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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」高里鈴代さんのお話


「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、ヒロシマはもちろんですが、沖縄と福島を決して忘れないという事でこれまでも続けてきました。今回の沖縄からは、「沖縄の女性」に焦点を当てました。

私はずっと以前お話を伺った事がある当時沖縄強姦救援センターの高里鈴代さんにお願いしました。当時、沖縄の女性たちの米兵による性暴力の被害は目を覆うばかりでした。その後も、沢山の被害が報道され続けています。

高里さんの講演については、せとうち新聞のさとうしゅういちさんがまとめたものをフェイスブックに掲載されましたので、それをお借りいたします。講演中の写真も、さとうさんのフェイスブックからです。さとうさん、ありがとうございました。

8・6 ヒロシマ平和の夕べ

沖縄からは元沖縄市議の高里鈴代さんが「沖縄と女たち 人権、基地、軍隊」と題して訴えました。

冒頭、3年前に女性が海兵隊に拉致された事件に対しての抗議集会の画像を紹介。

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高里さんは、長崎に原爆投下したグラマン機が沖縄によって給油しテニアン島に戻ったという事実を長崎を訪問した際、
知って衝撃を受けたそうです。

戦時中の日本軍は、沖縄に本土を守るため、32軍をつくり、145も慰安所も設置したそうです。韓国からも台湾からも
本土からも、沖縄からも多くの女性が沖縄で慰安婦にされ、さらに日本軍がいなくなったあと置き去りにされてしまいました。

その後はどうか?「まとまって25000人も米軍が集中しているのは世界でも沖縄だけ」と高里さんは強調します。

そんな中で、女性も(アメリカ兵を相手にした)「ドルの稼ぎ手」とされていました。

戦時中から、アメリカ軍がやってきたあとまで、沖縄の女性が一貫して置かれてきた位置がよく分かりました。

1995年の少女暴行事件が発生しました。それを契機に1996年のSACO合意で普天間基地辺野古移設及び、
北部訓練場の半分返し、高江にヘリパッドをつくることが決まりました。
だが、これは、海兵隊や軍隊の削減にはなっていませんでした。

また、日米地位協定により、ヘリの事故があっても、(米軍基地の外の民有地であっても)現場には消防隊が入れないのです。

米兵のレイプをうけた経験のある女性が20年後=2005年に知事に公開書簡を出しました。
「どうして我が物顔に軍隊が歩いているのか?」
と。当時の稲嶺知事は、それに丁寧に返事をだしました。沖縄選出の国会議員もこれを国会で取り上げました。
だが、当時の町村信孝外務大臣は、国会答弁で手紙を批判したのです。

2012年にも米兵による集団レイプが発生しました。
当時は、沖縄県内はオスプレイ配備への抗議行動の最中だったにも関わらずです。

沖縄県民の怒りが、明確にアメリカにつたわっていないということだ、と高里さんは
訴えました。


会場では、高里さんの共著「沖縄にみる性暴力と軍事主義」が販売されました。高価な本ですが、完売しました。私も購入しました。夏休みの間に読むつもりでいます。

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高里さんには、遠方から来て頂いて、力強くお話し下さって本当にありがとうございました。沖縄の人たちのたゆまぬ闘いに多くを学ばせていただきまた。闘いの源は、怒りであるということが良く分かります。問題は、私たちが沖縄を孤立させることなく、これからどうするかという事だと、それを突きつけられたのだと、そう思いました。



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