平和公園の桜がそろそろ散り始めた。毎朝、少し遠回りをして、桜を見あげながら自転車で通勤する。桜は、満開の時よりも少し散り始めた時が好きだ。
30年前、二人目を妊娠中の桜が満開の頃、まだ予定日よりも二ヶ月近くもあるのに、早産してしまった。子どもは小児科の保育器に入って、私は産婦人科。別々の入院で、切ない思いで毎日保育器をのぞきに行っていた。そんな夜、夫が病室にでっかい桜の枝を持って現れ、びっくりした。広島県警の記者クラブで比治山にお花見に行ったのだそうだ。そして、本部長に入院している女房に桜を見せてやりたいから一枝折ってもいいかと尋ね「許可する」と言われたので、折ってきたのだと。私は、病室で花見を堪能した。今だったら問題になるだろう、古き時代の話だ。
20年前、「さらば、悲しみの性」という本を出版し、期せずしてベストセラーになり、話題となった。あるフェミニズムの大学の先生が、その著書の中でこの本を非難した。あまりの無茶な批判に反論しようと、ある週刊誌に彼女への反論を書かせてもらう準備をしていたところ、もっと大御所のフェミニストにそれをつぶされてしまった。私へ「やめろ」というしつこい電話だけでなく、週刊誌の編集長にまで圧力をかけてやめさせたと知った時、大きな挫折感を味わった。うつになって何にも文章が書けない。その時、丁度二冊目の本の準備をしていて、後書きのみ、となっていたのだが、その後書きが書けない。悶々としていた時、平和公園の桜がどんどん散っていて、その下を自転車で通り抜けた。私に桜の花びらがまるで雪が積もるように降りかかって、その時、アッ!吹っ切れた!と思った。そして、後書きもすらすらと書いて、無事出版にこぎ着けた。
10年前、母が脳血栓の後遺症と、腎不全による透析患者で、父が介護をしていた。透析の病院まで歩いて行けるように、私の家の近くに両親を呼んで生活をしていた。平和公園の桜が満開の時、父が車椅子を押し、桜の下を往復してお花見をしたのだそうだ。そして帰ろうとしたら、母が
「もう来年は見られないかも知れないから、もう一回、見せて」
と父にいい、もう一度桜の下をゆっくり往復したのだと。その夏、母は死んだ。その後、桜が咲く度に父は、私にその話をしていた。その父も、もう今はいない。
そして、今年。また桜吹雪の下を自転車で走って見よう。明日くらいが丁度いいだろう。私の中の何かが吹っ切れて、また意欲がわいてくるかも知れない。

写真は今年の平和公園です。
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