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切明千枝子さんの被爆証言③

切明千枝子さんの手記の続きです。

『そのことがきっかけになって、もう新校舎の建設は始まっていたのだが、急遽建設を請け負った業者と、女専・第二県女の同窓生有志とで名前も分からない忘れられた支社たちの慰霊祭を実施することになった。導師は宇品の千暁寺のご住職であった。(千暁寺は、被爆の翌年の三月三日に女専と第二専女合同で原爆で亡くなった職員・生徒の追弔会を行ったお寺でもある。)       
             *

今はもう事項だと思うので一つの記録として記しておくが、この話が表に出て、慰霊祭の話が持ち上がった時、工事の関係者の方が「あの校地へ被爆者の骨を埋めたというのは本当か?何か証拠の記録でも残っているのか?これが表沙汰になると、遺骨探しをしろなどと言うことになって、校舎建設の工期が遅れる。この件はマスコミ関係者へは黙っていて欲しい。慰霊祭も取り止めるか、どうしてもというのなら内密でやって欲しい」と、私のところへひざ詰め談判に来られた。

「証擦の記録などは無いけれど、現にこの私がこの手で埋めたのですから、これほど確かな証拠はないでしょう」と答えたまま、後の言葉が出なくて涙がジワリと滲んできたのを思い出す。

その後、当時の女専の教授早川甚三先生が(先生は原爆被災の一か月前に応召され広島を離れておられたが、戦後昭和二十年十月に復職された。)「原子爆弾見聞録」と題する手書きの記録を読んでいると、「私が学校へ戻って来た当時には、まだ、学校の周りには被爆者の白骨がゴロゴロしていた」という記述があり、私の記憶は本当だった、単なる悪夢ではなかったと、改めて

それから数十年、校舎に立ち込めた霊気のようなものは、我々凡人には感知できないもので、池田先生のように芸術家としての繊細なしかも鋭い感覚の持ち主だけに感じられる何かであったのではないだろうか。

今、立派に建物が完成し、大学の中身も、大きな変化を遂げているが、そこに学ぶ若者たちに、、あなた達のキャンパスで、たった六十年以前に、こんな悲劇があったのだと伝えたい。

この被爆証言が、県立広島大学に学ぶ皆さんに読まれて、宇品キャンパスで繰り広げられた悲惨な歴史の一齣を知って頂くよすがともなり、更にはそれが反戦核平和につながる大きな力となることを祈念してやまない。(合掌)

  出典:「原爆被災証言記―忘れられた学徒たち」(県立広島女子大・県立広島第二高等女学校同窓有志編   2007年発行) 』

当日は、同じ証言記に載せられている平田節子さんの回想記も配られました。平田さんは、雑魚場町で建物疎開跡片づけに学徒動員されていた2年1組41人のうちのたった一人の生存した方です。1968年国泰寺中学校に奉職中に亡くなっていますが、この平田さんの手記は、関千枝子さんの「広島第二県女二年西組-原爆で死んだ級友たち」にも引用されています。明日はそれを転載させて頂きますね。

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