゃべりました。マスクをしての二時間は少々くたびれました。

学生さんたち、よく聞いてくれてありがとう。素敵な教師になります様に。先生方、お世話になりました。ありがとうございました。

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昨日のカープ!!今日は講演

昨日はカープ観戦。さえないことでした。せっかくやっと行けた今年初めての観戦でしたが、何しろ打てない、ピッチャーも前回はあんな素晴らしい投球だったのに。今回はどうして?いうような、ボール先行、球数が多いし、まだ疲れてる?

ま、とにかく球場に行けたことだけでも満足です。しかし、もう、5000人でなく、一万人くらいに増やしてもいいのではないの?内野自由席、外野レフト側、一塁、三塁側のパフォーマンス席などには、全く客は入れてないのだし、何のための5000人かがわかりません。



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でも、うれしかったです。グッズも買えたし。車のフロントのサンスクリーン、これまでのがもう色が落ちてしまって新しくしたかったのです。それから、荷造り用のテープ、帽子。帽子は昨日は三割引きでした。

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またしばらくはテレビでの応援です。

今日は、これから比治山大学での講義に行ってきます。教師になろうとする学生必須の授業。五月にする予定が今日になりました。夏休みもなく、今日なんて祭日なのに、出てこなければならない学生さんたち、気の毒ですが。聞いてよかったと実感できる授業をしますよ~。

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では、行ってきます。

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映画「ひろしま」

昨日は診療後映画「ひろしまー1945年8月6日、原子雲の下の真実ー」を観に行きました。「ひろしま」は、被爆した子どもたちの手記、先日の平和の夕べで被爆証言をして下さった早志さんも、ここに載せられていますが、「原爆の子」を元に作成された映画です。

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「原爆の子」の初版本と今の復刻版です。

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映画は、1953年、日教組プロにより、広島県教職員組合と広島市民の全面的な協力で作られました。広島の子どもたち、小・中・高校生、大人たち、何と8万8500人がエキストラとして出演しています。私は、当時6歳でしたが、この時のロケをよく覚えています。市内の24か所で再現され、ロケされたということですが、私は観音中学校の体育館での撮影を観に行きました。

被爆前の一般の市民の生活、それから被爆後の再現はこれはすさまじく延々と続きます。そして、被爆後の市民生活。特に、親を失った被爆孤児や白血病で亡くなる高校生など。途中でたまらなくなります。

これらは、ネットからです。一人一人の表情。エキストラの方々は、ほとんどが被爆者自身なので、このような地獄の状況がよくわかっているのでしょうか。

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この川の所。最後は、先生も生徒もみんな流されていくのですが、ほんとうにこんなシーンを、一体どうやって撮影したのでしょう。実際、おぼれ死ぬのではないかと。

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それから、この子。「さむいよー、さむいよー、さむいよー」と実際震えながら訴え、そばで寝ている男に「うるさい!」と怒られると、「おかあちゃーん」と泣きながら走っていきます。この迫真の演技。ほんとうに、どうしてこんなことがこの子にできるのかと。

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戦後の似島学園、そこを脱走する子どもたち、たくましく生きようとする孤児たち・・。

私、昨日のブログで「最後は大泣きするだろう」と書きました。その最後というのは、市民たちが初めてしようとする「平和祭」。今の市主催の式典の原型ですが、そのシーンを撮るのに市民に呼び掛けると、広島市民が続々と集まってきました。延々と、何万人も。原爆でひどい目に遭ったからこそ、平和を希求する市民が続々と続きます。いつも、そこで泣けてきます。特に、今年の式典があまりにひどい市民の締め出しだったので・・・。

最後は、峠三吉の詩「墓標」の最後のように、原爆で倒れ、亡くなった市民や子どもたちもみんな立ち上がって、行列に加わろうとします・・。

いつも言うことですが、これは世界中のみんなが見るべきです。特に「原爆のおかげでこの戦争を終わらせることができた」という人たちも。

 

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8月6日の報道について。

8.6ヒロシマ平和の夕べが終わって、今、力が抜けたようになっています。そのご報告はゆっくりいたしますが、今日は、私たちのことではなく、8月6日の当日の報道について、早くに言っておかなければと思うのでそれを。今年は被爆75年でもあってでしょうか。とても力が入った、いい番組をたくさん見させて頂きました。おそらく、一日中、朝から晩まであったはずなのですが、私が見られたのは、朝のみ。NHKのニュースと、テレビ新広島の「TSS報道特別番組"誰がための放影研„被爆75年節目に問う」、中国放送の「おーい、聴こえますか?被爆75年・ヒロシマから 無関心と差別」の三つでした。

どれも力が入って、感動する番組でした。

NHKのニュースでは、被爆教師の森下さん。夫と同時に「あっ。森下さん、健在だ!!」と叫びました。早くから平和教育に取り組んで来られた森下さん。被爆教師の会の方たちの多くの方がなくなった今、森下さんのお姿に接して、感無量でした。

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森下さんの後に写っているのは、膨大な資料の数々。中でも、当初の生徒たちの直筆の体験談やアンケートがそのまま残っています。それがとても貴重な資料で、これらをどうするのか、どこに託すかを軸に、森下さんのこれまでの体験が語られました。中でも、トルーマンに会った時のそっけない対応だとか。

TSSは、今更というようなABCC、放影研について、丁寧に取材されていました。今年の私たちの平和の夕べでも語っていただいた早志百合子さん、谷本清牧師の長女、近藤紘子さんのお二人を軸に、どんなことをABCCがしてきたか、これからの放影研は同向かうべきか、線゛子からの流れ、さんざん言われた来たことをここでもう一度、問い直すという番組でした。

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「ABCCに連れていかれたら、まるはだかにして調べられるんじゃと」と私たちも恐れていましたが、お二人の言葉で、どんなひどいことをしたのか、よくわかります。、ABCCの資料が映った中に「性器の大きさ」なんてものがあって、息を飲みました。超音波もない時代にどうやって?「戦争に負けたんじゃけん、しょうがないんよ。我慢しんさい」という言葉が、胸に突き刺さりました。今後放影研はどこに向かうか。早志さんの「変わりゃせんですよ。臓器が欲しいんでしょ?」という言葉に放影研はどう答えるのでしょう。

そして、RCC。これまで、先輩記者の時代からずっと原爆小頭症の子どもたちと家族を支え、追ってきた、社としてのライフワークと言ってもいい数々のフィルムに、今回は、同じ胎内被爆者の寺尾文尚さんの活動を乗せてのドキュメントでした。寺尾さん、向原で社会福祉法人「ひとは」の理事長を務めています。ひとはでは、多くの知的障害のある方たちと共に生活し、わたしも大好きな「縄文あいす」作りなど、皆さんで活動しています。寺尾さんは、同じ胎内被爆という立場で、障がいを負った原爆小頭症の方たちと家族の会「きのこ会」をも支援しています。

 その寺尾さんが、この度、ガンにかかりました。胃の全摘などの闘病生活を「貴重な体験だった」と語ります。仲間たち(ここでは、施設の利用者さんたちを仲間と読んでいます)は、ずっとこんな思いをしてきたのだなと初めて分かったと。介護される立場を二週間だけだけどしてみてと。自分はこれまで彼らに寄り添い、分かっていたつもりだったと。でも、甘かったと。

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これまでの基調なフィルムを駆使し、相模原の殺傷事件など、障がいのある方たちへの社会の目に切り込んだ、また、あらたな視点の力作でした。

ただ、いつも思うのです。広島には沢山このような報道がされますが、もっと全国に流れないとと。いえ、世界中に。広島だけで私たちはわかったような気になっていても、ほかの地では、全く知られていないということをこの間痛感してきました。

動画、他の局でも、これらが報道されます様に。急いでの感想ですみません。ただ、これらを観た感動を早くに記しておきたいと思ったものでして。報道の皆様、ありがとうございました。あっ、それから、新聞でも、たくさんの報道がされました。読み応えがありましたということも付け加えておきます。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」ありがとうございました。

昨日、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」、無事終了しました。思いがけず多くの皆様に来場頂き、ありがとうございました。一つの机に二人掛けで、と用意しておりましたが、三人掛けをお願いしなくてはならなくなって、ご迷惑をおかけしました。

窓は、フルに開け、前後のドアも明け、廊下を挟んだ窓もすべて開け、空調と業務用の扇風機も回転させて、風通しはかなり良かったと思います。

そんな中で開催することができて、今、ホッとしております。これから時間をかけてご報告をいたします。今日は、写真だけですみません。私は、司会兼バタバタしていましたので、写真も撮れたり撮れなかったりで、不十分です。

岡内章二郎さんの、被爆樹木の葉っぱでの草笛。植木鉢を持っての演奏、重かったでしょう。美しい音色でした。

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被爆証言は早志百合子さん。私は、スライド係をしたので、写真は早志さんのフェイスブックから戴きました。壮絶な体験と、その後。がんの手術を半年に三回も受けて、でも、今も体操の先生として活躍されています。その頑張りに心打たれました。

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この後、沖縄の仲村未央さんのメッセージを高山いづみさんに朗読していただいたのですが、大正解。素晴らしい文章と、素晴らしい朗読でした。高山さんの写真がありません。どなたか撮っていたら下さい!!

森達也さんの平和講演『「核を持ってしまった世界」を問う』。遠くからの写真で、シールドの向こうのお顔が全然写っていなくて、すみません。アメリカのドキュメンタリー映画「アトミック・カフェ」の一部を流しながらのお話。また改めてお話したほうがいいかもしれませんが。早志さんのお話を聞いた後にこの話。アメリカで国民に原爆投下をどう教えられてきたか、ムカムカするお話でした。そのような中で、森さんは、今後も被害の話をしっかり世界に伝えるべきだし、同時に加害もと。私は、加害の話を被爆者に求めるのは、今、多くの被爆者が子ども時代に被爆していて、残酷すぎると思っていますが、腑に落ちるお話でした。

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「原発と避難の権利」高校生の鴨下全生さんと、宇野朗子さんのお話。鴨下君のお話は分断されることへの怒り。それは、コロナについてもと、これが高校生かと思うほど、示唆に富んでいました。

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そして、樋口英明さんの「私が大飯原発を止めた理由」。原発の危険性について、わかりやすくて重い命題ですのに、ユーモアにも富んで、明快なお話でした。どうして、こんな単純な話が多くの裁判官にわからないのか、それは、全国の弁護士がちゃんと教えてあげないからだとか。そして、それを知ってしまった私たちにも知った者の責任があると。

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全ての皆様、無事終えたことに感謝申し上げます。最大の配慮はしたつもりですが、後はこれからの二週間、皆様の健康をお祈りします。何かあった場合には、必ず、素早くご連絡下さいます様に。全ての参加者の皆様に連絡がつくような体制は取っております。どうぞよろしくお願いします。

 

 

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被爆75周年8月6日

被爆75周年の8月6日です。朝6時に目覚め、すぐに平和公園に向かいました。びっくり。もう、家の周辺から平和公園に向けて、たくさんの市職員と警察官。平和公園をぐるりと取り巻いて、中には入れません。あちこちに「招待者以外は、入場できません。」というプラカードを持った市職員。「お参りしたいのですが」と尋ねて、一か所だけ「一般の人」が入れる所があると。

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平和公園をぐるっとほぼ一周回ってやっと入口にたどりつきました。

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前の人との距離を取って下さいという声を聞きながら、慰霊碑まで。

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やっとたどり着いたら、いつものお線香の台はなく、「浄財箱」が真ん中に。お賽銭ですか。

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「お父さん、来たよ」と手を合わせました。

終わると、トボトボとまた縄に沿って出口に向かって一列で。

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振り返って。慰霊碑と平和の灯を。

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またずっと縄に沿って帰ります。

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二中の慰霊碑は、警察官に守られて。

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道のこちらから、手を合わせました。警察官に向かって拝んだみたい。毎年、父が亡くなる前は一緒に、亡くなってからは一人で二中の慰霊式に出ていましたが、今年ははがきがきた人のみと。平和の夕べの竹田氏と山下氏にはハガキがきたそうだけど、私には来ませんでした。ので、出られません。

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家に帰って、テレビで式典を観ました。やはり安倍首相は「黒い雨」については、一言も言いませんでした。

 これが、私が見た新型コロナに見舞われた、被爆75周年です。そもそも廃墟の中で広島市民が始めた式典が、市民排除で完全に官製の式典に。まさかこれはコロナのため?来年は戻るのでしょうか?

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」頑張りましょう。よろしくお願いします。


 

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今晩、明日のいろいろご案内です。

いよいよ明日、8月6日です。今年は本当に大変な8.6になってしまいました。私の夫なぞは、広島に来て52年、初めてこんなゆっくりした8.6を迎えるなんて言っております。全てのことが中止、またはネット配信、縮小と。

そんな中で、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」は場所を変えて今年も何とか実行しようとしております。事故のないように、最新の注意を払いながら行います。どうぞ、皆様、よろしくお願いします。

 本日、午後8時から、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の一昨年、2018年板が、IWJにてフルオープンで配信されます。当時のプログラムは、平和講演は小出裕章さん、、被爆証言は李鍾根さん、沖縄からは安次富浩さん、福島からは渡部美和さん、(渡部さんの発言はオープンにされません)
歌と演奏は松浦美喜さん等の「nancy channel with friends」大変濃縮された会でした。どうぞ、お時間が許す限り視聴して下さいませ。アドレスは大変長いですが、これをクリックしていただければ大丈夫です。

https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Ftwitter.com%2Fiwj_tokuhou%2Fstatus%2F1290638430062379012%3Fs%3D21%26fbclid%3DIwAR3jdaxyz9RuYuY4MVvITQW5dPGKJnsfFGRMc-GJlo_OltEePQ_AT_bL93Q&h=AT2FBW0HxmS7qnYAI29MF8y1NtQzfd6vcE85EEeoDmMAFfFcimOFxrM3VffeyiQXsjkLk-SRAic6rgtaCUOz1BVJD6tLkY3mnsS_pP9wR4DtcCZ39dHgjogokR2z1depTMAOg-1dkwx2Q7xerfxMopbAx2qdVdgd2ScfEQmmZ7jMgtNlTQHJuoFVNk7zZ0SntAmyNyuuv6z7AD7rxc6xJmbt5WZkGcG_FLchb8b-FPDkTHEoeyDUKW4Ql2m0FEV91cBAXjCSeeBtjst6DINpKtmNvJV-ORhGyMjmZ4vBYjRM9MSkjxCLX22gl2qlYluTD690UFX7O6h1IEOFjYudPkVxn1j8OO7GWyv7v3aG4eE3i7ZXft6CcL99XkDobHnYWzaUNffgid8bRY93rultE139OdjBCnk7k6_r6mZowaxdx8LTpP6nK-BSTdUxcRVwNDTknrdb0klV-_AF5Mdu2sLM2l3urgj7LeL13UQ3BetXEuC9mR4fOfcwRGilEvtCIXlvlabIwBQhJzg0tRV-FS5g0-eeN6LQD0jx0RHkg4U6gUaP3WSJQ9vw_NUB-wyekASTetzwiliOxMtRpd2QqJYyZKVvJw9g8mFi8gsSEwZmu9wbk7pkgzxAHnYxF5CeFCVfjawUoan3ndvMXfLMWA

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それから、もう前日になってしまいましたが、岡崎弥保さん、内山森彦三などの桂月企画、井上ひさし作「父と暮らせば」がネット配信されます。演出は、広島の私の後輩、観音高校の演劇部出身の蒔村三枝子さんです。

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どなたでも、無料で視聴できますが、カンパの受付もあります。これが案内された中国新聞の記事を張り付けておきますね。井上久氏の力作、キャストの皆さんの迫力ある演技、どうぞご覧下さいませ。私は、今日はかなりあちこちします。眠れるかしら。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」プログラムです。

悩みに悩んだ「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のプログラムが出来上がりました。

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残念ながら、「非常事態宣言」が出た沖縄から、県議をなさっている仲村未央さんは、県から出ることが出来なくなりました。何とか、情勢が改善したら、ヒロシマに行きたいとまだ望みは捨てていないとのことですが、無理をなさいませんように、と伝えております。仲村さんからは、メッセージを頂いています。このメッセージは、皆様にもお配りしますが、当日は、高山いづみさんに朗読していただきます。高山いづみさんは、一昨年上演された演劇「河」のキャストで出演されました。被爆証言伝承者の一員でもあります。適任と思い、お願いしたところ、気持ちよく引き受けて頂きました。ということで、どうぞ了承して下さいませ。

まだ、出演していただく方は、全国から来られますので、コロナ情勢が厳しい今、突然変わることもございます。その節は、また了承をよろしくお願いします。

被爆75周年、何とかこの会をしたいと迷い迷い、実行しようとしております。安全に最大限気を付けながら、行います。参加の皆様には、どうぞよろしくお願いします。

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世田谷区にふるさと納税

昨夜遅くに無事広島に帰ってきました。兄とも義姉とも話ができました。兄がほとんど食べられないとのことで、入院した方が、とも思ったのですが、入院すると、今は一切の面会ができません。自宅の方が姉も大変ではありますが、何とか食べられるようにあれこれ工夫をしたり喧嘩をしながらも、会話をして頑張っています。つくづく思うのですが、闘病をしている人は、体がつらいのもあって、どうしても身近な人にわがままをぶっつけたりします。こんな時には、看病人たちへのいたわりが必要になります。今回は、その目的が少しは果たせたかと思います。

ところで、コロナですが、一昨日テレビを見ていて、世田谷区の保坂区長が出ていました。世田谷では、これからPCR検査を増やしていくと。でも財源が。世田谷はふるさと納税で54億円流出していると。その半分でも減らせれば、それに、全国からのふるさと納税も募集していると。

なので、すぐに世田谷へのふるさと納税の手続きをしました。返礼品は、なしでもいいのだけれど・・と思いながら見ていると、これは!いいなあというのがあったので、それを頼みました。食いしん坊の私にはピッタリです。

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インドカレーのセットです。中身はこうです。インドカレー大好きなので楽しみです。

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メッセージを「娘が世田谷に住んでいます。コロナ対策頑張って下さい」としました。

昨日、ネットでそう区長が呼び掛けたその日に150万円ふるさと納税が集まったと出ていました。また、時間をおいて寄付してもいいかな?と思っています。

世田谷の号外NETを張り付けておきますね。ニューヨーク市に学ぶということが書かれています。

https://setagaya.goguynet.jp/2020/07/29/setagaya-model_bs-tbs-houdou1930/


 

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広島市の記念式典とアンデルセン

今朝の出勤途中での平和公園です。すっかり準備ができていますが。ソーシャルディスタンス?

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今年の式典は例年の1割の出席者。それも、市民の参加はなく、招待された人だけだそうです。遺族も一体何人なのか。多くは、議員さんたち?国会議員や地方議員さん? 河井夫妻も招待されているのですって?まさか、拘置所から外出許可を取るはずもないですね。

私の家の周りの道路には、こんな立て看板が沢山設置されました。

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「平和記念式典には、招待者を除き、参列できません」と。招待者は次のごとく。広島市のホームページからです。

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「一般席、自治体席、外国人席は設けない」そうです。市民を締め出して、完全に官による官のための式典でしょうか?

アンデルセン本店が今日、リニューアルオーブンしました。被爆建物が生まれ変わったのだけれど。一部、被爆建物を保存していると聞いています。がどこに何が保存されているのか、外からではわかりません。中に入って確かめたかったけれど、お昼時間に頂いた整理券では、入れるのが午後三時以降になるというので、あきらめざるを得ませんでした。明日の朝食とお見舞いのためのパンもどっさり買いたかったのですが、ダメでした。

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はい、私は今、大分の別府にいます。診療後、急に兄の所に行くことになって、夫と姉と一緒に来ました。疲れていますが、明日には帰るつもりです。

 

 

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