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「横濱短編ホテル」

4月9日火曜日の診療後は市民劇場の観劇でした。今回は、劇団青年座の「横濱短篇ホテル」。良く知らないタイトルでしたが、何とも、まあ、楽しく鑑賞しました。これは、名作ですね。いつも市民劇場は観音高校演劇OB会のみんなが並んでみます。そして、今回のこの劇は、高校の演劇部。高校から、その後のそれぞれの人生を五年ごとの出来事で綴っていきます。場所はいつも横浜の老舗のホテル。ロビーだったり、部屋だったり。

私たちの席は今回はアステールプラザの二階席。声がよく通って。見やすくって。始まる前の写真です。始まってからは、写真を撮ることはできませんので。この始まる前の舞台から、もうオシャレです。「横浜港」「「赤い靴」「ベイブリッジ」「横浜マリンタワー」、そして、私も三回行ったことがある「横浜球場」などが描かれています。ここに七つの窓が作ってあって、それを開けて、一つ一つのタイトルが出てくるようになっています。

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七つの短篇が演じられ、それが次第につながってきます。

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最初の場面で、アアッと。高校生が映画監督に「高校演劇でやったこのある役を演じてみてごらん」と。そこでの演技が素晴らしく。彼女は、主役に抜擢され、以後大女優になって行きます。

 私も、高校を卒業した時に映画のオーディションを受けました。そして、高校演劇の役をやって見せてと。「広い黄色い土地」の中国の少女役をそこでやりました。そしたら、ちょっと残っててねと言われて。その後、全部が済んだ後に、また別の部屋に連れていかれました。そこで、「あなたのお母さんが倒れて、病院に連れていかれている。ストレッチャーに載せられて連れていかれるお母さんに呼びかける。」それをやってみてと。監督は、「お母ちゃん!!」となんだかんだと即興で叫ぶ私の顔を下から覗き込んでずっと移動しています。

今回の演劇と違うのは、舞台の彼女は大女優になったけど、私はその時に受験していた大学に進んだこと。そして、単なる町医者になったこと。でも、まだ演劇への想いはふつふつと胸にありながら、日々を送っていること。

まだまだ。ロビーで座っていたハンチングを被った男性が、演劇の先生、「岩崎徹先生」にそっくりで。隣の里君に岩崎先生みたいと言うと、僕もそう思ったと。

そして。お互い中学の初恋の人が胃がんだと。最後のお別れに来たと告白した時。アアッ、脇田さんだ!と、重なりました。以前書いたことがあるかと思うけど。脇田さんは、私の演劇の基礎を作って下さった方です。ご自身は高校卒業時に劇団の試験を受けに行って、「大学を卒業してからいらっしゃい」と言われたと。そして、大学卒後は広島テレビに入社して、名アナウンサーとして活躍されました。ある日、OB会で、リタイアした時には、またみんなで演劇をしようねと盛り上がっていました。そのときの脇田さんが、顔色がとても悪かったのです。脇田さん、お顔がおかしいなあと思いながらも、それを言わなかったのですね。それから数カ月後、脇田さんが胃がんだという報せが来ました。ああ、あの時の顔色。なぜあの時に「脇田さん、顔色が悪いけど、貧血ではないの?病院に行って」と言わなかったのかとひどく後悔しました。顔色が悪いのは、ドーランを塗ってごまかしていたのだとも聞きました。

それらがみんな重なって。胸が一杯になって、涙があふれそうでした。

まあ、何かにつけ、過去を振り返るようになったら、人生も終わりに近づいているという事なのですが・・。そんなひと時を持たせて頂いて、ありがたいことでした。勿論、演劇部でなかった人たちもとても楽しんで鑑賞していらっしゃいました。いい演劇でした。

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