「河野先生」と呼び止められる
クリニック以外で、突然「河野先生」と呼び止められることがあります。ほとんどは患者さんなので、困ってしまいます。お顔は分かっても、なかなか名前が出ません。焦ります。このところ、とてもそれが続いていて。
初めはこの前東京に行く時、空港までのリムジンバス。乗ると、呼び止められました。「先生も東京ですか?」と。お互い、息子の事だの話しましたが。
一昨日、何と、ゆーぽっぽのお風呂場でです。お互い裸です。「どうして先生がこんな所にいるのですか?」と言われて。私、三日に一回来ていますとお答えしたのですが、裸はなんともきまりが悪いものです。
昨日、土曜日の診療後、皮膚科に行きました。待合室で待っていると、また「河野先生」です。「どうして先生がここにいるのですか?」と。「今日は、私はここの患者です」と答えると、どうされたのですか?と。ええ、ちょっとと、へなへなと笑って答えましたが。
そして、皮膚科から帰り。紙屋町の横断歩道を渡っていると、人込みの中で大きな声で、今度は男性です。「河野先生、河野先生」と。お顔に見覚えはあるので、こんにちは、とだけお答えすると、「先生、そこに人が倒れています。」と。えっ?ととまどっていると、こっちこっちと連れていかれました。広電の電車が止まっていて、その横、電停に一人の女性が横たわっています。電車に接触?と慌てたのですが、そうではなく、そばにいる人が、電車を待ってて、いきなりパタンと倒れたと教えて下さいました。頭も打っていると。もう救急車を呼んでいて、電車もストップしたままです。顔は真っ白。手の脈をとると、脈が触れません。脈で大体血圧などはわかるのですが、右も左も触れません。少し慌てましたが、そうこうしてたら、女性が目を開けました。分かりますか?と聞くと、うなづきます。お年は?30台でした。まだ顔は真っ白。眼瞼を見ると、これも真っ白。貧血。もともと貧血がある所に、立って電車を待っていて、脳貧血をおこして倒れたのでしょう。そんなことをしていたら、かすかに脈が触れ初めました。ああ、大丈夫だと思った時に救急車がやって来ました。救急隊の方にそれらのことを言って、私はそこを離れました。その前に、私をこっちこっちと連れて来た男性にお辞儀をして。
はて、あの方はどなただったっけと考えていて、アッと思い出しました。もう何年もお会いしていないけれど、以前何人かで一緒にカラオケに行っていた方だと気づきました。その行っていたカラオケも、数日前に前を通ったら、名前が変わっていました。結構ごちそうが食べられる、いろいろパーティーもしたりして好きな所でしたが。世の中、変わっているのだなあと感じて、その数日後の今日なので、ちょっとしんみりしたものです。
ちょっと違うのですが、昨日診療をしていて、私、中学校の時に先生の講演を聴きましたと言った方がありました。ええっとびっくり。だって、その方はもう50代で、更年期の治療している方なのですもの。高校では?と聞いても、いえ、中学校ですと。校名を聴くと、私が講演を始めたた、うんと初期の頃のことです。確かに。感無量ですよ。だって、中学生の時に私の話を聞いた人がもう更年期ですよ。はは、私が年を取るはずですね。
昨日は、姪に「ますい」にすき焼きを食べに連れて行ってもらいました。何十年ぶりかのお店。お店も味も、お値段も変わらず、堪能しました。変わらないというのは、うれしいものです。ごはんは御櫃に入って来ました。30年間、値段を変えずに頑張ってきたサービスとんかつ、ごはん付きは350円は、とうとう今年の2月に380円に値上げしたのだと。これもランチも、夜でもいつでも頼めるそうなので、サービスとんかつをビールのつまみ替わりに頼む人もおありだそうです。私たちは、ロースのすき焼きとホルモン炒めを頂きました。堪能しました。
私は今日は福山で講演です。
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