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「原爆が遺した子ら~胎内被爆小頭児をささえて~」④

天皇陛下在位50年の1975年、戦後30年。天皇陛下の初めての記者会見が行われることになりました。

 その年、あの山口の胎内被爆小頭症の女性の父親が亡くなりました。「帰りたーい、帰りたーい」と父親が行く度に訴えていた彼女と両親のルポを作った秋信さんは、抽選でその記者会見に出席することになりました。そして、「なんにもしていない、ただ、母親のおなかの中にいて、閃光を浴びた、それだけであんな姿になった、その彼女たちに何か一言あってもいいんじゃないか」と考えたそうです。広島の人間として、原爆問題は抜かせない。彼らには何の罪もないと。秋信さんのレポの中では、父親が「戦争が起こらなければ、原爆にさえ遭わなければ。」といいます。

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そのことについて、当時、一緒にRCCの東京支社にいた佐々木典明さんが、その心情等を詳しく書かれています。

http://hiroshima.moe-nifty.com/blog/2010/09/post-c4a2.html

ああ、典明さん・・・。典明さんがこの記事を書かれたのが、2010年9月28日。その翌年、2011年3月にご自分も亡くなっています。典明さんには、ずいぶんかわいがっていただきました・・。

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そこで、秋信さんは、「陛下は、昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島に行幸され、昭和26年、46年と広島市民にしたしくお見舞いの言葉を述べられました・・。」ととても丁寧に質問をされ始めました。そして、

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「戦争終結にあたって原爆投下の事実を陛下はどうお受け止めになりましたでしょうか」と続けたのです。

それに対して、天皇陛下は、

「原爆投下がされたことに対してはいかんに思っているが、こういう戦争中であることですから、どうも広島市民にとっては気の毒ではあるが、やむを得ないことと私は思っています」と答えられました。番組では、ここのやり取りが鮮明に収録されています。

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1990年、胎内被爆小頭児45歳の誕生日。きのこ会は、それまでの方針から大転換を行います。それまで、ひっそりと両親が育ててきた小頭児たち。でも、その親も次々と亡くなりつつある今、世間にこの事実を公表し、親しい人、支えてくれる人を作ろうと。激しい議論の末、その45歳の誕生祝いの席に、初めてマスコミの取材を入れたのです。マスコミが一斉に報道しました。中国新聞は特集を組みました。

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60歳の還暦のお祝いの会です。

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今、懸命に彼女たち、彼らを育てた両親は全員亡くなっています。この写真に出てている方たちも何人も亡くなっています。

秋信さんも。大牟田さんも。

秋信さんは、亡くなる前のきのこ会には、参加できず、ビデオでメッセージを送られました。「参加して皆さんとおしゃべりをしたいけれど、体が動きません」と。

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そして、きのこ会の事務局は、今、この番組を作った平尾さんに引き継がれています。

もう一回、明日も続けますね。

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コメント

時事通信社に勤務、中国新聞社、中国放送にも知人が多かった私は昭和天皇の広島行幸に間近で万歳を叫んだ者ですが、陛下の原爆に関する回答には釈然としないものを感じながら今日に及んでいます。米国を責めるわけにはいかず、あの場合あれしか答えられなかったろうな・・・と自分を納得させながら、未だ憮然とした思いです。
胎内被爆児のことでなくて申し訳ありません。

投稿: 松本 正 | 2020年2月 4日 (火) 12時54分

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