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障がいのある人の性教育について③

知的障がいのある子どもの性教育についての続きです。

子どもたちは、いろいろな言葉に傷つけられたり、なかなか自己肯定感を持てないで育っています。私の患者さんでも、できるだけご本人に直接話かけたいのですが、そうすると、付き添いの方から、

「この子に話しても分からんから。障がい者なんだから。私に話して下さい。」と言われて、当人がうつむくという姿もあります。当事者は、こんなやり取りをいっぱい見て聞いてきているのでしょう。

自己肯定感、大切な自分という意識をもってもらうために。これが、七生養護学校の先生たちがもっとも力を入れた所でした。自画像を絵に描いたり。子どもたちは、赤ちゃんが好きです。自分が生まれた時のことを勉強する中で、自分に対してのいとしさも身につけて行きます。

長年、知的障がい児の性教育に取り組んできた永野先生がその授業の様子を話してくださいました。自分が生まれた時のことを勉強する中で、難産で知的障がいが残ったという生徒。授業を見学に来た方のそばにとことこと行って

「こんにちわあ。僕は○○と言います。僕は生まれる時に頭が出たり引っ込んだり出たり引っ込んだりしてなかなか生まれなくって。頭が壊れました。だから、時々バタンと倒れることがあります。その時には宜しくお願いします。」と
ご挨拶したのだそうです。

他の先生の実践です。好きな事を一杯上げてもらう。子どもたちは生き生きと探します。楽しい授業づくりですね。

そして、体の勉強。性教育というと、性器の学習みたいにとらえられがちですが、体全ての勉強です。その上でのプライベートゾーンですね。これは、その体の勉強をした特別支援学級での、私の友人の実践の報告です。こうして頑張っている先生方、感動します。


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この項、まだ続きます。

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障がいのある人の性教育について②

障がいの有る人の性教育。先日の香川の養護学校での講演で、私ははじめに言いました。

「そもそも、障がいのある子どもたちに日々触れあっているのは皆様方であって、そのプロフッェショナルである皆様に私なんぞが、偉そうに障がいの有る人の教育につい話すのは、僭越であると思っています。ただ、私は、長い間性教育という分野で取り組んでまいりました。その立場から、今後の皆様方のご活躍に少しでもお役に立てればと、そういう気持ちでお話させていただきたいと思います。」


そうなのですね。養護学校、特別支援学校で日々子どもたちと向き合っていらっしゃる先生方にしゃしゃり出て話すことに、いつも気恥ずかしさを感じていました。だからこそ、ひたすら勉強もしました。本を買い集めたり、資料を集めたり、実際に実践していらっしゃる先生方に教えて頂いたりしました。


これは、皆様方にお配りした本の一覧。実際これらの本を持って行って展示をし、暫く読んだりコピーをしていただいたらと思って置いて帰ります。


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その時の講演に使ったスライドの一部を。


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これらの説明を含めて、続きますね。

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障がいのある人の性教育について①

先日、7月の末に行った島根県立益田養護学校の校長先生からお礼のお手紙が来ました。講演の前に用意して下さっていたお弁当を食べながらお話して、ああ、発想の柔らかい校長先生だなあと思っていた方です。ここの講演については、すでにご報告していますが、

その校長先生からのお手紙を転載させていただきます。

『 謹啓  残暑の候、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。

さて、先日開催しました構内顕彰会におきましては、酷暑のなか、公務多様の檻にもかかわらず、「障がいのある子どもたちの思春期と性」として大変貴重なお話をしていただきました。

性はたいせつなもの・すてきなもの」といった自分を大切にする自己肯定感を育むメッセージを伝えることの大切さや、具体的で分かりやすく、丁寧でゆっくりと子どもたちへ伝えること、そして性暴力の加害や被害にあわないように、プライベートゾーンや嫌と言える勇気を持てるようにすること、また、LGBTへの理解まで多岐にわたってご教示いただきました。改めて子どもたちに関わる上での姿勢を再確認し、責任の重さを感じ、身が引き締まる思いがいたしました。

そして、貴重な書籍や資料もお貸しいただき、先生のお話をあわせて本校の性に関する指導の充実に生かしていきたいと思っております。重ねてお礼申し上げます。

今後とも、ご指導、ご鞭撻いただきますよう、だよろしくお願い申し上げます。

益々のご活躍とご健康をお祈りし、暑中にてお礼申し上げます。

                              謹言

(以下略)            』

このお手紙を読んで、「ああ、伝わった」とうれしかったのです。通り一遍の令状ではなく、太字の部分です。

生まれて来たこと、体の勉強を丁寧にゆっくり時間をかけて。

知的障がいのある子どもたちというのは、社会や身近な人からでさえ、自己肯定感を持て持てないような対応をされがちで、つらい思いを抱えがちです。そこに、自分自身が生まれて来たことの喜び、自己が大切なのだという思いをも持てるようになって欲しいと思っています。

それから、「プライベートゾーン(水着で隠れる部分)は自分だけが見たり触ったりしてもいい所。人に見せたり触らせたりしない事、人のを無理やり見たの触ったりもしない事」

更に、LGBTについては、知的障がいがある人にもあることです。それが、自分でもちゃんと理解できないままに、つらかったり、自己に否定的になったり、どうしていいのか分からないままに問題行動になることもあり得ます。

講演を終えた後、校長室に帰った時「さあ、これから。なにから取り組みましょうか」と担当の先生におっしゃった校長先生です。さらにこのお手紙をいただいたことで、これら先、これらに取り組んで戴くことに、期待できそうと、とてもうれしく思いました。

一週間前には、香川県立中部養護学校にお話に行きました。そこでのお話、障がいある人の性教育について、続きます。

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夫は実家の老人会の初盆に行きます。

今日から夫は一泊二日でふるさとの大分に帰ります。車を運転しない夫ですから、新幹線と特急とタクシーと、泊まるのはホテルにするらしい。

この夏、大変な義母の初盆を終えて、ああ終わったと思っていたら、まだでした。明日は老人会の初盆で、それに遺族が来てくださいという事なのでした。県外なので行かれませんは言えないのだそうです。町内会の盆踊りと老人会の初盆と一緒にしてくれたらいいのにと思っても、それはよそ者の考えることです。地域の人にとっては集まりは多い方がいいのかもと思います。

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むさくるしい写真で恐縮ですが。かゆいかゆいと掻きながら、ムヒをぬっていて、思わず

「田舎というのは、かゆい所と見たり」

と言いました。そしたら、夫が「君は俺の実家は田舎だと思っているの?」と言いました。うん、いなかよ。と言うと「田舎だと思ってバカにしているの?」と言いました。あら、田舎即バカにするのと違うでしょ?田舎暮らしにあこがれている人は沢山いるよと。そして、「でも、かゆいのはいやよ」と言いました。

この夏は猛暑で蚊が少ないとは言っても、ちょっと油断すると、蚊に刺されまくりです。この足の裏側、ふくらはぎの方は、これ以上にもっと刺されています。一足で30か所くらい。それに刺されると5日はかゆみが続きますし、今もまだ足には刺された跡が残っています。

それこそ、田舎の山道にいる蚊は強烈で、虫よけをシュッしていても、ズボンの上からでも刺します。初めて河野の実家で山道の草取りをしていて、あまりに沢山蚊に刺されて、ブルブル震えが来たことがあります。以来、気をつけてはいるのですが。一緒にいても夫は全然刺されず、刺されても、すぐにかゆみは治まるのに、私だけ一杯刺されて、かゆみがいつまでも残ります。

虫にアレルギーっぽくなっているのかもしれません。一度やはり実家であしなが蜂にお尻を刺されて、膝から腰まではれ上がったことがありますし。

今度は、12月に義母の一周忌の法要があります。その時はもう蚊はいないでしょう。

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8.6平和の夕べの反省会・学生たちの朗読劇

昨日は、午前中は今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の反省会。午後は8.6ヒロシマ平和の夕べのスタッフみんなで資料館での武蔵大学の永田浩三ゼミの学生たちの朗読劇「わたしたち朝鮮人がヒロシマで体験したこと」、その後に李鐘根さんの被爆証言を聞きに行きました。

今年の平和の夕べ、おおむね好評でした。沢山の方が時間がないのにアンケートを書いて下さってありがたいことでした。小出先生のお話、だれもが感激されていました。小出先生の話を聴きたくて会に参加された方も多いと思います。李鐘根さんのお話も、広島裁判の渡部さんのお話も、多くの方の胸を打ちました。最後の安次富さんのお話、アンケートでも指摘されました。時間が制限されて申し訳ないことでした。李さんのお話も、今回改めて聞いて、もうちょっと時間を長くすれば、もっとお話しされたかったことでしょうと思いました。

これからの課題は、午後4時までしか会場が使えないのですから、開始時間を早くするか、もう少しメニューを少なくして、お一人ずつじっくり話して頂くという方向に行かなければならないでしょう。

永田さんは、昨年の8.6ヒロシマ平和の夕べで平和講演をしていただきました。元NHKの記者、今は武蔵大学で学生の指導をしていらっしゃいます。素晴らしいですね。NHKに残って番組を作り続けて頂きたい方でしたが、こうして若者の指導をして、しっかり考えられる若者を作って行く仕事もとても素晴らしいことだと思いました。

朗読劇の学生さんたち、さぞ苦労されたことでしょう。沢山の本を読み、考え、ここにまで落ち着くのに、どれだけの時間、労力を費やしたことか、それがよくわかる舞台でした。

「広島の方たちにどう受け止めて頂いたか分かりません。でも、昨日ヒロシマに来て、資料館に行き、今日は昨日よりも広島の心に少し近づけたかもと思います。」と最後に学生さんがあいさつされました。学生さんたち、これから、いろいろと考え、体験してしっかりした大人になって行くことでしょう。

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李鐘根さんのお話、40分しかなかった、8.6平和の夕べでは省かれた、基町高校の生徒さんの絵の一枚です。お母さんが、泣きながら鐘根さんの首の蛆虫を取っている姿です。李さんの差別体験も含めて、やはり十分に時間をかけて話して頂くべきでした。

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この後、みんなでお好み焼き屋さんで打ち上げをしました。良き仲間たちと遠慮のない会話、楽しかったです。また来年に向けて頑張りましょう。

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私的カープ優勝決定期待日

今日は、久しぶりにカープの話を。

マジックも減ってきて、優勝も大詰めになって、さあ、いつ優勝を決めるのかが関心事で。私は、これからの予定を診察机に貼って、ああでもないこうでもないと計算なんぞをしながら過ごしております。でも、例年と違うのは、マジックの対象がくるくると変わったり、二つあったりすること。ヤクルトと阪神と両方が負けないとマジックが減らない、でも、昨日はヤクルトは勝って阪神が負けなので、今日のマジックの対象はヤクルト。ややこしいことです。まああれこれ数字を並べながら計算をするのは楽しいことですので。

これが張ってあるの。左上のマジック表は、毎日張り替えます。

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さて、優勝はいつでしょう。今のままだと、最短は9月8日。カープが全部勝ってマジック相手が全部負けた場合。こんなことはまあありえないので。カープは、9月20日からなんと11連戦になります。それまでに決めておいて欲しい。それと、今度こそぜひ地元で決めてとも思うし。であるのなら、9月20日の阪神戦でしょうか。そしたら、後の11連戦はいろいろな選手を代わるがわる使って、CSに備えられます。昨年のようにドカッと空いてしまって、勝負の勘も無くなって、CSで負けなんてことがないように。昨年は本当にガッカリしたものね、そんな思いはもう御免です。こちらは、ソフトバンク戦のチケットもゲット、博多のホテルまで決めていたのに。

私がこれからの試合のチケットをゲットしているのは、9月2日、6日、13日、16日、そして27日、最終日になるかもの10月4日。うーん、優勝の瞬間はまた見られそうにありません。すごくうまくいけば、16日のヤクルト戦というのも、あり得ますが。

でも、9月2日と16日は神宮球場で、地元のマツダスタジアムではありません。7月の初めに、9月16日の神宮に行けないか、そのころに決まるのではないかと姉母娘から相談があって、よし!!で、調べましたよ。神宮球場は、前の月の初めにひと月分のチケットの売り出しがあります。だから、9月の試合は8月初めに売り出します。でも、ヤクルトのファンクラブに入れば、一週間も前にチケットが買えるのですね。では、で、即ファンクラブに入りました。カープのファンクラブは、応募してもしても抽選に外れて入れないけれど、ヤクルトのはこんな時期でも入れたのです。それも、無料会員とか有料会員とかいろいろとあって、有料だと、それだけチケットの購入時期も早くなるので、ためらわず有料会員になりました。

そしたら、送ってきましたよ。ヤクルトのユニフォーム。とてもきれいな色の。いらないけれど。他、無料券とかいろいろ。ただただ早くにチケットを買うためです。

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そして、チケット購入日。甘く見ていました。カープのと同じように、メールが通じない!!通じない、通じない。そうだ!練習していたのがまだ残っていて、そこから入ったら見事に通じて、チケット購入できました。三塁側のSS席。ちゃんと送って来ましたよ。もしかしてと調べた神宮球場のすぐそばのホテルも取れました。私的にはその日に優勝が決まると嬉しいのですが。ちょっと厳しいかもですね。

2日には性教育の会で東京に行くので、午後5時からの試合開始、それを孫たちと観に行きます。このチケットは、ファンクラブから簡単に取れました。最終の新幹線には間に合わないでしょうから、新大阪までの最終で。新大阪で泊って、早朝の新幹線で広島に帰って、診療をします。ああ、もう、楽しい!!です。

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2018年8月6日⑨交流会で

今年の8.6ヒロシマ平和の夕べは、ツイキャスで録画が配信されています。

https://iwj.co.jp/wj/open/archives/429032

このURLで見ることができます。ツイキャスへのご支援、よろしくお願いします。

8.6ヒロシマ平和の夕べの後すぐに交流会でした。沢山の方が参加して下さいました。

その時の写真を少し。小出先生とお話したい人が一杯でした。お一人ずつ丁寧に対応して下さる、誠実な先生です。その上、川口真由美さんの声かけで、踊られましたよ。

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俺は、絶対に歌わないと言われていた安次富浩さんも、やはり川口さんに乗って、一緒に歌われました。川口さんの力、すごい。

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語り部として頑張って下さっているお二人。李さんと米澤さんです。ありがとうございます。お二人も含めて、被爆者の悲願である核廃絶は一体いつになるのでしょうか。どうそ、これからも長くお元気で若者たちに語って下さいませ。

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皆様に個人的にお尋ねします。平和の夕べの直前に、スタッフから私へのプレゼントだと渡してくれました。美しいお花とカープグッズ!それに江田島のお菓子。うれしくて。でも、どうもスタッフがお名前を間違ったのだと思います。どなたからのかわからないのです。個人的にお礼を言わないままになっています。申し訳なくって。どうぞ、このプレゼントを下さった方、ご連絡下さいませ。ありがとうございます。そして、ごめんなさい。

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明日は、8.6ヒロシマ平和の夕べのスタッフ会議。反省会兼次につながるです会議です。

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2018年8月6日⑧高校生の陳述

8.6ヒロシマ平和の夕べでは、福島から広島に避難している「福島原発ひろしま訴訟」原告団団長の渡部美和さんが福島からの報告をして下さいました。彼女は、広島の原爆被爆三世。31歳の時に福島に移住していました。今は、家族と共に広島で生活しています。が、その壮絶な訴えに、みんな声もなく胸が痛く、どうしたらいいのか、どう支援したらいいのか、頭を抱えました。美和さんの生活なのか裁判なのか何なのか、何とかしなければなりません。詳細は、その場にいた人が聴くだけで、書面にすることはできません。でも、本当に何とかしなければ、なのです。また、この場でみなさんにお願いすることがあるかもしれません。その際には宜しくお願いします。

そして。2年前の8.6ヒロシマ平和の夕べで森松明希子さんと共に語ってくれた中学生の男の子が、今年も参加してくれていました。今は高校生。交流会にも出てくれていたので、皆さんに紹介しました。そしたら、東京での裁判で、彼が陳述をしたのだと。その原稿を読んでくれました。それは、胸を打つ陳述なので、その原稿をもらって帰りました。ここに、また転載しますね。

『    意見陳述要旨

              2017(平成年29)年10月25日

東京地方裁判所民事50部合は係  御中

1 いわきでの生活

 僕は、福島県いわき市で生まれ、両親と5歳離れた弟と共に生活していました。

当時は、春になればテレビで何度も紹介されるくらい桜並木の有名な「夜の森公園」でお花見をし、夏は潮干狩りに行き、秋はきのこ狩りをして、冬は雪だるまを作る。高遠学校の帰りの通学路でツクシをたくさん採って帰って、お母さんに作ってもらう土筆の佃煮が好きでした。家も庭も広く、ブルーベリーやしいたけ、プチトマト等は庭で収穫できました。学校では友達と昆虫を見つけたり、泥団子を作ったりして遊んでいました。

2 事故が起きた後の生活

しかし、2011年3月11日を境に、このような生活は全てなくなってしまいました。夜の森公園は今も帰還困難区域だし、放射能だらけの泥で泥団子は作れません。

しかし、何より一番つらかったのが、転校先でのいじめです。

 図工の時間に作った作品に悪口を書かれていたり、菌扱いされたりしてきました。そのようなことが続き、できることなら死んでしまいたいといつも思うようになりました。小学校3年生か4年生の時にはは、七夕の短冊に「天国に行きたい」と書いたこともありました。

たぶん、避難者についてよく知らされていない人の目には、福島から来た避難者は家が壊れていないのだから何も被害はなかったのに多額の賠償金だけもらって、しかも東京の避難所にただで住んでいる「ずるい人たち」とうつるのでしょう。本当は、東京電力や国が、放射能汚染の恐ろしさや僕たち家族のような区域外避難者にはほとんど賠償金を払っていないことなど、正しい情報をみんなに伝えてくれていれば、こんな勘違いは起きなかったと思います。

実際、中学生になって今までの学校と全く関係のない学校に進学して、ずっと自分が避難者ということを隠していますが、いじめは起きていません。

3 大人に責任をとってほしいこと

原発によって儲かったのは大人、原発を作ったのも大人だし、原発事故を起こした原因も大人。しかし、学校でいじめられるのも、」「将来病気になるかも・・・」と不安に思いながら生きるのも、家族が離れ離れになるのも僕たち子どもです。

原発事故が起きてしまった今、本当は誰も安全なんて言えないはずだし、実際、誰も僕に「君は病気にならないよ」とは言ってくれません。なのに、東京電力や国の大人たちは「あなたの地域はもう大丈夫ですので安心してください」と言って、危険があるところへ戻らせています。でも、僕たちが大人になって病気になるかもしれない頃には、僕たちを無理やり危険な場所へ戻らせた大人たちは死んでしまっていて、もういない。そんなのひどくないですか?

僕たちはこれから、大人の出した汚染物質とともに、生きることになるのです。その責任を取らずに先に死んでしまうなんて、あまりに無責任だと僕は思います。せめて生きているうちに、自分たちが行ったこと、自分たちが儲けて汚したものの責任をきちんと取っていって欲しいです。

そして、今は、「(放射能)汚染した場所に戻りたくない」と思っている僕たちを無理やり)放射能)汚染している場所に戻らせることは絶対にやめて欲しいです。

僕、父、母と弟はもちろん、避難者はみんな原発事故が起きてから、生活、人生も変えさせられてしまいました。誰も望んだことではありません。避難者は、みんな同じです。東京電力と国には責任をとってもらいたいと思います。裁判所は、僕たち子どもたち、そして、全ての避難者の声に耳を傾けて下さい。
                                 以上  』


やはり交流会での写真です。国連でスピーチをしたときに、この姿で街を歩くと、皆さんが何だ何だと興味をもって寄って来てくれたのだそうです。


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2018年8月6日⑦国連人権理事会でのスピーチと勧告

森松明希子さんが国連人権理事会でスピーチをするに至ったのは、次のような経緯がありました。8.6ヒロシマ平和の夕べで配布された資料を転載しますね。

今回の発言は国連人権システムの手続きである普遍的定期的審査(UPR)の第3回の対日審査の中でおこなわれたものです。この制度は2008年か4月から始まったもので、全ての国連加盟国が約4年ごとに人権状況の審査を受ける制度です。

2012年10月に第2回の対日審査でオーストラリア政府代表から日本に対して「人権理事会が選任した健康の権利特別報告者の訪日調査を受け入れるように」勧告があり、日本政府の正式招待という形で健康の権利特別報告者アナンド・グローバー氏が訪日して調査を行い、2013年5月に人権理事会に詳細な報告書(国連グローバー勧告)が提出されました。それは個人的判断で書かれたものではなく、すでに確立されている国際人権法を根拠とし、日本の国内法も援用して原発事故被害者の人権を守るための多面的な政策転換を日本に勧告したものです。

その後、社会権規約委員会(2016年3月)でも、原発事故被害者の人権状況改善について勧告が出されています。日本政府がどのような反応をしても、これらの勧告は現在もそのまま有効です。

2017年10月、福島から京都に避難した園田さんが人権理事会の各国政府代表や特別報告者に面会するとともに、第3回UPR(普遍的定期的審査)の事前セッションでスピーチをし、女性と子どもに「格差ある被害」が生じていることなど実情を知らせました。

2017年11月、作業部会では日本に対して報道の自由を含む217項目の勧告が出され、そのうち福島原発事故被害者の人権保護については4カ国の政府代表から勧告が出されました。これに対して日本政府は形式的には「フォローアップを受け入れる」と表明しましたが、具体的にどう実現されるかは不透明です。これを実現するためには政府や国会だけでなく、地方自治体や市民社会の継続した努力が必要です。

園田さんと森松さんのスピーチは日本の人権状況への関心を国連加盟国によびかけるとともに、日本の状況を改善する提案としての性格があるといえます。国際法や国連というと、遠い外国のように感じがちですが、国際法は国内法より優位にあり、地方自治体や市民社会も国際法を順守する義務があります。国際法を根拠として出されている勧告は政府を含むすべての国内組織と市民が尊重し、実現していく必要があります。

2017年11月の4か国の勧告は次のごとくです。

住宅、財政的、及び他の生活支援に関わる措置と、被災した人たち、特に事故当時子どもだった人たちへの定期的な健康管理の実施を含む、福島の高い放射線地域からの自主避難者への支援の提供をすること(オーストラリア)

影響を受けた全ての人達の再定住に関する政策決定過程において、女性と男性双方の十分かつ平等な参加を確保するために、福島第一原子力災害によって影響を受けた全ての人たちに対して、国内避難民に関する指導原則を適用すること(ポルトガル)

特に放射線の許容可能な線量限度を年間1ミリシーベルトに回復させることによって、また避難者と住民への支援を継続することによって、福島地域に住む人たち、特に妊娠した女性と子どもの最高水準の心身の健康に対する権利を尊重すること(ドイツ)

福島原子力事故によって被災した人々と、核兵器の使用の影響を受けた何世代もの生存者に対して、医療サービスへのアクセスを保障すること(メキシコ)

特に、このメキシコの勧告は、広島・長崎の被爆二世にも及ぶ勧告ですね。これらの勧告は、今回、これを自分の力で転載して初めて理解できました。これを配布して下さった森松さんありがとうございました。

8.6ヒロシマ平和の夕べの後の交流会で、ナンシーさんたちがイマジンを歌っている時に、横断幕を広げる森松さんです。

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2018年8月6日⑥福島被災者のこと

暫くお休みしていましたが、今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について。私たちは、この8.6ヒロシマ平和の夕べを始めた時から、ヒロシマ、沖縄、そして原発について一体の物としてとらえ、取り組んできました。そして福島の原発事故が起こってからは、原発と福島についても一つのものとして取り組んで来ました。

今年の平和の夕べでは、小出裕章先生の講演と共に、福島の原発被害者、原発賠償関西訴訟原告団代表の森松亜希子さんが短い時間ですが、お子さんと一緒に報告して下さいました。

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関西に避難してきた時に0歳だった下のお子さんはもう6才です。

その森松亜希子さんは、今年の3月19日、国連人権理事会で市民からの発言として演説をされました。その国連での演説の日本語訳をいただきましたので、ここに掲載いしたします。

『森松亜希子と申します。避難者である母親たちと、グリーンピースとともにきています。わたしは、2011年5月、福島の災害から逃れるために、二人の子どもを連れて避難しました。

 原発事故直後、放射能汚染は広がりました。わたしたちには、情報は知らされず、無用な被ばくを重ねました。空気、水、土壌がひどく汚染される中、わたしは、汚染した水を飲むしかなく、赤ん坊に母乳を与えてしまいました。

放射能から逃れ、健康を享受することは基本的原則です。日本の憲法は、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏からのがれ平和のうちに生存する権利」と書かれています。しかし、日本政府は市民をまもるための施策は、ほとんど実施してきませんでした。その上、日本政府は放射線量の高い地域への帰還政策ばかりに力を注いでいます。日本政府は、国連人権理事会での勧告を、ただちに、完全に受け入れ、実施をして下さい。

国連加盟国の皆さんの日本の人々の権利擁護のはたらきに感謝します。今後も福島、そして東日本の、特に、脆弱な子どもたちを、さらなる被ばくからまもることに力をかしてください。

ありがとうございました。

   (国際環境NGOグリーンピース・ジャパン訳)  』

このスピーチは、各国政府代表から注目され、内外で報道されました。

明日、なぜ森松さんのスピーチが実現したか、さらに国連からどのような勧告が日本政府に出されているのか、更にその勧告を日本政府が無視し続けている状況等をお話します。

 私は、今日診療後は四国に移動です。明日高松で障がいのある人の性教育について講演します。台風が来ていますね。無事帰れるのでしょうか。

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さよなら沖縄。

沖縄の眼科に行って帰り。タクシーの中から並木道を撮りました。この時は、まだ麻酔の点眼が効いていて、さほど痛くなかったのですが。沖縄は、どこも緑が濃くて美しいです。

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そして、三泊したホテルから帰る時。ホテルに通じる道です。

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いいホテルでした。私が泣きながら車を運転して、やっとの思いでホテルに帰り着いた時、その足でコンシェルジェの所に行き、目が痛い、どこか眼科を受診したいと訴えたら、すぐに2人の方がパソコンをカチャカチャ。電話をかけて受診できるように手配して下さいました。そして、タクシーも手配、そこまで付き添って載せて下さいました。


眼科に着くと、待ち構えて下さった受付の方が、すぐに麻酔の点眼をして下さり、スッと痛みが消えて、それから診察。
ドクターが下さった写真です。黒目の中の白いのが傷だそうで、なんとも大きく角膜が傷ついていました。これは拷問でしたね、と言って下さいました。コンタクトは一週間以上しておらず、目を打ってもいません。シュノーケリングの曇り止めで時にこうなることがあるのだとおっしゃいました。夫以外みんながしたのに、私だけこうなるなんて、信じられなくて。それが年というものでしょうか。もうシュノーケリングはおしまいですね。人生最後、美しい魚たちを見られて満足です。


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その後の、最後の晩。みんなでホテルの和食のお店で。息子とママがそれぞれ注文したあわもりの飲み比べ。 一つずつ名前と説明がついておりました。飲める二人がうらやましくもあります。私は、あまりの目の痛さに、食事の途中でリタイア、部屋でハルシオンを飲んで休みました。

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さようなら、沖縄。これまで沖縄は何度も来ましたが、遊んだのは初めてです。楽しくうれしかったです。辺野古、不十分な参加でしたが、皆さんの熱意に心打たれました。知事選、オール沖縄を見守りたいと思います。事務所が決まった時点でカンパですね。

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沖縄から帰りました。

昨日、無事広島に帰って来ました。帰るとすぐに現実の仕事です。特別養子縁組の実母と養親予定の人達との面接をしました。涙涙で、でも、実母は、養親とその家族の方たちにお会いして、安心したことと思います。赤ちゃんのためのお守りとお手紙を養親に渡し、養親からも実母にお手紙が渡されました。彼で、実母は赤ちゃんとお別れです。

目はまだ痛くて視力も回復しませんが、徐々によくなっているのを実感しています。今日からの診療は大丈夫です。

沖縄の景色を中心に写真をいくつか。

瀬底ビーチのすぐそばのカフェです。入口、建物、ブランコやハンモックのある中庭、ママが頼んだ海ブドウ丼、下には、どっさりのお肉と五穀米が隠れていました。どんな料理にも、ハイビスカスが飾ってあります。孫は、髪にさして、記念写真を撮りました。

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こんなカフェが広島にあったら、毎日でもランチに行きます。

この後は、もう少し北に行って、並木道を水牛に乗って眺めました。とても美しい並木道、この中に民家があります。狭い道を水牛は上手に歩きます。でも、暑い中、水牛がかわいそうにと夫が言って、少し気分が下がりました。

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明日、もう一度沖縄の写真を出しますね。

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ウォータースライダー・シュノーケリング

おきなわで過ごした三泊四日、今日でおしまいです。広島に帰って明日から仕事です。

ホテルのプール、朝も昼も夜も、孫はとても気に行って、ずっと泳いでいました。昨日だけ海で泳ぎました。私も、シュノーケリングで何十年ぶりかで、美しい海の魚たちを見て、大満足です。でも、そのシュノーケリングで目をひどく傷めてしまって、眼科のお世話になりました。今も痛くて、車の運転が危なっかしいのですが何とか帰れるでしょう。

それに、ホテルのナイトプールで、ウォータースライダー、50メートルのながーい滑り台を滑りました。滑りたかかったけど、子どもや若い人たちばかりで、恥ずかしいのでダメだと言っていたら、若者が、滑りましょう、大丈夫ですよと背中を押してくれました。結局すべったのですが、滑り終えると、何と、周り中から、拍手と歓声と笑いで。ハイタッチを求める人もいて、一体何なのか分かりません。

後で、娘が撮っていた動画を見て納得。ばあばが滑るよ、と娘が孫に言っていたのを聞いた周りの人達が、ばあばが滑るんですって。それに夫が、70歳ですよ、と言ったら、70歳の人が滑るんだって、それはすごい、と次々と広がって、「ばあば、頑張れ、頑張れ」と大合唱。上にいる私には声は届かず、単なる騒音で、知る由もありません。だから、バシャーンと滑り終えると、大笑いと歓声と拍手だったと言うことなのですね。

夫が、ばあばは大きいから、しぶきが飛ぶから、下がっていた方がいいですよというと、孫がそんなことないよ、とかばってくれたと。その前に、夫が、ばあばがプールに入るとプールの水があふれて、よ水がなくなってしまうよとも言ったと。

孫が、ママに「どうしてじいじはウソを言うの?」と聞いたと。そしたら、ママが「それは、冗談というのよ」と教えていたと。まったく、もう。

昨日の、瀬底ビーチ、美しい海でのシュノーケル、サンゴ礁での色とりどりのお魚は、それは素晴らしくって。息子家族も、もちろん孫も娘もみんなでシュノーケリングを堪能しました。

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こんな海は、沖縄の宝。二度と戦争に捲込まれないように、私たちも力を尽くさなければと思います。

また、沖縄について御報告しますね。目を傷めているのに、パソコンをするのはやめなさいとうるさい人がそばにいますので。

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沖縄、辺野古で。

昨日は、夫と二人で辺野古に行きました。

沖縄防衛局は、昨日8月17日から辺野古の海に土砂を投入すると宣言していたのですが、翁長知事が亡くなって、いったんそれは中止、延期になったそうです。翁長さんが命を懸けてこの土砂投入を止めてくれたと、皆さんがおっしゃっていました。

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これまで、選挙の時には何も言わず、静かにしていて、選挙が済んだとたん事態がバタバタと動くと言うのがこれまでのパターンであったと。キャンプシュワブのゲート前で沢山の人が集まっています。

それにしても、安倍首相、翁長さんの葬儀の13日、みんなが涙を流している時に、「ふるさとのかき氷はおいしいなあ」と、かき氷を食べている写真をツイッターに載せたと。せめて追悼の言葉でも載せるなり、せめてかき氷の写真は控えようかという配慮もないのかと、これは、個人的に聞きました。探してみると、ありました。たしかに13日に。

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キャンプシュワブのゲート前には、沢山の人が全国から駆け付けていました。翁長さんの追悼の言葉を自由に書き込むようにしてありました。私も一言翁長さんへの感謝の言葉を書きました。

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そこから、埋め立てが予定されている海岸へ。

この美しい海が埋め立てられると。


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砂浜で集会です。

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垣根越しに憲兵を説得する人々も。

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これから、知事選を初めとして、沢山の地方議員選挙があります。それらに全力を挙げて、基地建設反対の知事、議員を送り出さねばと。暑い中、皆さま本当に頑張っていらっしゃいました。そう、安次富さんや、京都から川口真由美さんも、それからYasuさんにもお会いしました。ほんとうに皆さん頑張っています。

戦争への道をひた走る安倍政権に対して、沖縄の心と広島の心は一つだと、思いを新たにしました。ずっとここにいて頑張ることができない、せめてもの思いとして、カンパをしてきました。

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2018年8月6日⑤沖縄の闘い

おはようございます。沖縄、名護です。昨夜まで降っていた雨が今朝は上がっています。気温も低く、とても爽やかです。

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那覇空港で子どもたちと合流しました。孫と一緒に泳ぐのを楽しみにしています。

今日は夫と二人で辺野古にカンパやお土産をもって行きます。昨日、那覇空港で、子どもたちと遭う前に、何と、米澤さんに会いました。先日の「8.6ヒロシマ平和」の夕べに京都から来て下さって元気にまとめの挨拶をして下さった電車内被爆者の米澤さんです。大阪空港から来られた米澤さんは、辺野古に行くと、元気いっぱいでした。高速道路の途中、トイレの休憩に寄った所でも、また米澤さんに会いました。本当にその元気は素晴らしい。

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美しい景色。でも、来る途中は米軍と自衛隊の基地だらけでした。

8.6ヒロシマ平和の夕べでは、今年は沖縄からは安次富浩さんに来て頂きました。粘り強く非暴力の姿勢で闘って来た沖縄の人たちの闘いについて、熱く語られました。翁長知事の埋め立て承認撤回についても詳しく語って下さいました。

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①埋め立て承認の「留意事項」にある沖縄県と国の環境保全策などの事前協議が行われていないこと。②大浦湾側の軟弱地盤や活断層の存在。③新基地が建設された場合に周囲の建物が米国防衛省の軍用機の高さ制限に抵触すること。④稲田朋美元防衛相の「固定翼機が新基地を利用するには滑走路が短いため、別の民間空港等の使用の日米協議が整わなければ普天間飛行場が返還されない」との発言を問題視したと。

さらに、これからの展望として、9月の地方選挙、名護市議会議員選挙、10月の那覇市長選挙等をどう闘うかが問われること。あくまでも非暴力でという事を強調されました。

しかし、その8月6日にはまだ翁長知事が存命でした。こんなに早くに亡くなってしまうことはだれも想像しませんでした。

翁長知事の承認撤回の意志を継いで、沖縄の皆さんはますます闘いの意志を強められています。しかし、辺野古での長い座り込み等で、皆さんが疲れていることも聞きました。資金的にも厳しいと。私は、座り込みには少ししか参加できませんが、差し入れとして、カンパをしてこようと思います。

それでは、今から辺野古に向けて出発です。昨日は、慣れないレンタカーで少し苦労しましたが、もう慣れたので、大丈夫です。

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庭の樹の伐採

昨夜無事広島に帰って来ました。とても疲れて。私も疲れたけれど、夫がもっと疲れ果てています。

初盆については、もういいやと言いたいですね。

もう一つ、別府の我が家の植木が茂りすぎて、ご近所さんからクレームがついてしまって。道にはみ出しているので、落ち葉が沢山落ちます。行くと、せっせとお掃除をするのですが、何しろ毎日そこにいるわけではないし。義母がまだ生きている頃は、月に二回看病のために帰っていました。でも、亡くなってしまって、それに義姉たちとそんなにうまく行っていなくて、あまり帰りたくなくなって。あ、私ではなく、夫がです。

それで、初盆で行っている間に何とかしたいと思って。ネットで探しました。「庭・伐採」と入れて探すと、24時間受付という所があって。電話をしました。それは0120でしたので、全国で受け付けをして、近くの業者に連絡を取るという方法でした。で、いろいろとこちらの要望を言って、それを受けてくれる業者の方から電話がかかってきて、翌12日には見積もりに来て下さいました。お盆で申し訳ないのですが、別荘なので、こちらにいる間にととても無理をお願いしました。13日は、その方も初盆周りがあるので、14日にと。そして、その方と、もうお一人の二人で、クレーン車と共に来てくださいました。


こんなになっていました。背の高いのは、クロガネモチ。ここに家を建てた時に私の父が熊野の実家から持ってきて植えたもの。数十センチの小さなものでした。道路にぐっと飛び出しているのは、サクランボてす。これは、私が生協で買った小さな鉢植えを地に下ろしたもの2本です。今では、2本で数千個の実を着けます。でも、ちょうどに帰られなくて、クロガネモチもサクランボもその実は鳥の餌になっていました。

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チェーンソーで枝を切りながら、上へ上へと昇って行く、その姿がとってもかっこよくって。


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トラックに落とした枝は、下でベテランの方がやはりチェンソーで切りながら、手際よく荷台に詰めていきます。この方は、16歳から植木職人で、今は78歳。もうリタイアしたけれど、頼まれた時のみ、こうして手伝うのだと。でも、若い人へのアドバイスもとても適格にしています。


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上まで全ての枝を切り落とした後は、幹を切りながら、下へ下へ。その後、ベランダへについている琵琶の樹も少しカット。そして、レモンの樹も選定して下さいました。これは、ベテランの方が木に登って。

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全てが終わると、こうなりました。

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父が植えたクロガネモチは、根を残しているので、また春には新芽が出てくるそうです。そしたら、今度は上に伸びないように、ちゃんとカットします。サクランボも、また春には花が咲いて実がなるそうです。ありがたいことです。


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これで、ご近所さんにもご迷惑をかけることがなくなりそうです。本当にホッとしました。そして、急なお願いを聴いて下さった業者の方に感謝しています。とてもいいコンビのは素敵な方たちでした。

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盆踊りでした。

昨日は、とうとうブログを書けないままでした。Wi-Fiが効かないし、Wi-Fiのために河野の実家から出ることもできないし。家に帰ったのは、深夜、日付も変わってからだし。

昨日は、盆踊り。

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その地の踊りは、公民館の庭で行われ、亡くなった方の遺族が公民館の中に座って皆さんのお参りを受けるというもの。河野が5時過ぎから9時まで、一体どうしたらいいのか嘆きました。私は、うふふ、仕方ないね、頑張ってなどと言いながら、さあ、その間私はどうしましょうと思っていたら、何と。甘かったですね。私も一緒に座らなければならなかったのです。あらっ、そうなのですか。それこそ、私にはしんどい時間でした。

河野は、懐かしい方たちと、ああ、久しぶりとか、こんばんはとか、たのしそうに過ごしました。私は、一人も知っている人がなく・・・。公民館の中は暑いし。

お参り頂いた方へのお土産を車一杯の載せて運んで。これをお一人お一人に渡します。

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初めに、お坊様が来られて、皆さんでお参りです。

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ここに写っているのは、役員の方たち。私たち遺族4家族は、こちら側に座っています。お坊様はお若く、お経を聴いて、うん?私は一度も聴いたことがないお経です。鐘をたたきながら唱えられます。何教でしょう?だって、私はこれまで沢山のお葬式や法事に出ていますが、本当に初めて聞く御経です。一部、真言宗に似ている部分もありましたが。仏教の出どころは同じだから当然ではあります。後で聞くと、禅宗だと。この地の家の55%が禅宗で、河野の実家のような浄土真宗は少数なのだそうです。

沢山のお土産をもって行って、本当にこれだけの人が来られるのかしら、と思っていたら、本当でした。お土産を渡すのが忙しかったです。

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地域にとって良き風習が脈々と続きます。太鼓は、若い人、子どもも代わる代わる上手に叩くし、踊りも老若男女、合いの手、掛け声をかけながら、楽しそうでしたし。でも、これも我が家は私たちの代まででしょう。私たちが死んだあと、息子たちがここに来てこの行事に参加することは考えられませんもの。

今日は、もう一度お墓詣り。12日にお墓に参って、両親を家に連れて帰っていました。今日、お墓に連れて行き、また来年までお墓にいて下さいねとお返しするのです。私はこの地に来るまで、お盆のお墓詣りは一回のものと考えていました。ここでは二回するのが当たり前なのです。その後、広島に向けて帰ります。初盆だけの里帰り、これでおしまいです。でも、台風ですって。

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初盆でバタバタ

昨日、義母の初盆を終えて、今日は少しゆっくりできるのかと思ったらなんと、朝8時から出かけて、河野の実家にいて、お参りして下さる方たちをお迎えしなければなりませんでした。途中でお昼ご飯を作ったり、晩ご飯は兄妹夫婦で戴いたりで、我が家に帰ったのが、午後11時半でした。

その間、気になりながらも、Wi-Fiが届かない所なので、ブログを書くこともできず、アイパッドを見ることもできないままでした。

そして、明日はまた朝から出かけるのと、我が家の樹が大きくなって、道路にはみ出してしまって、ご近所からクレームが出ました。で、急遽手配して、業者の方に来てもらって伐採してもらいます。それと重なって、行ったり来たりしなければならないことになりました。


夜は夜で盆踊りに座らなければならないし、そのお土産の袋詰めをしたりしなければならず、また一日中働くことになりそうです。

昨日の初盆の法要の後は、ホテルで食事。今回は中華にしました。とっても素敵なお料理でしたので、またいつかアップしますね。

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中庭が海が見えて素敵でした。



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食事の後は、コーヒーでさらにおしゃべり。

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そんなことで、ごめんなさい。遅くの、今日ギリギリのアップでした。

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2018年8月6日④

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の平和講演の小出裕章先生は、ご自分の講演で使われたスライドを提供して下さり、参加の皆さんにはそれをプリントして配布しました。これは、私たちにとって、貴重な資料で、とてもうれしいことでした。

先生は、「原発・核と戦争を推し進める愚かな国、日本」で、アウシュビッツの写真の次に、過去の戦争について「問題は過去を克服することではない。しかし、過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」というヴァイツゼッガーの演説を紹介されました。

そして、戦争の責任についても、福島原発の事故についても、その責任があいまいにされたままであると。

原発と核兵器について。

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これは、自民党石破茂議員の発言です。安倍政治は早く終わらせてほしいけれど、総裁選に立候補を表明しているこの人も、大変に危険な人であると言われました。

そして。

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「他人に核兵器をもってはいけないというのであれば、自分も持ってはいけない。誰かの核の傘に隠れてもいけない。米国の続国としてひたすら強いものに媚び、弱い者には徹底的に居丈高になる国、それが日本である」と言われました。

最後のスライドです。

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小出先生の分かりやすい説得の力のあるお話をこのような形で私がまとめると言うのは、とても失礼な話だと思います。それを承知で、少しでも参加できなかった皆様にお伝えできればという思いで、紹介させていただきました。

小出先生、本当にありがとうございました。先生のお話を胸に、私もこれからさらにコツコツと歩んで行こうと思います。

なお、「小出さん」と呼ぶべきという人もありますが、私にとってはやはり「小出先生」なので、それを使わせていただきました。

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義母の初盆のために大分に来ています。

別府にいます。陸路を走って昨夜到着したのは、午前3時でした。

今朝早くに起きるとすぐ、河野の実家に行き、初盆の準備をしています。実家はWi-Fiは圏外で、だからパソコンもiPadも使えません。患者さんからの電話があったので、ちょっと口実をつけて我が家帰って来ました。急ぎ、これをアップしてまたすぐ実家に戻ります。

いろいろと行事が大変な地域です。

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もう今日、お参りに来て下さる方もおありでした。うちに来て下さる方へのお土産50人分、明日法要をします。その後はホテルで食事。そこに来て下さる方へのお土産は、大分県内の方には、県内用のトキハの商品券、県外の方には、JCBの商品券、男性用のお菓子と女性用のお菓子別々に、それぞれに紅茶。これらを全部間違えないように袋に入れて、お渡ししなければなりません。

そして、14日には地域の盆踊りがあります。その会場の公民館に夫が義母の遺影と共に座って、皆様のご挨拶を受けます。そのためのお土産が100人分。

そして、15日には、いったんお墓から家につれて帰った義父、義母をもう一度お墓に連れて行って、それで一連のお盆の行事は終わります。

それらをつつがなく終えて帰るつもりですが・・・。

買い物に行ったり来たり、寝不足だし、もう疲れています。

すみません。そんな具合で、8.6ヒロシマ平和の夕べについて、今日は書けません。とぎれとぎれで本当にすみません。

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2018年8月6日③

昨日は、京都から帰り、市の区役所で悪戦苦闘。なかなか厳しい規律があるようで、時間がかかりました。規律に従わなければならないのは分かるけれど、臨機応変というのは効かない組織でもありました。未成年の子が自分が自分であるという事を証明することはとても難しいのですね。健康保険証、マイナンバーの通知書の二つではダメだと。写真入りの学校の証明書も、学校は公的機関でないからダメだと。写真入りのパスポートは期限が切れていてダメでした。結局目的は果たさないままに帰らざるを得ませんでした・・・ああ。また改めて出直さなければなりません。

夜のカープは、行ったかいいがありました。途中、疲れか寝不足か、ウトウトしてしまいました。そしたら、夢を見ました。隣に父が座って、一緒にニコニコして試合を見ていました。まだ幼い日、小学校の時には、父がよくカープを見に連れて行ってくれました。いつもライト側の外野席です。弱いカープ。勝った記憶はあまりありません。今、生きていて一緒にここに来ることができたなら、どんなに喜んだことでしょう。昨日は、延長11回、奇跡のサヨナラ。それも、菊池のクリーンヒットを呼び込むピンチヒッターの新井さんのヒットがありました。私はこの所、ずっと新井さんのユニフォームを着ています。来年も続けてほしいけれど、無理かなあ。

さて、すみません。お知らせしたいことが一杯あって。なかなか「8.6ヒロシマ平和の夕べ」を集中的にお話することができなくって。

李鐘根さんは、②でもお話したように、毎年基町高校の生徒さんに被爆体験を話し、その話を聴いた生徒が絵を描いています。その絵をスライドにして話をして下さいました。


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これは、逃げる途中に見た馬。爆風で眼玉が飛び出ていたと。そう、人間の中にも、目玉が飛び出て、ぶら下がった人もいたと聞いています。こんな絵を生徒の課題として描き続けるという、基町高校の実践は素晴らしいです。
李さんは、被爆前、差別に苦しめられたことを具体的に話してくださいました。名前も奪われ日本名を名乗らされたこと。同時に、きっと気を使われたのだと思います。顔と首のひどい火傷を、日本人の女性がごま油をもってきてくださって、それをぬって徐々に治ったことも話してくださいました。


日本の政策と差別について。

李さんに続いて話して下さったのは、待ちに待った小出裕章先生。小出先生の話を聴きたかったという方が沢山来られていました。

小出先生の話は、アウシュビッツの写真から始まりました。

そして、戦争責任に行きます。

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一番下の行、小出先生の姿で隠れている所は朝鮮です。日本は終戦記念日ではなく、敗戦記念日だと。アジアに侵略し、沢山のアジア人を殺した挙句の敗戦。


そんな日本に対し、8月15日は、韓国は「光が再び来た→光復節」、そして朝鮮は「祖国解放記念日」であると。

そして、すぐに思いました。韓国人原爆犠牲者慰霊祭に参加した時、在日本大韓民国婦人会広島県本部の方たちの悲しく美しい原爆犠牲者慰霊歌、フェイスブックにその歌声を動画で載せました。そして、一番だけの歌詞を載せました。


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その二番の歌詞です。

「解放された祖国の姿を見られないまま、原爆で犠牲になった兄弟。
8.15(光復節)を数日前にした8月6日を心に刻み、悲しみを乗り越えよう。
異国で孤独な魂 恨み死んだ人の霊をなぐさめ 冥福を祈ろう」


小出先生のお話、まだ続きます。

私は今日からお盆の休暇に入ります。いつもは日曜から休むのですが、明日土曜日は祭日の休みなので、一日早くから休みます。今日の夜、大分に車を飛ばします。義母の初盆の準備です。初盆が大変な行事の地域です。

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特別養子縁組の会議と「8.6ヒロシマ平和の夕べ」は少し

おはようございます。京都の朝です。

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昨夜、台風で動けなくなる前に、京都まで新幹線で移動してきました。広島はもう新幹線がなくとも、新大阪までなら遅くまであります。最終の一つ前の列車に乗ることができました。京都のホテルも急でしたので泊まりたかったホテルではありませんが、無事取れて泊まることができました。今日のお昼までに広島に帰って、約束の養子縁組の手続きに行きます。

昨日の特別養子縁組についての厚生労働省主催の会合、沢山の団体の方たちが集まっていて、こうなのかと驚きました。会合の中身も、びっくりすることが沢山ありました。モデル事業として、沢山のお金の補助がある団体も。私も特別養子縁組あっせん事業者ですが、全くボランティアとして、赤ちゃんと産んだお母ちゃんのために、むしろ持ち出しでやってきているものですから。こんど届け出制ではなく、許可制になります。いろいろと厳しい規制や義務が問われます。何回もの研修も受けなければならないそうで。研修の施行をする団体を今公募しているそうです。そんなこと、全然知らなかったけれど、正直、とてもしんどいことです。

また、特別養子縁組は、基本国内ですることという新しい法律につき、いろいろな異論も出ました。基地の近くの団体は、黒人の赤ちゃんも沢山生まれる、このような時には、日本国内よりもアメリカで育ててもらう方がいい場合もある、また、最後に「大切なのは命でしょう。子どもの命のはずなのに、やれ日本人は日本国内でというのはおかしくないか」と、強く言って下さる方もあって、少しすっきりしました。

また、目標として一年に1000人の特別養子縁組を目指すと言うのがあって、とてもとても違和感がありました。このような育てることができない出産がないようにすることが、私は目標だと思うのです。養護施設の充実や自相の職員を増やすことなどの福祉の充実よりも、個人の善意などに任せようとする国の魂胆が見えるような気がして。

また、これらの問題点等について、ここでご報告しますね。

さて、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」です。285人の定員の会場が一杯で、受付にいるスタッフや階段に座って聞いている人達もあって、本当に盛況でした。皆様のおかげです。沢山のアンケートも書いて頂いて、ありがたいことです。これらは、次につなげる活力にしたいと思っています。

さて、会ののトップバッターは松浦美喜とnancychnnel with friends の皆さんの歌と演奏でした。フェイスブックで多くの方がアップして下さっていますが、どうも左のギターの方が映っていないようなので。改めて私が写した写真をアップしますね。


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山本さとしさんの「ヒロシマの有る国で」と豊田勇造さんの「九つの鐘」それは素晴らしい演奏と歌でした。私は、動画で撮っているので、You tubeでも流したいのですが。

また、あすから平和の夕べのお話をしますね。
今日は長崎の原爆祈念日です。新幹線の中で合掌しましょう。

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2018年8月6日②

8月6日のご報告を続けます。

「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」で広く市民に配布される冊子に、今年は内閣総理大臣のあいさつが印刷されていません。これまではあったのですが。

いつもいつも同じ挨拶で、「昨年のコピペだ」と騒がれて、それは、本当に同じで日付を入れ替えただけ、また、長崎では広島と同じ、地名や日付を変えただけ。今年も昨年と比べてみようと思ったら、印刷されていませんでした。なんの内容もない、空虚な言葉の羅列、読んでいて、恥ずかしくないのかと思います。

でも毎年の平和祈念式での子どもたちの「平和への誓い」これは胸を打ちます。今年は特に被爆直後の様子が語られて、さらにこれからの自分たちの決意も語られて、ふと涙ぐみそうになりました。ここに、配布されたパンフレットからその全文を転載しますね。

   

平和への誓い

人間は美しいものを作ることができます。
人々を助け、笑顔にすることができます。
しかし、恐ろしいものをつくってしまうのも人間です。

昭和20年(1945年)  8月6日 午前8時15分。
原子爆弾の投下によって、街は焼け、たくさんの命が奪われました。
「助けて」と、泣き叫びながら倒れている子ども。
「うちの息子はどこ。」と、探し続けるお父さんお母さん。
「骨をもいでください。」と頼む人は、皮膚が垂れ下がり、腕の肉がない姿でした。
広島は赤と黒だけの世界になったのです。


73年が経ち、私たちに残されたのは、
血がべっとりついた少女のワンピース、焼けた壁に記された伝言。
そして今もなお、遺骨の無いお墓の前で静かに手を合わせる人。
広島に残る遺品に思いを寄せ、今でも苦しみ続ける人々の話に耳を傾け、
今、私たちは、強く平和を願います。

平和とは、自然に笑顔になれること。
平和とは、人も自分も幸せであること。
平和とは、夢や希望をもてる未来があること。

苦しみや憎しみを乗り越え、平和な未来をつくろうと懸命に生きてきた広島の人々。
その平和への思いをつないでいく私たち。
平和をつくることは、難しいことではありません。
私たちは無力ではないのです。
平和への思いを折り鶴に込めて、世界の人々にへ届けます。
73年前の事実を、被爆者の思いを、
私たちが学んで心に感じたことを、伝える伝承者になります。

平成30年(2018年)8月6日
                   子ども代表
                     広島市立牛田小学校6年           新開  美織
                     広島市立五日市小学校6年        米廣  優陽



私たちの「8.6ヒロシマ平和の夕べ」での李鐘根さんの証言。李さんの話を聴き、毎年基町高校の生徒が絵を描いています。「今年は、閃光を描いてもらったんです。なかなかあの色が出なくてね。泣き泣き描いたでしょう。」と言われました。それらの絵をスライドで出しながら、証言して下さいました。


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李さん自身も顔や首等全身に強い火傷を負いながら、「助けて下さい」とすがりつくような、あの目。その目を向けられながら、助けてあげられなかったと語られました。基町高校の生徒さんが、すさまじい「その眼」を描いていました。

私は、二中の慰霊祭でも、現生徒会長の追悼の辞を動画で撮りました。これも、素晴らしい言葉でした。これもいつか文字に起こして、ここで皆様にお知らせしたいと思います。

数少なくなった、被爆者の体験を聴き、私たちがどうするのかを考える、そんな子どもたち、若い人、のこれからを見たいと思います。

      ・    ・    ・

私は、今日これから東京に向かいます。往復飛行機の予約をしていましたが、台風で飛ばないかもしれないとANAから報せがありました。急きょ、新幹線で行きますが、帰れるのでしょうか。明日はどうしても昼には帰っていないといけません。東京での用事は、厚労省の特別養子縁組についての会議、そして、明日帰ってするのは、特別養子縁組の手続きの一部です。医療の現場では、変わらずの事態が続いています。

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2018年8月6日①

昨日は、怒涛の一日、無事乗り切ることができました。

「8.6.ヒロシマ平和の夕べ」に来て頂きました会場いっぱいの参加者の皆様、ありがとうございました。知った範囲では、東京や九州からも参加して下さった方がおありでした。皆様に支えられていること、心から感謝します。

沖縄や信州等からも来て頂いた演者の皆様ありがとうございました。おかげ様で、会を好評の内に開催することができました。

何よりコツコツと準備をしてきたスタッフの皆様、大変だったけど、本当にやって良かったですね。終わってみて、改めてホッとしています。

平和の夕べについては、またゆっくりとご報告しますね。

今日は、8月6日のご報告を。早朝から広島二中原爆死没者慰霊祭に参加しました。

毎年のごとく、沢山の警察官の厳重警備の元に開催。というのは、皮肉です。会が始まる前に、安倍総理の車がフルスピードで駆け抜けていきました。

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何の慰霊祭か分かってる?と聞きたくなりました。夫によると、会のお世話をしていた高校生が「キャー、安倍さんだ」と歓声を上げたと言うのです。ホント?私は写真を撮るのに夢中で気づきませんでしたが夫はショックを受けていました。

慰霊祭の前に、同窓生の山本定男さんの「私の被爆体験と合唱曲『レクイエム碑』」の証言を聴きました。今も毎年益田遥先生の指揮、広島観音高校音楽部OB会により演奏されている合唱曲の誕生のお話です。広島メンネルコールの指揮者をしていた山本さんが、昭和44年、広島テレビが放送したテレビドラマ「碑」を見て、合唱曲にしたいと思ったこと、そしてテレビドラマを作ったやはり広島二中の卒業生である広島テレビの薄田純一郎さんに作詞を依頼したこと、広島二中の大先輩であり作曲家であり福岡教育大学の森脇憲三さんに作曲を依頼したこと。

昭和45年、初めて広島市公会堂で山本さんの指揮で発表したこと。そして、「全曲の演奏が終わった後、私は聴取に訴えました。『皆さんが座っておられる後ろには広島二中一年生の慰霊碑が建っています。どうか後ろのドアを開けて下さい。彼らに聴かせてやりたいのです』と訴え、最後の終章という曲をアンコールで歌いました。」
このエピソードは知っていましたが、その当の先生がこうして話していらっしゃることに、すごく感動しました。

会は、政治家の紹介や弔電の紹介もなく、追悼の辞も同窓会代表、校長、生徒会長の三人。慰霊碑のそばにある、碑建設当時の古田貞衛校長の悼歌朗誦「なぐさめの 言葉知らねばただ泣かむ ながおもかげと いさおしのびて」。そして、二中と観音高校の校歌斉唱とすっきりしたいい会でした。


もう、汗びっしょり。いったん家のかえってシャワーを浴びて出かけました。

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の会の様子です。

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懇親会の後、自転車でクリニックに帰る途中です。今年も「小さな祈りの影絵展」が行われていました。コツコツと継続すること。その方たちの美しく心打たれる作品です。

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そして。灯篭流しは、もう灯篭たちが川岸に集まって漂っていました。

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私はその後、クリニックに帰り、今日までにしなければならないレセプトを仕上げて帰りました。一日が終わりました。また明日、いろいろとご報告しますね。

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8月6日です。多くの方にお会いできますように。

今日、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」を行います。会場時間、開会時間が早くなりました。申し訳ございません。早くにいらっして下さいませ。後ろが決められていますので、こうなってしまいました。

12時45分から「松浦美喜とnancy channel with frinds」の歌が始まります。

最終的に決まったプログラムは次の通りです。


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プログラムの部分をアップします。

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どうぞ宜しくお願いします。

今日は、地下街のシャレオの中央広場で「国境のない花たち展」が開かれます。ちょっと足を延ばしてみて下さい。る毎年沢山の国の方々の生け花が展示されます。

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昨日、韓国人原爆犠牲者慰霊祭に参加しました。異国の地で孤独にひどい状況で亡くなった方々に想いを馳せました。日本人としてはごめんなさいとしかいう言葉しかありませんでした。

韓国人原爆犠牲者の会の朴珠南さんが一番に献花されました。朴珠南さんには、8.6ヒロシマ平和の夕べで被爆証言をしていただきました。どうぞますますお元気でお過ごし下さいますように。

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今から、広島二中の慰霊祭に行きます。広島二中の教師をしていた父の代わりの参加です。

その後、平和の夕べの準備に行きます。一日忙しくなります。また多くの方々にお会いできますように。



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今日も暑い日です。

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昨日の原爆ドームです。いつもきれいな花と香りで和ませてくれるバラの花たちも暑さにまいっているようです。

明日の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」は例年と異なって、会場12時20分、開会が12時45分からとなります。どうぞお間違えの無いようにお願いします。

それから、開会後は一気に行いますし、終わりも早くに撤退しなければなりません。書籍等の購入は、早くにお願いします。できれば、開会の前にしていただくとありがたいです。

それから、交流会ですが、これも申し込み、参加費(3000円)の支払いも事前にお願いします。いつも懇親会場の前で混雑しますので、本会の受付で、事前申し込みいただいた方に参加証をお渡しします。

詳しいタイムテーブルは明日お知らせしますね。

昨日、出勤を早めて、途中で「教師と子どもの碑慰霊祭」に後から参加しました。
やはり誰の言葉よりも子どもの言葉が胸を打ちます。それから、子どもたちのきれいな声の歌も。

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平和教育が全国で展開されることを祈ります。

今日は、韓国人被爆者の慰霊祭に参加、そのほか一日中、明日の平和の夕べのフライヤーを平和公園で配るつもりです。

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8月4日朝の平和公園

今朝早く、6時から平和公園を散策しました。陽が出た直後の公園はまだ涼しく、とても気持ち良かったです。もう直ぐ、灼熱の公園となるでしょう。


公園全部、8.6の準備がすっかり出来上がっています。


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本川沿いの、「いしぶみ」の広島二中の碑のそばでは、夾竹桃が満開です。


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「大きな骨は先生ならむ そのそばに 小さき頭の骨 あつまれり」

の正田篠江の歌が刻まれた「教師と子どもの碑」では、今日行われる慰霊祭の準備が行われていました。


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あの日、原爆の犠牲になった国民学校児童は約2000人、教師は200人とされています。毎年8月4日に行われる慰霊祭では、年々厳しくなっている平和教育への決意が新たにされると聞いています。

今日から、原水禁世界大会も開かれます。これから次々と沢山の碑の前で、沢山の慰霊祭が行われます。二中の慰霊祭は、広島市の平和記念式典と同じ時間に行われます。私もこちらに参加するつもりです。

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小出裕章さんの著書の販売のご案内です。

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の平和講演は、小出裕章さんです。平和の夕べでは、二度目の登場です。京都大学を定年退職された今は、信州で農作業をしながら、益々活発に核・核兵器や原発についての発言や執筆等の活躍をしていらっしゃいます。どんなお話をしていただけるのか、ワクワクします。

そして、小出先生の著書の販売です。沢山の著書を執筆していらっしゃいますが、今回はこの二冊を会場で販売いたします。この度の講演のタイトルとほぼ同じ、

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ともう一冊は、

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会場では限定10冊です。早めに購入して下さいね。

それから、今年のうたと演奏のnancy channel with friends のnancyさん、デザイナーとしても超お忙しい時間を割いて、昨年に続いて今年も沢山の缶バッジを作って下さいました。これも当日会場で販売いたします。nancyさん、ありがとうございます。

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それから、このような書籍やカンバッジ等を購入する時間があまりないと思います。会場の明け渡しがギリギリになりますので、後で購入するのはとても難しい、買おうと思われる方は、どうぞ、早めにお願いしますね。私たちの貴重な運営費になります。どうぞ宜しくお願いします。

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米澤鐡志さんの第二弾の本

8月になっても、灼熱の暑さが続いています。

これからは、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について御報告しますね。

第一回からずっと「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の大切な役割を担って下さり、今回もまとめの挨拶をして下さる「電車内被爆者」の米澤鐡志さんの第二弾の本が出ました。ご存知のごとく、第一弾は小学館からの「ぼくは満員電車で原爆浴びた」。

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そして、この度の第二弾は。

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これは、それはそれはものすごい本です。11歳で原爆を浴びて、 母親や妹を亡くし、その後今まで奇跡的に生きぬいた米澤さんの長い闘いの記録です。

父親の、医師であり共産党の市会議員であった米澤進さんとの確執。ご本人は、日本共産党から市民運動へ。共に闘った沢山の人の名前がここに出てきます。峠三吉、山代巴はもちろんのこと、私が実際に直接に聞いた、被爆後プレスコードの中で、焼け残った福屋の上からビラをまいたという在日朝鮮人の方、この方たちと共にというか、階段の途中までビラをもって行き、朝鮮人に手渡したという記述には、また本当に驚きました。ビラをもって行った少年、それを受け取って、屋上から撒き、階段を駆け下りて逃げた(警察は、エレベーターで上がってくるとふんで)という人が私の中でつながりました。松江澄さん、近藤幸四郎さんには、ああ、胸が締め付けられる思いがしました。

それどころか、HIVの赤瀬範保さんや石田吉明さんの名前まで。米澤さんは、この方たちとも共に闘われたのだと、本当にびっくりしました。

米澤さんは、とてつもない人。貴重な市民運動の担い手としての今に至るまでの長い人生です。この方の記録をこうして残されたことはすごい、素晴らしい。

8.6ヒロシマ平和の夕べでの平和学習として、被爆電車にみんなで乗り、あの日のことを話して下さった米澤さん。私撮の写真です。

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こうして、爆心地での被爆を奇跡的に生き抜き、長年今に至るまで闘い続けた米澤さん、どうぞ、いつまでもいつまでも生きて、私たちに御教授下さいますように。

この「原爆の世紀を生きてー爆心地からの出発-」は、8.6当日、会場でも販売されます。

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薬物を盛られたのではないか?という時

性被害ワンストップセンターの相談でも、以前からの私のクリニックの受診の方でも、それから、詩織さんの事件でも、どうも何か盛られたのではと思われることがありまず。

すでにこのブログでもお話しましたが、カラオケでカルピスを飲んで意識がなくなった、新幹線の中でコーヒーをどうぞと言われて飲んだら、気づいたらホテルで裸だった。合コンに参加していて、いつの間にかホテルにいたなど、沢山あります。

私のクリニックでは、以前からそのような場合のために、薬物が検出できるきキットを置いています。検査法はとても簡単で、10分もあれば結果が出ます。検体は、少しの尿。


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でも、薬物はどんどん分解、排泄されますので、早くしないと検出できなくなってしまいます。薬物にもよりますが、二日以内に検査させてほしいですね。

いつまでに検査すればいいのか、個人によって、水分摂取量や排尿の量なども異なるので、とても難しいのですが、こんな文章がありました。

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検出できる薬物です。

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と言っても、コカイン、覚せい剤や大麻やモルヒネなどは分かりますが薬物では何なのかが分かりませんね。

ベンゾジァピン は、多くの睡眠薬や安定剤がこれに当たります。レンドルミン、ソラナックス、ハルシオン、ロヒプノール、サイレース、ベンザリン、リーゼ、レキソタン、セルシン、メイラックス・・・。まだ沢山ありますが、これらが使われることが多いと思います。

バルビツール酸類には、ラボナール、ラボナ、アイオナール、イソゾールなどの催眠鎮静剤。注射も錠剤もあります。

三環系抗うつ剤には、トフラニール、アナフラニール、アモキサンなどが含まれます。

でも、問題は、この検査のキットが高いし、使用期限が9カ月となっていて、9カ月では全部を使いきれず、結局クリニックの負担になるという事です。

もし、おかしい、記憶が飛んでる、何か飲まされたのではないかという時には、どうぞクリニックに来て下さいませ。一回一万円で検査可能です。そして、ワンストップセンターに相談すれば、薬物の検査も公費負担でできますのでね。くれぐれも、一刻も早く!!とお伝えしますね。


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