医学部入学試験女性差別①
東京医大の入試での文科省のお役人の子どもを不正に合格させたということに端を発して、女性の受験生の合格を制限していたという事が公にされました。そして、それについて、様々な人が発言しています。それらを見ながら、情けない思いをしてきた一人の女性医師として、やっぱり発言をしなければと思いました。
私は、1947年4月生まれ。広島市内の公立小、公立中、公立高、そして広島大学の医学部を卒業し、その年の医師国家試験に合格、医師として広島大学産科婦人科学教室に入局、勤務医を経て、現在広島市内にクリニックを開業しています。大学病院から市内の病院の勤務医時代に結婚、二度の出産、子育てを経ました。
特に、土谷総合病院での勤務医時代、夜昼ない出産、救急指定病院であったための急患の受け入れ、緊急手術、それはしんどいものでした。大学病院で10年弱、土谷総合病院で10年弱、あまりの激務に精も根も尽きて開業しました。
それはしんどいものでした。でも、それでも、私はやめないと思ったのは、産婦人科の現場には女の医師が必要という信念。結婚も子どもも欲しい、欲張りでも、男性の医師に許されることが女性の意志に許されないのはないという意地。当時、広島ではまだ女の産婦人科医がほとんどいませんでした。入局した時、一級上の女性がお一人いらっしゃいました。後は全部男性(ナイショだけど、その女性の先輩は、すごくいじ悪で、よく泣かされました)。
私は、私も苦労したのだから、みんなも苦労しなさいという思いは全くありません。
大学病院から土谷病院に移り、産婦人科を新設する過程で、初めは一人で赴任、大学から後輩を派遣してもらう時には、女性の後輩を派遣してほしいと教授にお願いしました。少しずつ女性の入局もあるようになっていました。その次も。土谷病院産婦人科を女医の病院にしたいと思いました。当時は、他の病院では、女医さんは困るという部長さんが多くいらっしゃいました。女性のお産を診るドクターが、「女は妊娠するから」と堂々と言われていた時代。だから、私の所では、その女医さんをと希望しました。
私は二人、その次に来てくれた女医さんも二人、その次は三人、そしてその次も二人の子を産み、子育てをしながらの勤務でした。
それをするには、私は決まりを作っていました。子どもの保育園・学校と、私の勤務場所と、自宅が走っていける範囲に。これが鉄則でした。何かあった時には、どこへでも飛んで行けるように。私の枕元の電話が鳴ったら、飛び起きて自転車に乗り、5分後には分娩室に到着していました。
夜中の緊急手術で朝になり、午前7時。手術室の看護師さんに頼んで家に電話をしてもらい、夫に「帰れないこと」を伝えてもらいました。その時には朝ご飯を夫が用意し、子どもたちを学校に送り出してくれました。
後輩、同僚たちには、とにかく、勤務時間には必死で仕事をして、時間には帰りましょう。当番(順番に夜の当番を引き受けていました)の時には、子どものことを自分で何とかする手配をと。
し残した仕事があれば、例えば、カルテやいろいろな書類を書いたりの雑用が沢山あります。それは、ごはんを作り一緒に食べ、お風呂に入り、子どもたちが寝た後にまた病院に行き、仕事の残りをしていました。この時代、思春期学会の学会発表など、カルテを調べながら統計をとったり、データをまとめたりして、沢山の発表もしました。
当然、医師の飲み会や様々な行事は欠席です。それは優先順位からすれば仕方がないことです。休みの日のゴルフなんて、とんでもない、子どもたちと海に行ったり、山に行ったり。精一杯子どもと過ごします。
そんなことで犠牲になったのは、決定的に私の睡眠時間です。睡眠を削れば沢山のことができる、それだけのことです。
さて、重ねて言いますが、そんな私の経験を、そんなしんどいことを後輩たちはしなさいと言うつもりは全くありません。私はしんどかったけれど、後輩たちはもっと楽にできたはず。社会的にも認められているはず。というのが、今回の東京医大を発端として、社会的に全く進んでいなかったと言う、深い失望が私を覆うのです。産婦人科の世界では、とても女医が増えました。先日の「産婦人科医のための女性保健医療セミナー」でも、3分の2は女性です。全国で皆さん活躍しています。
何故、女は体力的に無理だとか、出産するから仕事をやめるとか言われるのでしょう。それが入学試験の不正な操作まで行われることになるのでしょうか。それが当然、仕方がないことと言われなければならないのでしようか。
私、男性を多く入学させたいのなら、それは簡単なこと。男たちが入学試験で高い点を取ればいいだけのこと。それだけ勉強すればいいだけのこと。全ての男たちが女より高い点を取れば、彼らの望みは、たちまち解決すること。低い点しか取れなくて、それでも入学したい、させたいってずうずうしい。
これまで時間をかけて、沢山のデータを集めました。少し長くなるでしょうが、これらを提示して、反論を試みたいと思います。
まず、世界の中の医師の女性が占める割合です。もし女性に不向きな職業であれば、世界中でそうでなければおかしいです。
この項、暫く続きます。
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コメント
時々ブログを拝見させていただいています。
私は、33年先生が土谷病院に勤務されていた時、女医で立会分娩ができることを知り、里帰り出産でお世話になりました。朝7時12分の出生なので、先生を早朝から呼び出したはずです!でも、英さんの写真にも残されていますが、笑顔で取り上げていただけたことを大変感謝しております。
先生が開業された事は、何年か経ってから知り、今では1年に1度がん検診で市外から受診させていただいています。
先生のさらば悲しみの性や更年期ダイアリーを読ませていただいたりして、女としての私の人生に先生は大きな存在です。
そして現在、カープに旅行、お孫さんとの関わり、嫁として・・・本当にす・ご・い!と力をいただいています。
女として女医は本当に必要だと思います!
これからも多くの女医さんに活躍していただきたいです!
投稿: | 2018年9月30日 (日) 15時20分