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藤原篤先生のお葬式でした。

ご心配おかけした右足も、痛みと発赤は相変わらずですが、熱は下がりましたので、体は楽です。ひたすら冷やしていますが、足に何か巻き付ける物がないか、柔らかいタイプの細いアイスノンでもないかとウォンツに行きました。そしたら、アイスノンは置いてないと。びっくり。今は、シート型になっているのですね。それだと、直ぐに温かくなってしまうし。握ると、急速に冷えるという、袋状の物を買いましたが、それもあまり持ちません。結局シートタイプのを5枚も、貼っては取り換えるを繰り返しています。

今日皮膚科のドクターの診察で、どう言われるか、ドキドキです。

昨日は、産科婦人科学教室の恩師、藤原篤教授のお葬式でした。

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藤原先生が同門会にも出席されなくなって、お会いできなくなってどれくらい経ちますでしょうか。でも、季節のご挨拶をお送りすると、必ず直筆の一筆が加わったはがきを送って下さっていました。昨夏まで。昨年暮れのお歳暮のお返事がなく、ご子息から「父は闘病中です」とのお葉書を頂いて心配していました。


御経を聞きながら、いろいろな事が駆け巡りました。

私は、藤原教授が教授になられて初めて入局した弟子です。それまでの教授が大変力のある方で、その教授の弟子ばかりの中でいろいろとやりにくいこともおありだったことと思います。が、根がとてもやさしいかたでしたので、私たちは、大切に育てて頂きました。


私が第一子を出産してほどなく第二子を妊娠した時、先生はアメリカに留学していらっしゃいました。そこにお手紙を書いた所、「できる時にぽろぽろ産んでおけば、直ぐに大きくなるものです」と背中を押して戴きました。上と下が一歳一か月しか離れておらず、二人おむつで、当時紙おむつなんてなく、それは大変でしたが、教授の言われた様に、二人一緒に大きくなってくれました。


子どもが二歳と三歳の時、夫が癌になりました。その時には、外来だけの勤務にして下さいました。


私が当時の鉄道病院、今のJR病院に勤務が決まり、送別会も開いてもらった後、私が学生運動をしていたことで、就職が取り消しになりました。面接では、学生運動をしていたかと聞かれ、正直に答えていましたが、私に逮捕歴が無いという事でO.K.だったのですが。教授は苦慮されて、私に助手になれと言われました。


学生たちが医学展で「性教育」を取り上げたいと相談があった時、私に学生たちの世話をするようにと仰せつかりました。それが、私の今に至る性教育の取り組みにつながりました。

やはりとても大切に育てて頂いたのだと思います。


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遺影は私が知っている教授よりずいぶん痩せておられました。拝見したお顔もとても小さくなられて。そう言えば、退官後、太っていることを気になさっていましたが、「先生、美味しく食べられるという事は、それだけ健康という事でもありますよ。」と申し上げると、「わしもそう思う」とおっしゃいました。

晩年は、お孫さんたちと楽しく穏やかに過ごされたとご子息がおっしゃっていました。

懐かしい方たちとも、沢山お会いしました。もう、こういうことでもなければあまりお会いしない方たちです。当時の産科婦人科病棟の婦長(今の師長)副婦長にも。皆さんお元気そうでした。


享年90歳。藤原先生、私も24歳で入局して、もう71歳です。本当にありがとうございました。どうぞ、ゆっくりお休み下さいませ。ご冥福をお祈りします。

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