8.6ヒロシマ平和の夕べ・お二人の訃報について
おはようございます。私は今、北海道室蘭にいます。土曜日の診療後、約9時間かけてやってきました。ホテルに着いた時には、ヘロヘロでしたが、一晩寝て、朝気持ちの良いお風呂に入って、しっかり朝ごはんも食べて、すっかり元気です。今日の午後の講演後は、一気に広島に帰ります。
来る途中の飛行機や新千歳空港から室蘭本線の列車の中でも、ずっと頭にあったのは、明後日の8.6ヒロシマのことです。来年は被爆75周年。その前年の事、ますます社会はひどい状況になっている、それはトランプに引きずられる世界の情勢と、そして安倍に引きずられる日本の情勢も。憲法もいまにも変えられそうな状況の中で、核戦争も現実の物になりそうな。そんな中で、私たちがコツコツと続けている「8.6ヒロシマ平和の夕べ」は、少しでもそれを食い止める力になっているだろうかと。
昨年の8.6ヒロシマ平和の夕べから、お二人の大切な方が亡くなりました。お一人は、小野瑛子さん。2017年の8.6に来て語って下さいました。お父様は、当時広島二中の教師をなさっており、あの平和公園の川岸で学徒動員の子どもたちと共に爆死なさった山本先生。その遺児です。広島に来て下さった時には、肺がんの闘病中でした。その病を押して、語って下さいました。昨年10月30日にお亡くなりになりました。その時に一緒に写ってい頂いた写真です。
もうお一人は、小林圭二先生。元京都大学原子炉実験所の小林先生は、2019年5月27日に亡くなりました。8.6ヒロシマ平和の夕べには、三回も来て語って下さいました。平和の夕べで語って下さっている写真です。
以下、小林先生について、8.6ヒロシマ平和の夕べのスタッフの一人、竹田が書いたものです。了解を得て転載します。
小林圭二さんの言葉
小林圭二さんの訃報を聞き、小林さんの言葉を思いました。「8・6ヒロシマ平和の夕べ」には09年、11年、15年と来ていただいた。
3・11福島第1原発の大事故の11年。その年の1月に「8月、広島で話してもらう」ことを快諾してもらっていた。その3月に福島の大事故が起こり、「8月6日の広島で、どういう話をしてもらうのか」、その打ち合わせ兼ね、6月ころにインタビューをお願いした。
「70年代から伊方など原発反対の住民運動、訴訟、『もんじゅ』廃炉に力を注がれ、いま福島事故に何をいちばん思われますか」と尋ねたところ、「福島の大事故は、ぼくはヒロシマ・ナガサキに戻ったと考えました」と言われたのが印象に残っている。「核は、もともと軍事、原爆として開発された。核分裂の巨大なエネルギ―は爆弾に最適です。『平和利用』というのは、あくまでその1面であり。軍事と平和に区別できません。今回の事故は核が持つ、生命に対する本質的な敵対性を明らかにしました」と静かに話された。
その上で「ぼくは広島・長崎(の人々)が、あの不条理きわまる過酷な夥しい死とその後の苦難を体験し、『せめて平和利用なら』という、それはわかるけれど、やはり広島・長崎からの原発反対の声が少し弱かったのではと思う。それを8月6日に話してもいいでしょうか」と問われた。「ぜひ話してください」とお願いしたが、当日そのことには触れられなかった。
広島が終わり、たまたま8月15日「敗戦の日」の催しに講演されたとき、テーマは別だったのに「6日に広島で(そういうことも)話そうとしたが、被爆者の体験を聞いているうちに、どうしても話せなかった」と切り出された。そのときの被爆証言は『はだしのゲン』の中沢啓治さんだった。
7月14日、大阪で開かれた偲ぶ会に参加させてもらった。小林さんの生前の映像が写され、「もんじゅ」の廃炉が決定したことに触れ、「廃炉が決まったのだから、早くプルトニウム、ナトリウムを取り出せばという声があるが、危険きわまりない物質であり簡単ではない。50年、100年かかる、それが核でありプルトニウムだ」と話されていた。
訃報に「誠実を人格化したような人」と記されていた。その通りの方だった。インタビューの最後に「インタビュー記事に使う写真を撮らせてください」とお願いすると、穏やかだった顔が急に真面目というか硬い表情になり、何枚とっても怒ったような写真になって困ったことを思い出した。(竹田雅博)
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コメント
お二人とも88歳の私よりお若い。瑛子さんは旅立ちまでお送りしました。小林先生は存じ上げないけど、その理論には感服します。
子どものころ結核を患うぐらい身体の弱かった私が何故平均寿命を超す程長生きしてるのか、不思議なんです。私の証言=講話に登場させる身内10人の犠牲者から「もっと生き続けて吾らの苦しみ、無念さを後世に伝えてくれ」と背中を押されてるような気がするのです。
人様がどう思おうと、私にはそれで長生きしてるのか?と思えるのです。
投稿: 松本 正 | 2019年8月 5日 (月) 09時40分