米澤鐡志さんの第二弾の本
8月になっても、灼熱の暑さが続いています。
これからは、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について御報告しますね。
第一回からずっと「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の大切な役割を担って下さり、今回もまとめの挨拶をして下さる「電車内被爆者」の米澤鐡志さんの第二弾の本が出ました。ご存知のごとく、第一弾は小学館からの「ぼくは満員電車で原爆浴びた」。
これは、それはそれはものすごい本です。11歳で原爆を浴びて、 母親や妹を亡くし、その後今まで奇跡的に生きぬいた米澤さんの長い闘いの記録です。
父親の、医師であり共産党の市会議員であった米澤進さんとの確執。ご本人は、日本共産党から市民運動へ。共に闘った沢山の人の名前がここに出てきます。峠三吉、山代巴はもちろんのこと、私が実際に直接に聞いた、被爆後プレスコードの中で、焼け残った福屋の上からビラをまいたという在日朝鮮人の方、この方たちと共にというか、階段の途中までビラをもって行き、朝鮮人に手渡したという記述には、また本当に驚きました。ビラをもって行った少年、それを受け取って、屋上から撒き、階段を駆け下りて逃げた(警察は、エレベーターで上がってくるとふんで)という人が私の中でつながりました。松江澄さん、近藤幸四郎さんには、ああ、胸が締め付けられる思いがしました。
それどころか、HIVの赤瀬範保さんや石田吉明さんの名前まで。米澤さんは、この方たちとも共に闘われたのだと、本当にびっくりしました。
米澤さんは、とてつもない人。貴重な市民運動の担い手としての今に至るまでの長い人生です。この方の記録をこうして残されたことはすごい、素晴らしい。
8.6ヒロシマ平和の夕べでの平和学習として、被爆電車にみんなで乗り、あの日のことを話して下さった米澤さん。私撮の写真です。
こうして、爆心地での被爆を奇跡的に生き抜き、長年今に至るまで闘い続けた米澤さん、どうぞ、いつまでもいつまでも生きて、私たちに御教授下さいますように。
この「原爆の世紀を生きてー爆心地からの出発-」は、8.6当日、会場でも販売されます。
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コメント
被爆73年:間もなく8・6、当日も猛暑でしょうね。リハビリも順調にいき、杖なし歩行で行けます。本日、久し振りに映画館へ。孫と見た「少年H」以来。1968年日活制作「あゝ ひめゆりの塔」:吉永小百合主演。そして今月の予定は「この世界の片隅に」「タクシー運転手 約束は海を越えて」と続きます。8月は映画館で涼むもよし。来られてる方は、高齢者?の方たちばかりでした。小倉昭和館にて。
投稿: 小倉っ子 | 2018年8月 2日 (木) 18時49分