性教協石川セミナー③被爆者の方も
性教協石川セミナーで話をした後、参加して下さった方のお話を聞いていて、プロジェクト・ゲンの浅妻さんと西田さんにびっくりして思わず涙ぐんでしまいました。その上、次の方の話にまたまたびっくり仰天だったのです。
それは、真ん前で話を聞いていて下さったお二人。お一人は被団協原爆被爆者中央相談所委員・石川県原爆被災者友の会の会長さんである西本多美子さん、そして、北陸三県の被爆二世の会の方でした。
西本さんは、何と、観音高校の卒業生だと。広島で被爆した時は4歳だったと。転勤族の夫と東京に長い間住み、今は金沢に住んでいて、ここに永住されるとのこと。そして、広島にいたのでは分からない、本当にひどい差別の中で生きて来たとおっしゃいました。被爆者であるとは、とても言えない状況で、多くの方が被爆者であることを隠して生きて来たと。だから、今の福島のかたたちの気持ちが痛いほどわかるとおっしゃいました。
今、被爆者も少なくなったけれど、頑張って活動していらっしゃるのが、胸に詰まりました。まさか、こうして被爆者やゲンの活動をしていらっゃる方たちが来られるとは思ってもみませんでした。性教協の皆さんの尽力のおかげなのですね。
で、皆さんと西本さんのお話を聞いていて、おかしかったのは、ご自分の出身の観音高校の前身が、あの「いしぶみ」の広島二中であったとは、全く知らなかったのだと。それは、金沢に来て改めて知ったのだと。もっと前に知っていれば、もっといろいろとできたのに、と。
ああ、日本のあちらこちらで、こうして頑張っていらっしゃる被爆者の方たちがいる。それをまた、改めて教えて頂きました。すごいことです。
もうお一方の手が上がってお話を聞いたのが、「この子たちの夏1945・ヒロシマナガサキ」の朗読劇をずっと金沢の地で上演し続けたというそんな活動をしていらっしゃる方でした。「「この子たちの夏」の多くは、いしぶみからの、お母さんたちの手記であったと。この朗読劇は、地人会により2007年まで23年間続き、地人会の解散と共に、いったん終了しましたが、その会で朗読をしてきた女優さんたちが集まって、「夏の会」を立ち上げ、「夏の雲は忘れない」1945・ヒロシマナガサキの朗読劇を上演しています。
私は、「谷本清平和賞」の受賞式でこの夏の会の朗読劇を聞いております。
まあ、本当にすごいですね、金沢。性教育の会ではありますが、こうして「ヒロシマと福島」について関心をもって頂いたことはほんとうにうれしいことでした。ちょっと苦労して準備したかいがありました。
会がすんで、スタッフ室に残っていた方たちと記念写真です。
私の左に座っていらっしゃるのが、石川県原爆被災者友の会の西本さんです。私の隣にピンクの花をもって座っていらっしゃるのが金沢大学の岩本健良先生。分科会ではLGBTの講義をなさったそうです。先生とも、もっといろいろとお話したかったけど、時間がありませんでした。皆さんと話したいこと満載で・・・。立っていらっしゃるスタッフの皆様、本当にありがとうございました。
私は今日から職員と共に、研修に行きます。診療を三日間お休みします。パソコンは持っていきますが、どこまで書けるか分からないので、予定投稿を書いていこうと思います。出発までにしなければならない事もいっぱいあって。先ほど6月3日のみずほ塾、「女性と政治」の配布資料、スライドの原稿を作って送りました。これから、まだ二日分の予定投稿の原稿を書きます。
『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。
| 固定リンク
コメント