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トラウマとPTSD

12月1日の日曜日、トラウマとPTSDについての講義を受けました。講師は立命館大学教授・女性ライフサイクル研究所の村本邦子さん。子育て支援、虐待・性暴力・DVなど女性と子どもの支援、コミュニティのトラウマ、歴史のトラウマなどに取り組んでおられます。

注意として、講座で配られた資料や講師が話した内容、講師名などを無断転載しないでくださいと注意されていますので、でも、講師名はいくらなんでも、書かない訳には行かないからと、主催者の許可を得ました。

授業は素晴らしかったのですが、中でも私の心に残ったこと。それは

「人生はトラウマに満ちている、それでも人は生きている」
被害体験を身近な人に話し、受けとめてもらえたかどうかが、その後の状態に影響する。

「被害そのものを話せなくても、信頼できる他者の存在の有無がその後の人生に影響する」

と言いうものです。

これらがずっと頭にあって。診療の場だけでなく、性暴力ワンストップセンターや特別養子縁組のお世話など、いろいろと他の人のお世話をしてきましたが、その私自身の人生をつらつら振り返りました。

いろいろとトラウマに満ちて来たなあと。

幼い頃の知らない男からの性被害、これはまだ入学前の本当に幼い頃ではあっても、しっかり頭に残っているものです。もしかすると、殺されていたかもしれない事だけれど、決して親にも誰にも言いませんでした。

そして、何より繰り返しつらかったのは、小学校に入学してからの、一・二年の教師。えこひいきがひどくて、私はその教師の嫌われ者でした。親の前では、猫なで声で私のことをほめるのですが、でも、数々のいじわるとしか思えないような仕打ちがありました。どうしてそうされるのか、分からないままでした。もっと嫌だったのは、それを近所の々クラスの女の子が家に帰って、自分の親に必ず話す事。そして、その母親が家の母に話します。私には、教師のいじわるとしか捉えられない事を「叱られた」と捉える大人たち。私は母から重ねて叱られる。だから、また後で母に叱られることが憂鬱で憂鬱で、とてもつらくて。家に帰りたくない、このままどこかに行きたい、真剣にそう思っていました。だって、母から「先生にどうして叱られたのか言いなさい」と言われても、自分には思い当たることが無いのですから。ただ、泣くしかできなくって。布団の中では、いつも死ぬことばかり考えていました。それが二年間続きました。

これはつらかったですね。自分でもよく生き延びたと思います。

それでも、これは三年生になって次の担任になって、私は救われました。とても穏やかで、公平で、作文教育をしっかりして下さる方でした。この先生になって、はじめて私は学校が楽しいと思えるようになりました。いじめがあると、必ずそれについてクラスでの話しあいをさせる方でした。いちど私もクラスの男の子から怪我をするほどのひどいいじめにあって、給食も食べずに家に帰ったことがありました。それについて、先生の指導でみんなの話しあいがありました。私ははじめっから終わりまでずっと泣いていました。その間、心の中で「コスモスの花」を歌い続けていました。

正に、その先生は、「信頼できる他者の存在」であったと思います。

中学時代。私の通った学校は「荒れる学校」でした。入学と同時に、先輩の女性たちに取り囲まれ、殴られ、上履き入れをびりびりにされ、怖い思いをしました。でも、そこには尊敬できる先生方が沢山いらっしゃいました。私に「差別」を教えて下さったのは、この中学の先生方です。生徒会目標は「差別をなくそう」でした。その生徒会で役員をすることで、生徒同士も先生方とも本当に豊かな会話を交わすことができました。

中学校の先生たちは本当に「信頼できる他者の存在」でした。

こんな事をつらつら書いてもどうってことはないのですが、でも、「トラウマ」ということでここで振り返ってみるのも、一つの心の整理になると思って。ご迷惑かもしれませんが、もう少し続けますね。

やはり写真が無いので、クリニックの青野さんのお花です。今回のは、とてもかわいいお花です。

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