「原爆が遺した子ら~胎内被爆小頭児をささえて~」③
昨夜、もう一度「原爆が遺した子ら~胎内被爆小頭児をささえて~」のDVDを観ました。メモを取りながら、巻き戻したり、早めたりしながら、ゆっくりと。そして、ああ、ごめんなさいと思いました。私は、細かい間違いがところどころあるだけでなく、この番組を作られた平尾さんの心に迫ってなかったなあと思いました。勿論、感動してこの紹介をしたいと思ったのですが、きっと平尾さんは私のレポートを「違う!!」と思いながら見られたのではと思いました。ごめんなさい。
「きのこ会」を作られるまで、どれだけ秋信さんが苦労なさったか、それを私はサラリと書いてしまっています。その訂正というか、追加から今日は紹介ますね。
秋信さんが「この世界の片隅で」で、胎内被爆小頭児のことを書くきっかけになったのは、一人の胎内被爆者の自殺でした。
秋信さんは、これに心を痛めました。そして、ABCCとのことも私はサラリと書いたのですが、その名簿は簡単に出てきたわけではありません。何度もABCCに足を運び、やりあったと。ABCCは、隠していたわけではない、我々はちゃんと論文に書いていたと。それをマスコミが聞かなかっただけだと。
そして。パソコンの画面を写真にしているので、見づらいでしょうが。
ただそれだけだと。
そんなやり取りを見ていたABCCの日本人の従業員がこっそりと名前と住所を送ってくださったのです。
それから、私がただ「利用するのでしょう」と言われたとこれもサラリと書いていますが、それはこんなことです。
一人でできないことでも、みんなで知恵を出し合ったらなんとかなると。そして、大変なご苦労をされて、原爆のきのこ雲から生まれた「きのこ会」を結成しました。きのこ会の目的は、「原爆症認定」「終身保障」そして「核兵器廃絶」でした。
結成にあたって、三人のジャーナリストがきのこ会の事務局を引き受けます。様々なマスコミからの個人的な取材依頼を事務局がすべて引き受け、断り続けました。それは、自社に対しても。
広島市や厚生省への粘り強い度々の交渉、陳情を行って、きのこ会結成から二年。やっと国は「胎内被爆小頭症」を原爆症と認めたのです。
続きます。平尾さんのDVDの画面ばかりになりましたが、これが一番よくわかっていただけるかと。本音は、このDVDを皆さんに見て頂きたいという思いなのです。このドキュメントを観る会ができないかなあと、今考えています。
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コメント
お久しぶりです。
秋信さん、平尾さんについて記されたことを拝見しながら何と我が身の小さきことよ!と改めて思い知っています。
「あちらが」とか「こちら側は」とかいがみ合わずに本来の目的、それを達成するためにどうあるべきかを考えるべきですね。
投稿: こういちろう | 2020年2月 3日 (月) 17時05分