鶴見橋と被爆シダレヤナギ
昨夜のウォーキングは韓国語の教室があって遅くなったので近場でとリクエスト。夫から「鶴見橋まで行こう」と。
平和大通りをひたすら東へ。鶴見橋が近づいてくると、
「このあたりはね、女子生徒がたっくさん建物疎開の学徒動員で働かされていて、本当にひどい目に遭った所」と夫。鶴見橋を渡った所に「被爆柳」があります。
手前の幹が枯れていて、その向こうに、新たな幹が育っています。被爆後75年生き抜いた大きな枝垂れ柳です。一束の折り鶴が供えられていました。
幹にかけられていました。
鶴見橋にこのような説明版が取り付けられています。
「鶴見橋(爆心地から約1.7キロメートル)
被爆当時、この橋の西側では動員学徒や義勇隊の人びとが、焼夷弾などによる延焼を防ぐため、建物疎開作業に従事していました。人類史上最初の原爆投下により、この作業に動員されていた多くの人びとが犠牲になりました。原爆の強烈な熱線により欄干などに着火しましたが、すぐに消し止められ、多くの被災者がこの橋を渡って比治山などに避難しました。シダレヤナギもかろうじて被爆に耐え、今日まで生き続けています。」
昨夜の鶴見橋です。
この橋の西側には「被爆者の森」があります。これについては、河野に聞いたエピソードなどがあります。またお話しますね。
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