広河隆一さんのこと。②
広河隆一さんのことの続きです。
私は、「性教育」の基本は人間関係だと言い続けてきました。人と人との関係性の作り方、性というのは、あくまでもその関係性の中にあると。そして、この基本を学んでいない人の性はとてもみじめであると。それは、私自身が、患者さんとして多くの女性に向き合う中で学んだことです。いわゆるエリートと言われる人の中に、女性との関係が作られない人がいる。女性をあたかも自分の世話をする人、セックスも、自分の欲望を満たせてくれる人。そんな風にとらえている人が確かにいると。
人が生きる基本はあくまでも一人。でも、その一人が誰かと共に生きると、こんなに楽しいのだということを実感しながら「共に生きる」。その関係性を作れない人。それは、学歴とか職業とかと全く関係ありません。いえ、むしろエリートと言われる人こそ、それらを学んでいません。
何度も言っていることですが、最近の、慶応大学、東京大学、千葉大学医学部の学生たちの集団レイプ事件。これは、エリートたちが女性をどう見ているのか、それが透けて見えるできごとです。
私は、今回の広河さんこそ、その典型だと思います。私が驚愕したのは、広河さん自身が性暴力について語っていることです。いえ、それは正確ではないかもしれません。広河さんが発行している「DAYS JAPAN」の2010年10月号に「性暴力被害者に心と体のサポートを」という素晴らしい記事があると。今、私がその本を手にすることはできませんが、これは谷口真由美さんが「メディアにおけるセクハラを考える会」として今回の事件について声明を発表された、その中に出てきます。引用の孫引きになりますが転載させていただきます。
性暴力とは何か。どんな形であっても「同意なしに性的に接触すること」、または接触がなくても「存在を性的におびやかすこと(露出、盗撮、ポルノなど)」はすべて性暴力である。対等な関係性なく、力と支配による性行為は暴力であり、犯罪だ。加害者は全く知らない人の場合もあるが、知人、それも親しく近しい間柄にある場合も少なくない。性暴力被害者は、恐怖と屈辱と混乱の中で「誰にも言えない、知られたくない、考えたくない」と一人で悩み、「自分が悪かったではないか」と罪悪感にさいなまれる。この時できるだけ早く、心理的、治療的な支援を受けることが心身の回復にとって非常に重要である。時が経過すればするほど心的外傷は深くなり、回復が遅れ、心身のみならずその後の生活、さらには人生にまで大きな影響を与えてしまう。「性暴力被害にあったのは、あなたのせいではない。あなたは何も悪くない」
以上で引用終わります。
こんな記事を掲載している、その責任者である彼にとっては、性暴力と自分は無縁なことと思っているのでしょうか。数々の女性に対する行為は、性暴力である、自分は加害者であるという認識がなかったのでしょう。
昨日書いたヒロシマで「危なかった」という人、その人は、「何をするんですか!」と逃げたと。そしたら彼は「やっぱりね」と苦笑いを浮かべて言ったと。そして、その後は、全くそのような行為をしなかったと言います。
「いやなのなら、拒否できる状況」であった、それを拒否しなかったから、それは「合意である」とでも?でも、それはいみじくも、その「DAYS JAPAN」に書いてあるように「対等な関係の中で」などでなく、「力と支配による」関係性の中でなされていました。彼女たちは、断ると、これから先どうなるのかという恐怖の中での行為であったと。彼は、自分の権力を行使して、彼女たちとの行為に及んでいるのです。
これは、昨年、京都市男女共同参画推進協議会と5人の大学生たちで作ったパンフレットの中にあるチェックリストです。
京都教育大学の関口先生による、「対等、 平等に、合意、納得したかが大事」であるとパンフレットには掲載されています。
こんな基本的なことを広河さんは学んでいなかったのでしょう。この項、まだ続きます。
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