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「ハンセン氏病患者家族の勝訴」林力先生

ハンセン氏病の患者家族の方たちへの国家賠償を求める裁判で原告が勝訴したとの報道がされました。
以下、毎日新聞からですが、どの報道もほとんど同じです。

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「 約90年に及んだハンセン病患者の隔離政策により家族も深刻な差別を受けたとして、元患者の家族561人が国に1人当たり550万円(総額約30億円)の損害賠償と謝罪を求めた集団訴訟の判決で、熊本地裁は28日、隔離政策が家族への差別も助長したと認定し、初めて家族への賠償を命じた。遠藤浩太郎裁判長(佐藤道恵裁判長代読)は「隔離政策は家族が差別を受ける社会構造を生み、憲法が保障する人格権や婚姻の自由を侵害した」と指摘。原告541人に総額3億7675万円を支払うよう国に命じた。」

その報道で、原告団の団長の林力先生にお目にかかれました。

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もう94歳だと。でも、変わらずのしっかりしたお声。力強い言葉。ああ、お元気だ!!とてもうれしくて。

林力先生に広島に来て頂いたのは、いつだったでしょうか。エイズ患者さんへの差別偏見真っただ中の時、人権の勉強のためにお出で戴きました。以来、交流が続いていました。当時、九州産業大学の教授をなさっており、暫くの間同大学の一年生に人権教育としての性教育の講演の場を設けて頂きました。広大な体育館?で、新入学3000人を対象としての講演です。それは先生が退職されるまで続きました。別に、人権団体の方たちへの講演の場も用意して頂いたり。すっかりお世話になりました。以来、暫く年賀状のやりとりがありましたが、それも途絶えて。お元気だろうかと、ここの所とても気になっていました。

先生から伺ったハンセン氏病の患者に対しての差別はそれはひどいものでした。ある日突然家に多くの人が来て、縄を貼り、家中消毒されたとそして、お父様がまるで犯罪者のように連れて行かれたと。残された家族への差別。収容された患者の方たちへのひどい政策。特に、妊娠した人は、強制的に中絶させられ、出産した直後の子どもは殺され、男たちは、断種、不妊手術をされ・・・。

1960年には、感染力はとても弱いことも分かっていたし、その治療法もできていたというのに、人権蹂躙の「らい予防法」は1996年まで放置され続けたと。

林力先生の本、「山中捨五郎記-宿業をこえて」のあとがきからです。林先生へ、感謝と今後の御健康を祈ります。

「・・・出自を問うという日本人特有の差別に対して、「部落民」としても自己の存在を明らかにして胸を張り、誠実に生きている人に何人となく出会ったことは当然、わたしの心底に問いかけて来た。「何故に父を隠す」「一人娘にも隠しつづけるつもりなのか」と、屈折の想いの果てに筆をとった。それが『「癩者」の息子として』であった。父の没後十年を経ていた。三十年も前のこと。驚き、賛辞、今何のためにという疑問などいろいろあった。わたし自身にしては肩のを降ろした思いだった。不思議な事に「癩者の父」を語ることによって、今まであんなに疎ましかった父への思いがなつかしさに変わり始めた。ただ、誤解してほしくないことはあくまでもわたし個人のことである。これを他人に求めるなど、三十年前も、熊本判決後の今もまったく持ち合わせていない。わたしは教師であり、反差別運動集団の一人であったことを抜きにして「癩者の父」を語ることはありえなかった。誰でも何のためらいもなくこの病いを病んだ肉親のことを、自らのふるさとのことを、大きな声で語りうる世の中に、一刻も早くしたい思いだけだ。」

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