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丸木美術館の「いのちを語るいのちを歌う」

11月18日(日)、広島市平和祈念館で、丸木美術館主催の会が開かれます。丸木美術館のお知らせをこに転載したいのですが、無断転載は禁止と出ていますので、残念です。以下のアドレスをクリックして下さいませ。

http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2018/hiroshima.html

二階堂和美さんのフェイスブックから。これは、禁止されていませんでしたので。

Photo

丸木さんご夫妻の原爆の図についての対談も、二階堂さんの歌も、とても楽しみです。そして、司会、朗読、岡崎弥保さんです。俳優であり、「ひろしまのピカ」「夏の花」「新しい憲法のはなし」などの朗読をもなさっています。

ここに岡崎さんの公式サイトがあります。

http://ohimikazako.wixsite.com/kotonoha

ここでは、10月30日に亡くなった小野瑛子さんと、31日に亡くなった西村利信さんの「原爆体験記」、追悼の朗読が聞かれます。

小野瑛子さんについては、もう、言うまでもありません。何回かこのブログでも、書かせて頂きました。昨年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」で体験を語ってをいただきました。お父様は、当時広島二中の教師、山本先生、あの合唱曲「いしぶみ」で、「君は頑張って家に帰るんだ、先生はもう歩けない、さあ、握手して」と生徒に語り、そこで亡くなった方。その遺児が小野瑛子さん。

あの合唱曲の先生の遺児が生きていらっしゃる!!それを聞いて、直ぐに8.6ヒロシマ平和の夕べで語って頂こうと思いました。

私の父は同じ二中の教師で、偶然にも助かりました。小野さんのお父様は亡くなって。あの原爆で、亡くなった人、偶然生き延びた人、それぞれの家族のその後は何と異なることでしょう。写真では、とても幸せだったご家庭がうかがえます。

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当時、小野さんは、もう肺がんと闘っていらっしゃいました。抗がん剤でいったん抜けた髪がまた生えて来て、今、こうなのよとウィッグを取られました。あら、その髪も素敵です!!と申し上げました。その後も、ギリギリまで語り部を続けられました。福島の子どもたちへ被曝者手帳を交付するようにという運動も続けられました・・・。小野瑛子さん、本当にありがとうございました。

18日は、私も会に参加して、皆さんをしのびたいと思います。


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コメント

ご活躍、たくさんの情報とともに楽しみに読ませていただいています。
この数日、韓国の男性グループの着ていたティーシャツが原爆を軽んじるものだったとか、過去にはヒットラーを連想させるライブ衣装やパフォーマンスだったとかで、騒がれていますが。。 日本人のグループが欧米で不快に思われるようなことをしたこともあり、それらを思うにつれ、戦争について、原爆について、ナチがしてきたことについてなどなど、、今の若い人たちがあまりに知らなすぎてのことのようにおもえています。
若い人たちには、知っていなければならないこと、知っていたほうがより豊かに生きていけることを知る権利と義務があるとおもいますが、でも それは若い人たちに限らずで、年配のわたしたちにはさらに、伝える義務と責任があると思います。
騒がれているグループの人たちに、丸木美術館の本を見てもらったら、なんておもっていた矢先だったので、コメントを入れました。
日々 ご多忙とお見受けしております、くれぐれもお風邪を召されませんよう、お大事にお過ごしください。

投稿: 東のひつじ | 2018年11月13日 (火) 10時25分

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