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Viento加藤貴光折り鶴平和音楽会②

昨日の続きです。大切な、志を高く持っていた一人息子さんを失くされた加藤りつこさん。「究極の苦しみの中で」人々とのふれあいの中で、徐々に立ち直って来られました。そして、2012年に「広島と福島を結ぶ会」を立ち上げられました。そのパンフレットを。

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見えにくいので、文章の一部を転記します。

「わたしたち「広島と福島を結ぶ会」は、2012年4月、会員8名で発足しました。東北の震災から一年、「東北で痛みを抱える人に寄り添いたい」との思いで小さな映画上映会を開催し収益と募金箱に寄せられた浄財を福島・いわき海星高校の復興支援のためにお捧げしたことから活動が始まりました。・・・」

活動を続けるうちに、加藤さんとこの会のことを知ったVientoのお二人が寄り添い、支えてこられたそうです。そのお二人の活動される熊本で、今度は2016年4月、大震災が起こりました。その復興のために2018年12月15日に「第一回加藤貴光~折り鶴平和音楽会」が開かれました。

 そして、今回、第二回目を広島の地で広かれるという事なのです。

「広島と福島を結ぶ会」のホームページはここにあります。


http://hiroshima-fukushima.com/


 


その中の加藤りつこさんの文章をコピーさせていただきますね。











 
<Vientoとの出会い> 加藤りつこ


私が、阿蘇の音楽家「Viento」と直接出会ったのは2009年。
間接的に出会ったのは2008年2月。亡き息子の手紙「親愛なる母上様」に曲をつけたマサ君が、旅の途中、熊本阿蘇で出会い、Vientoの吉川万里さんが、息子の手紙に共鳴してくださりつながった。
マサ君は、その時、私にこう言った。
「今まで日本で出会った音楽家の中で、初めて尊敬できる人に出会えた」と。 その頃から、Vientoの吉川万里さんは、コンサートの中で、息子の手紙のことを語り始めてくださった。
私は前向きに生きる気力も失せ悲しみの底に沈んだまま浮上する術も持てなかった頃だった。...
万里さんは、熊本や福岡など九州でのステージで語り続けてくださり、私の知らない所で貴光の名は、再びこの世で息吹いてきた。
親にとってどれ程感動であったか。喜びであったか。生きる力になったか。
そのVientoが、昨年4月の大震災で「被災者」になられた。
私は苦しさのあまり心がつぶれそうだった。
「今こそ恩返しの時」
そんな想いでVientoコンサートの開催を決めた。
ばらしい音楽家【Viento】の音楽の世界を広島で。



どうぞ、多くの方がこの音楽会に参加されますように。私からもよろしくお願いします。

 


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