古い投書から
もうずっと昔に亡くなった母が私の記事を切り抜きしていてくれてました。一冊は知っていたのですが、もう一冊。夫が、こんなのがあったと、父の古い本だなから見つけてくれました。
その中にこんな記事がありました。その昔、1993年ですから、27年前。イタリアに行った女子学生が、六人全員一人の男に強姦されたいう事件です。6人で男の家についていった所、日本刀や空手で脅されて、一人ずつ連れて行かれ、犯されたというものです。その事件が大きく報道されましたがその一つ、毎日新聞に記者の目という特集記事があり、それを読んだ私が怒って毎日新聞に投書したようです。それが採用されて紙面に出ていたのを母が切り抜いてくれていました。すっかり忘れていました。左側の切り抜きは、そのころNHKテレビで電話相談をしていた、その番組表でしょう。
当時私は45歳となっています。若いけれど、限られた字数でまっすぐに書いています。
転載しますね。
『なぜ被害者が責められるのか
十八日の記者の目「ローマ・短大生レイプ事件」を読んで。
レイプ事件は、これまでも常に、被害者である女性の側が、その落ち度を責められ続けてきた。レイプする男の問題でなく、された女の側の問題として。その面で、レイプは他の事件と異なっている。
今回の不幸な事件も、この記者の視点は、そこから一歩も出ないものである。
おそらく彼女たちは、ローマは治安の悪い所、個人行動は取らない、人に声をかけられてもついて行ってはいけないなど、十分に注意もされ、心がけていたと思う。
この事件の異様さは、「一人の男が、六人の女性をレイプした」こと。六人一緒でも、レイプされうるというのは、彼女たちだけでなく我々にだって想像し難いことだ。
彼は、空手と日本刀という武器を持った、あまりに凶悪な男であった。その彼をでなく、ただ被害者を責め、情け容赦なくムチ打つ論調に、彼女たちは、さらに傷つけられたことであろう。一刻も早い立ち直りを祈りたい。』
ああ、おんなじだ。あれから27年たっても、今だにこの国はちっとも変わらない。伊藤詩織さんに向けられた、ひどい誹謗中傷。それらを浴びながら、彼女はほんとうに歯を食いしばって訴え続けた。
もういい加減いいでしょう。変わらなければ。私たち大人が変わらなければ。性教育も刑法も変えて、被害者でなく加害者に責任を問う、そんな社会にしなければ。古い投書を読みながら、そんなことを考えました。
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