「原爆が遺した子ら~胎内被爆小頭児をささえて~」②
RCCドキュメント「原爆が遺した子ら~胎内被爆小頭児をささえて~」について、続けます。私の個人的なことも入っています、すみません。
「この世界の片隅で」で、原爆小頭症のことを書くにあたって、小頭児の保護者にこれからも支えるからと約束をした秋信さんと大牟田さんは、この他にも小頭症の人がいるはずと、探し始めます。ABCCがそのデータをもっているはず。でも、ABCCはそれを明らかにはしてくれません。そんな時、名簿が送られてきます。それは、ABCCに勤めていた女性が、内緒で送ってくれた名簿でした。番組では、その女性へもインタビューしています。その名簿を頼りに、お二人は一軒ずつ住まいを訪ねていきます。
そうして、被爆から20年、1965年に胎内被爆小頭児とその家族で「きのこ会」を結成します。原爆投下時の「きのこ雲」のきのこです。
その後お二人は、この方たちの資料を集め厚生省に提出し、原爆症として認定するように強く、何度も働きかけます。厚生省が初めて「原爆小頭症」を原爆症として認定したのは、被爆から22年たった、1967年のことです。
子どもたちは、広島大学の産科婦人科病棟に入院して、色々と検査を受けています。そのテータの医学的発表、母親の胎内で被爆した人の中に頭が小さく、知的障がいのある人がいるというその発表を見て、私は医学部を卒業時、それまでの小児科志望から産婦人科の志望に変えたのでした。
秋信さんは、ずっときのこ会の裏方として徹底し、決して番組を作ろうとしませんでした。それは、利用しようと思ってるんでしょうという、保護者の問いかけに答えたことでもありました。テレビ局に勤めながら、そして、最も身近にいながら、番組は作らない、それは徹底していました。それについて、RCCのプロデューサー、松永英美さんがが証言されています。「それは、番組を作りたかったでしょう。テレビ局で仕事をしていたのですから。」と。
松永さんのお元気な姿をこの番組で拝見できました。松永さんは、広島のテレビ局のプロデュサーとして、原爆小頭症や、毒ガスの大久野島などの平和を訴える番組をたくさん作られています。
また私の個人的な話になりますが。私がまだ大学病院の医局にいる時に、性教育との出会いがありました。学生たちが医学展で「性教育」を取り上げたいと、産科婦人科の藤原教授に協力を求めてきました。それについて、私に学生の指導をせよと指名されたのです。その少し前に、東京であった性教育の会に参加していました。今から考えると、それが大きな私の転機にもなるのですが。その会で、当時の東京医大の根岸悦子先生が「男の子の指導はどうなのでしょうか」と質問されました。それに対して、山本直英先生が「女は自分の体に、男は女の体に責任を持つこと、これが原則です」と言われ、私は深く感動しました。私も今会員である「性教協」は、その後1982年に山本先生や村瀬先生が立ち上げられました。ですので、私が参加した会はまだ性教協ができる前だったことになります。
その後、1980年に根岸先生と池上千寿子さんのお二人が翻訳者として「ウーマンズボディ」を出版され、大ベストセラーとなりました。その学生たちの企画に、私は根岸先生と池上さんをお呼びしようと考えました。学生たちの企画は広島の高校の先生たちもたくさん来られて、大盛況でした。そして、その時に、せっかくお二人が広島にきてくださるので、もう一つ、女性の会をやれないかと考えたのです。わからないままに電話帳を繰り「女の図書室」というのを発見しました。そこに私は電話をし、話しに行きました。そのときに出会った人たちと「女性の体・女性の自立」という会を行ったのです。それも会場から人があふれて、大盛況でした。
個人的なことが長くなりましたが、その会に、松永さんが「デンスケ」をもってきてくださり、ラジオの番組を作って放送されたのです。それ以来、いろいとお会いしてお話していたのですが、もう、お会いしなくなって、長くなります。そのお元気なお姿に、涙ぐみそうになりました。
ですが、秋信さんは、それまでのタブーを破って、一本の番組を作られたのです。山口居住の小頭症の女性のことです。彼女は、医療的な施設に入っていました。そして、面会に来たお父さんに「帰りたーい、帰りたーい」と訴えるのです。
なんの罪もない、ただお母さんのお腹の中にいて、被爆をした、ただそれだけでこんなことになったのだから。」と、秋信さんの強い憤りが感じられる番組です。
その女性のことを初め、きのこ会の小頭症の人たちのことが、今も語り継がれているあの天皇陛下への質問となります。続きますね。
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コメント
懐かしいお名前です。
松永英美さん 学生時代に随分お世話になりました。
投稿: かわい | 2020年2月 2日 (日) 11時48分