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「時を超えた兄弟の対話~ヒロシマを描き続けた四國五郎と死の床でつづった直登の日記~」

今日土曜日の診療は午後3時までの受付。少し患者さんが増えてきて、4時に終了。その後、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に直行です。フェイスブック友だちの高山さんの投稿で知ったので。

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「時を超えた兄弟の対話」の企画展が行われています。~ヒロシマを描き続けた四國五郎と死の床でつづった直登の日記~。しばらくコロナの影響で閉館されていましたが、再開してると。

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入口はマスクのチェックと手の消毒、体温チェックがされました。

四國さんの絵画や日記帳、はがきの展示、直登さんの日記。それらが展示してある部屋で、映像が流れます。

映像はここでも見られます。

https://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/Movie/d_2020_jp.html

遠方の方はこれで、でも近くの方は、本物の前で、大きい画面で観た方が絶対にいいと思います。

客は私一人でした。ずっと一人です。だから、誰はばかることなく、大泣きしました。

沢山の四國さんの絵画、実際の日記、被爆直後の広島の各所と今。中でも、直登さんの死の日まで書き続けた命がけの日記。被爆の様子、何とか命からがら自宅まで帰り着く様子、けがをした足が腐っていくつらさ、無念さ、お母様の嘆き、それらがひしひしと伝わってきます。

シベリアから、これも本当に命からがら帰還した五郎さんは、家に帰り着くなり弟の死を知り、お母様にその様子を泣きながら話してもらい、その日記を夜通し読みます。

もう、これ以上は私が書くことでなく、映像を見てもらった方がいいですね。

会場に、四國さんの絵と共に、詩が展示してありました。それを読んで会場でまた大泣きしました。その写真を撮りたくて撮りたくて。勿論、その写真を使うのでなく、詩を覚えきることができなくって。帰って必死で探しました。見つけました。

その詩を心を込めてここに転載させていただきます。著作権の問題があるかな?きっと四國さんは許してくれると、かってに転載します。ごめんなさい。

弟への鎮魂歌(抄)


弟よ 人間の死にはさまざまあるが 流失する血液を うつろなわが目でたしかめつつ死ぬのではなく
洗面器に吐いた血は すばやくきみの目から とおざける おふくろがいて 頭髪は抜けおちれば 鏡をひたかくし たとえ医者も看護婦も 薬もなくても うち割られ くされてゆく片足を よっぴて 抱きしめてくれる おふくろが いたのだから 炎の下を這いながら目撃した 一瞬に消え去る死と 家屋の下で 焼き殺される死の そのどれでもない おふくろの両腕の中できみは死ねたのだから
 弟よ 少年といってよいか 青年とよんでいいのか 18才のきみのからだが 小学校の校庭に たとえまぐろのように積みあげられ 石油をかけて 焼かれたとしても けっしてきみはひとりぼっちではなかったのだから きみとしっかりおりかさなっているのは 妹のような可愛いおかっぱの児 昔話をしたらとまらなくなる 働き者のとなりのじいさん 世話ずきで陽気だったおかみさん きみの手をつかんではなさない男の児 おっぱいの香りもうせぬあかんぼたち みんなみんなきみと一緒なんだから まして悲しみと怒りにみちたたかぶりにかこまれて きみは炎になったのだから  
 


それから、この映像は、ナレーションは映画監督であり俳優である塚本晋也さんが、五郎さんと直登さんの日記の朗読などは女優の木内みどりさんが努められています。その木内みどりさん、このナレーションを収録してその直後、広島のホテルで亡くなられました。四國五郎さんの絵本「おこりじぞう」の朗読、反原発の活動、れいわ新選組の司会の活動など、様々な活動をなさった最後の仕事が、広島の地でのこの映像の、四國さん兄弟の日記の朗読であること、胸を打ちます。合掌。ぜひ皆さん、会場に行って見て下さいませ。私一人だったなんて、寂しすぎます。

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コメント

はじめまして。
ブログを毎日拝見しております。
この「兄弟の対話」展、私は2月に行きました。
以前から、四国五郎さん関連の展示とあらば、見に行っておりまして、県民文化センターでのシベリア抑留での日記にも意志の強さを感じましたが、今回は兄弟、しかも原爆に遭い瀕死の状態でさえ、兄との約束の日記をつけていた弟。木内みどりさんの朗読は心に沁み、涙をこらえられない。弟が哀れでならないと思う気持ちは、今もそれを思うたびに蘇ります。
私が訪れたときはまだ今のような状況でなく、あのビデオが放映されていた部屋にも多くの人がいましたが、私と夫以外は全員外国人観光客でした。彼らは最後まで見ていましたが、日本人がいないのは残念でした。

投稿: mackybar | 2020年6月 7日 (日) 08時42分

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