二つの感動・広島市会議員補欠選挙・RCCラジオ特別番組・
今朝はとてもうれしいです。二つ感動したことがあります。
広島市安芸区の広島市会議員の補欠選挙、自民対共産の一騎打ちで、自民党の候補を破って共産党の候補中石ひとしさんが当選したとのこと。
政務活動費の詐欺事件で起訴され、議員辞職した熊本憲三さんの辞職を受けての選挙、なんと辞職した熊本氏の妻が自民の候補として出るという、聞いたこともない選挙。対して共産党しか候補を立てることができなかった野党。もともと熊本さんはとても選挙に強くて、いつもトップ当選する人でしたから、今回も熊本さんが勝つだろうと思っていましたが。やはり選挙民は無自覚ではありませんでしたね。
なんと素晴らしい。でも、でもです。投票率が17%ですって。これは、妻を立てたという自民に対してのみならず、候補を立てることができなかった他の野党に対しての批判でもあると思います。
まあ、なんにしても、広島のただ一つの小さな区ではありますが、今の安倍自民の影響がないとも言えないでしょう。よかった、よかった。
もう一つ。昨日は、用があって、一人で車を運転していました。その時、偶然なのですが、ラジオでRCCの特別番組を聞きました。聞いている内に、ゾクゾクしてきました。「広島から伝えること・記録すること・守ること」のタイトルでしょうか。
原爆小頭症とRCCの秋信利彦さんのことを中心のルポでした。
母親の胎内で被爆した原爆小頭症の人たちのことは、把握していても、それは原爆のせいとは言えないとの立場を取り続けていたABCC。(それは私には、今の福島の甲状腺がんの子どもたちのことと全く重なりました。)
広島市安芸区の広島市会議員の補欠選挙、自民対共産の一騎打ちで、自民党の候補を破って共産党の候補中石ひとしさんが当選したとのこと。
政務活動費の詐欺事件で起訴され、議員辞職した熊本憲三さんの辞職を受けての選挙、なんと辞職した熊本氏の妻が自民の候補として出るという、聞いたこともない選挙。対して共産党しか候補を立てることができなかった野党。もともと熊本さんはとても選挙に強くて、いつもトップ当選する人でしたから、今回も熊本さんが勝つだろうと思っていましたが。やはり選挙民は無自覚ではありませんでしたね。
なんと素晴らしい。でも、でもです。投票率が17%ですって。これは、妻を立てたという自民に対してのみならず、候補を立てることができなかった他の野党に対しての批判でもあると思います。
まあ、なんにしても、広島のただ一つの小さな区ではありますが、今の安倍自民の影響がないとも言えないでしょう。よかった、よかった。
もう一つ。昨日は、用があって、一人で車を運転していました。その時、偶然なのですが、ラジオでRCCの特別番組を聞きました。聞いている内に、ゾクゾクしてきました。「広島から伝えること・記録すること・守ること」のタイトルでしょうか。
原爆小頭症とRCCの秋信利彦さんのことを中心のルポでした。
母親の胎内で被爆した原爆小頭症の人たちのことは、把握していても、それは原爆のせいとは言えないとの立場を取り続けていたABCC。(それは私には、今の福島の甲状腺がんの子どもたちのことと全く重なりました。)
秋信さんは粘り強くその方たちのことを発掘し、説得し、親子の会を立ち上げます。その間、さまざまな偏見と差別の中でひっそり生きていた方たちに対し、取材ではなく、一人の人間として、ずって支援を続けます。
RCCに残り続けている過去の録音を駆使し、懐かしい方々の声も聴くことができました。
そして、あの1975年の秋信さんの天皇に対する質問と回答。それも生で聞くことができました。質問も「昭和26年、46年・・・三回ほど広島に来て、市民にお言葉をかけて頂きました」から始まり、「戦争終結に当たって、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたでしょうか」とても丁寧でした。それに対して天皇の
「遺憾には思うが、戦争中のことであり、広島市民には気の毒であるが、やむを得ないことと思う」
でした。秋信さんは、「何もしていない、母親のおなかの中にいたのですよ、それでこのような被害を」と録音の中で言われました。
秋信さんは、山代巴さん編の「この世界の片隅で」(「この世界の片隅に」ではありません)に風早晃治の名前で「IN UTERO」・胎内被爆児のことを書いていらっしゃいます。
胎内被曝児のことを証明するために、広島大学の(産婦人科)に子どもたちを入院させていろいろと検査してデータを取り、厚生省に何度も陳情に行き、そのような活動をすることで、やっと原爆症と認められたこと。その活動もこの番組の中で出てきました。
私ごとですが、医学部を卒業後、広島大学の産婦人科で医学界に原爆小頭症のことを初めて発表した、それを見て、産婦人科に入ろうと思ったものです。
その子どもたちの入院、検査は田淵教授のもとで、平位剛先生が中心となってされました。平位先生は、その後もずっときのこ会の親子さんと交流を続けておられました。公にはされていませんでしたが、私は、平位先生から個人的にその交流のことを聴いています。平位先生も、昨年亡くなりました。
秋信さんは、2010年に亡くなりましたが、亡くなる前にきのこ会にあてたメッセージも番組の中で流れました。運転しながら、涙が止まらず、困りました。
偶然聞いたラジオですが、こんな素晴らしい番組を作って頂いてありがとうございました。ほんとうにタイトル通り、「伝えること」、十分に伝わりましたよ。今も私の胸には感動が残っています。全国の人たちに聞いて頂きたい素晴らしい番組でした。
RCCに残り続けている過去の録音を駆使し、懐かしい方々の声も聴くことができました。
そして、あの1975年の秋信さんの天皇に対する質問と回答。それも生で聞くことができました。質問も「昭和26年、46年・・・三回ほど広島に来て、市民にお言葉をかけて頂きました」から始まり、「戦争終結に当たって、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたでしょうか」とても丁寧でした。それに対して天皇の
「遺憾には思うが、戦争中のことであり、広島市民には気の毒であるが、やむを得ないことと思う」
でした。秋信さんは、「何もしていない、母親のおなかの中にいたのですよ、それでこのような被害を」と録音の中で言われました。
秋信さんは、山代巴さん編の「この世界の片隅で」(「この世界の片隅に」ではありません)に風早晃治の名前で「IN UTERO」・胎内被爆児のことを書いていらっしゃいます。
胎内被曝児のことを証明するために、広島大学の(産婦人科)に子どもたちを入院させていろいろと検査してデータを取り、厚生省に何度も陳情に行き、そのような活動をすることで、やっと原爆症と認められたこと。その活動もこの番組の中で出てきました。
私ごとですが、医学部を卒業後、広島大学の産婦人科で医学界に原爆小頭症のことを初めて発表した、それを見て、産婦人科に入ろうと思ったものです。
その子どもたちの入院、検査は田淵教授のもとで、平位剛先生が中心となってされました。平位先生は、その後もずっときのこ会の親子さんと交流を続けておられました。公にはされていませんでしたが、私は、平位先生から個人的にその交流のことを聴いています。平位先生も、昨年亡くなりました。
秋信さんは、2010年に亡くなりましたが、亡くなる前にきのこ会にあてたメッセージも番組の中で流れました。運転しながら、涙が止まらず、困りました。
偶然聞いたラジオですが、こんな素晴らしい番組を作って頂いてありがとうございました。ほんとうにタイトル通り、「伝えること」、十分に伝わりましたよ。今も私の胸には感動が残っています。全国の人たちに聞いて頂きたい素晴らしい番組でした。
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