兄妹
別府にいます。
昨日、大分の長兄の家に行きました。私は、別府に帰る度に行っていたのですが、姉は本当に久しぶりに兄に会います。
兄は、胃がんと膀胱がんを患っています。何回もの手術、その後の抗がん剤を頑張って受けて、でも今、腫瘍マーカーも高く、転移が沢山あって、もう何もしないで経過を見ている所です。でも、元気でした。
私が間違ってナビを入れて、いったいここはどこなのか訳が分からなくなるというボケをしてSOSを求めたら、兄が自分で車を運転して迎えに来てくれて、びっくりしました。
兄は、久しぶりの姉に喜んで話しています。「お前もよく生きたなあ」と。戦争中、母と当時の子ども三人が島根の田舎に疎開している時、姉が丹毒になったと。とてもひどくて生きられないとみんなが思っていたと。当時、父の長兄の奥さんがとてもやさしい人で、こっそりと母に飼っていた鶏が産んだ卵を下さって、それを子どもたちが食べて生き延びられたのだと言います。
私と妹は戦後の生まれですが、上の三人は、厳しい戦争を乗り越えています。田舎で遠慮しながら生きていたことが二人の共通の話題となっていました。
下の兄は、子どもの時からずっと、大学も農学部で、今に至るまで植物好きです。疎開をしている時に、スイカの小さな実を取ってきて、「お母ちゃん、これっ」と見せたと。母は情けなくて情けなくて、と、これは何度も生前母に聞きました。きっとひどく怒ったのでしょう。
これと同じことを夫にも聞いています。妹がままごとをしていて、お兄ちゃん、何かお野菜を取ってきてと言われて、ご近所のスイカの小さな実を取ってきて、農家さんが怒鳴り込んでこられたと。怒った義父が夫を木に逆さにつるしたと。
全く別々な所でい生きていても、そんな同じようなことが、全国どこにでもあったことでしょう。
兄夫妻は、大分大学医学部に献体する手続きを取っています。遺骨は、そこの共同の墓に埋めてもらうと。死んだあと、墓はいらないと言います。娘夫妻は激しく抵抗したけれど、何とか説得したと言います。
食欲もあまりなくてエンシュアを飲んで生きていて、ほほが痩せている兄ですが、途中で買って持って行ったお寿司を喜んで一緒に食べました。よかったよかった。
帰る前、写真を撮ってくれと。三人の兄妹がそろうことはもうないだろうからと言います。義姉が撮って下さいました。
今日は、帰りに福岡にいる下の兄に会って帰ります。
今朝の姉と二人の朝ごはんです。義姉を作って持たせて下さったキッシュ、福島から送って頂いた温泉卵、ミルクティ、どれも美味でした。
でも、とても憂鬱なことがあって。帰る前にそれをちゃんとしなければなりません。気が重いのです。また書きますね。
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