李実根さん、合掌。
李実根さんが亡くなりました。長い間お具合が良くないと聞いていましたが。
2015年7月28日の「朝鮮人被爆者協議会40周年記念式典」での李さんと奥様です。
戦前、戦中、ひどい差別に苦しめられ、さらに被爆。戦後のあのGHQの厳しい言論統制の中での運動について、話して下さったことがあります。原爆による焼け野原で、焼け残った百貨店「福屋」がいち早く営業を再開し、その屋上からビラをまいたこと。下から警察がきっとエレベーターで上がった来るだろうから、階段を駆け下りて逃げたことなど。
広島と長崎の両方で7万人の朝鮮人が被爆したといわれています。李さんは、その激しい気質と理論で、自ら立ち上げられた朝鮮人被爆協議会の会長を務められました。その40周年記念の式典で、会長の交代も告げられました。その会では、激しさよりも、すっかり好々爺となった姿と口調で皆さんに語り掛けられました。
李さんとは、2008年以来、お花見をしてきました。いつも平和公園の川岸の同じ場所で一年に一回、集まりました。その写真を探してみました。
正面は中沢啓治さん。李さんは、一番左、北西先生のベレー帽でお顔が隠れていてすみません。
李さんは、左から二番目といっていいでしょうか。右を向いていらっしゃいます。
この年のは、北西先生が椅子に座られて、白い帽子の李さんの方を向いていらっしゃいます。こちら向きの白い服が車いすダンスくらぶの仲井サカエさん。
やっと李さんが正面に見える写真です。でも、写真がはっきりしなくて申し訳ありません。
これは、初めのころの大勢でのお花見です。この李さんは後ろ向きですみません。
この和気あいあいのお花見の会も2015年を最後に開いていません。2015年には老人のケアホームに入られていた北西先生が、この会がとても楽しみで。お弁当がうれしい。ぜひ来年もしてくださいと言われたのですが・・・。その北西先生も亡くなりました。
出席者の多くが亡くなりました。はだしのゲンの中沢啓治さん、中国放送の佐々木典明さん、山陽新聞の川上さん、広島大学の北西允さん、車いすダンスクラブの仲井サカエさん、そしてこの度の李実根さん。
寂しいことです。李実根さん、長い間本当にお疲れ様でした。李さんが残したたくさんの教訓は多くの人々に残り続けるでしょう。どうぞ、安らかにお休みくださいませ。合掌。
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コメント
李実根さんのご長男、英一(ヨンイル)君が「父は凛として生きた」と述べられました。強烈な個性から発するインパクトは並のものではありませんでした。「お別れの会」をという声もありますが、この状況ですのでちょっと思案しています。代わりに、想い出を綴る「追悼誌」をという提案もあります。状況をみながら関係者がいろいろ相談しようと話しています。その折はお力添えをお願いいたします。想像不能なご時世となりました。人間の不遜なおごりの故でしょうか?
投稿: 無冠の諦王 | 2020年4月 2日 (木) 14時15分