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竹田雅郎さんの弁当箱②

広島二中の竹田雅郎さんのお弁当箱の続きです。

雅郎さんたち広島二中の一年生の全滅の様子は、ポプラ社の「いしぶみ」に記されています。杉村春子さんの朗読で広島テレビっ放送局が作った番組「碑」を本にしたものです。

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この本は、私の父の蔵書です。あの当時広島二中の教師だった父が昭和四十五年二十日発行の初版本を買って大切に読み、保管していた物です。

この本の「お寺の救護所で」の項に雅郎さんの亡くなった様子が書かれています。

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『舟入川口町にありました唯信寺は、仮救護所もつくられましたが、住職の子どもさん、大内俊くんが広島二中の一年生だったこともあって、八人の生徒がたどりついています。この八人のうちの一人小野敦君は、寺の救護所でやけどに白いくすりをぬってもらって、近くの家に夕方六時に帰ってきました。

「お母さん、かえりましたよ、といってくれたのですが、顔がやけどではれあがり、手当のしようがありませんでした。
やけどで痛かったのでしょうが、友だちの名をよんではがんばれといい、思いきり水を
飲みたい、と申しました。数をかぞえてみたり、友だちの名前を読んだりして気をまぎらわし、がまんして苦しいとひと言も漏らさず、その夜、七時半に死んでしまいました。」

小野くんのほかの七人は、手当を受けたあとそのまま寺に収容されたてのすが、全員が生きているうちに両親にあうことができませんでした。だから、お父さんやお母さんの話は、遺体をたずねあてたときに、お寺の方やそばにいた人から聞かされた話なのです。

  (中略)

坪木君と同じ日に、竹田雅郎君も同じように国歌をうたい、そして日本万才とさけんで亡くなりました。
 このことを、高田郡におられたお父さんが広島にでてきて聞かれたのは、戦争も終わった八月の末でした。』

まだ、たった70年余り前の、弟もこうして生きていて、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のスタッフの一人としてコツコツと活動している、そんな出来事なのです。

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