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私が特別養子縁組のお世話をする理由①

 昨日、お昼休みに養子縁組の養親になる方にお会いして、今後のことをいろいろとお話して、午後の診療に少し遅れて帰って来た、その所に広島市の方から電話がかかってきました。これまで、特別養子縁組について厚生労働省とのつなぎにいろいろとお世話になった方です。

「いよいよ4月1日から特別養子縁組の新しい法律が施行されます。これまでの届け出制から許可制に変わりますが、今後も続けられるつもりでしょうか」と。

「半年ほど経過措置の期間があって、その間はあっせんをこれまで通り続けてもいいことになっています。」

はい、お知らせありがとうございます。今も新しい方のお世話をしている所で、たった今、病院から帰って来た所です。これからも続けさせて頂きたいと思っていますのでよろしくお願いします。とお答えしました。市の方は「ありがとうございます」と言って下さいました。

そして、改めて、どうして自分はこれを続けようと思うのだろうかと考えました。自分でなければだめなのは何故かと。

その直前の養親になる方との会話がずっと気になっています。

私は、私の患者さん、私自身がずっと接してきた人の養子縁組しかしていません。彼女と家族が、産まなければならないとなった時に、どれほど大変かを見ています。本人が妊娠を自覚した時、速やかに誰かに相談できていれば、ここまで追い込まれなくとも済むのです。でも、多くの女性が一人で悩み、一人で抱え込んでしまいます。

やっと病院に来た時には遅すぎる、もう産むしかないとなった時、ほとんどすべての女性が「自分で育てたい」といいます。この時に相手の男性が二人で育てようと言ってくれたら、なにも問題はないのです。でも、それがかなわない時が問題なのですね。

自分で育てたいと言うときには、周りの大人と共に、自分で育てる方法を考えます。しばらくは施設にあずかって頂いて、そこに会いに行って、自分が自活できるようになったら引き取って、自分の所で一緒に生活しようかとか。

大人の方たちは、とても育てるのは無理だと言う方がほとんどです。それを丁寧に、一緒に考えていきます。焦って決めてはいけません。押し付けてはいけません。しっかりと時間をかけて、本人自身が結論を出すように。周りの方たちは、根気強く説得しなければなりません。

本人が、「自分で育てたいけれど、自分では、子どもを幸せにできないかもしれない」となった時に、養親に託そうかと考えはじめます。それは、決して子どもを「捨てる」ことではないのです。「自分の赤ちゃんが幸せに育つために」「どうするのが一番いいのか」と考えるようになります。

赤ちゃんが生まれる前には、ほとんどしっかり心が決まっています。揺らいでいる内や、決められないうちは、養子縁組を決めてはいけません。自分自身で決める事。それは、実母が今後立ち直って、しっかり生きて行くために必要なことなのです。決められなければ待てばいいのです。いつまででも。

無事生まれた後には、会いに行って、「気持ちは変わらないか」の確認をします。もし、その時点で気持ちが変わって、やっぱり自分で育てると言えば、それはそれでいいのですね。養子縁組はキャンセルすればいいのです。みんな泣きながら、やっぱり養子縁組をお願いしますと言います。

自分が長い間お腹で育て、大変な陣痛を乗り越えて産んだ赤ちゃんを手離す、それは大変なことなのです。決して、簡単に、喜んで手離す訳ではありません。

養親になる方たちは、その手離す彼女の心情を汲んで欲しいのです。思いを馳せてほしいのですね。

その上で、「産んで下さってありがとう。大切に育てますね。」という気持ちを持ってほしいし、そう表現してほしいのですね。

ありがとうという感謝の気持ちをもっていますか?と、昨日、私は養親の予定の方に言いました。それは、養親予定夫妻と、実母とそのお母さんとの面会の時に違和感を持ったからです。

その時に、びっくりなことを聞きました。

この項、続きます。今日は診療後東京に行きます。明日朝から性教育の会があるのですが、途中抜けて、新しい養親希望の方の家庭訪問に行く予定です。

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さくら

平和公園の桜、まだ三分咲きだと思っていたら、アッという間に満開になってしまいました。今年は寒いからと思って、私たちの職場のお花見はなんと4月3日に予定してお弁当も注文しているのですが、もう散っているでしょうかねえ。

昨日の平和公園です。

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原爆ドーム。その時は全然気づかなかったのですが、写真を見てああっです。右上に雀が二羽、桜の蜜を吸っています。

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これは、右の方に上下に二羽。同じ雀でしょうね。

午前中の仕事を済ませて、神原の枝垂れさくらに行ってみました。樹齢300年の大木。まだ7分咲きで残念。もう少しすると、これはとってもきれいでしょう。沢山の人が次々に来て写真を撮ったり、お弁当を広げたり。少し離れた所で絵を描いている方もありました。

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束の間ですが、青空と桜、楽しませてくれてありがとう、でした。

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特別養子縁組・性教育バッシング

 特別養子縁組をする予定の実母とそのお母さんと、養親予定のご夫妻が対面しました。それまでずっと泣いていて、目がはれ上がっていた実母。やっぱり養親予定の夫妻にあった時も泣き出しました。でも、泣きながらご夫妻をじっと見て、「優しそう」と言いました。

ご挨拶をして別れた後、「もう泣かない」「安心した」と言いました。めっちゃいい人そうだったと。

これまでの彼女親子の苦しかった道のりを考えると、私も泣きそうになりました。

赤ちゃんは、絶対に幸せになってもらえる。そんなご夫婦だと思うよ。私は、あなたにも、絶対に幸せになってもらいたいからね。そして、いつか自分で育てられる赤ちゃんを産もうね。

そんな話をしました。彼女の苦しみは、これから長い時間をかけて、ゆっくりと癒えて行くことでしょう。

そして、今、胸にあるのは、実父のことです。男は今、こんなことが起こっていることは知らないでしょうよ。自分がしたことの結果は女性が一方的に引き受けなければならないこと。男は、何にもしないで、何一つ変わることなく、これまで通りの生活を続けることができるのだと、そんなことが胸を締め付けます。

だからこそ、私は男性たちにもちゃんと性教育を受けてほしいのです。

私が「さらば悲しみの性」以来、ずっと言い続けていること。

「身ごもる性を持っている女は自分の体に責任を持て、身ごもらせる性を持っている男は彼女の体に責任を持て」

これを義務教育に内にちゃんと伝えておきたいのです。

「中学生に妊娠や避妊を教えるべきでない」という、本当にバカな方針をこの国の文科省の指導要領が決めているのですよ。

中学の指導要領によると、性感染症について教えることになっていても、「性交」も「セックス」という言葉は使わない事。性交もセックスも言わないで「性感染症」を教えよという、まるでブラックジョークなのですよ。「性的接触」ですべて教えよと。

「性交」だの、「セックス」だのという言葉で生徒が「そそのかされる」のだそうです。本当にばかばかしい。この社会には、そそのかされることは巷にうんとあふれていますよ。それらやアダルトビデオにどっぷりとつかって、まともな知識さえも持たないままにエリート大学生になり、集団レイプをし、「セックスと言うのは、そういうものだと思っていた」という、数々の事件をどう考えるのでしょうか。

それどころか、有名ジャーナリストでさえ、本人の意志を確認することなく、すなわちレイプをし、それを権力の圧力を使ってつぶすということさえ、起こっているのですね。

もっとも、今、あの七生養護学校へのひどい介入から起こった激しい性教育バッシングの頃、「〇〇小学校で性教育をした」と新聞に立て続けに出ていた頃、そのころに比べて、すこーし状況が変わってきているとの実感はあります。

足立区の教育委員会のように、指導要領ではなく、「子どもたちの生きる力をつけるために」性教育をと考えて下さる教育委員会や学校長がいる所だけ、子どもたちに伝えることができる所まで来ました。

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今年も依頼がある限り、講演に出かけようと思います。もちろん、依頼を受けた後から「セックスという言葉は使わないでください、避妊は教えないでください、中絶はしっかり脅してください」という注文が入ることがあります。そんな所には、もちろん行くことがができません。

今回の都教育委員会の圧力を考える時、一方で絶望的になりながら、一方で、かすかな希望を持ちながら、頑張り続けるしかないと思うのですね。今年も、新版さらば悲しみの性の増刷の知らせが来ました。ありがとうございます。

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診療報酬改定説明会(集団指導)

昨日は、疲れました。診療後の午後7時から、「中国四国厚生局」による「中国四国厚生局及び広島県による保険医療企画に関する診療報酬改定説明会(医科・集団指導)」を受けに、国際会議場のフェニックスホールに行きました。

出席者は原則として開設者・管理者・保険医のいずれか一名という事ですので、私が行きました。
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二年に一回、こうした改定がありますので、その度にこうした集団指導があります。これが、とてもしんどくて。診療報酬は、私たちにとっては、生き死にに関わることなのですが、改定される度に、どんどん経営は厳しくなります。

私たちは、しょせん国・厚労省の掌の中で右往左往しているだけの存在です。それを痛感する時間でもあります。

この変えられた方針に従って、毎月の診療報酬の請求をするのですが、その請求の審査がまた厳しくて。私たちは、常に患者さんにとってどうするのが一番なのかを考えて検査なり処方なりするのですが、それでも、削られてしまうことがあります。本当にガッカリします。

例えば、生理痛の人への鎮痛剤。これは痛いときの頓服ですから、(屯)×として処方箋をお出しするのですね。それが、バッサリと削られて、14回までとされてしまいました。だから、14回分お出しします。患者さんから、もっと出してくださいと言われることがしばしばです。

「ごめんね、これは14回分しか出せないのよね。削られるんだもの」とお断りすることになります。そしたら、患者さんは度々取りに来られないといけないことになります。その分、再診料がかかって、医療費を使うことになるのですが。定期的に飲むようにすれば、もっと出せるのですが、ひと月間ずっと生理痛があるわけではなく、痛い時のみのお薬なのですから。

こんな時に、ああ、情けないと思うのですね。それに、全体として医療費削減ですから、どんどんと収入は下がって、経営に四苦八苦することになっています。もっともうけるようにすればいいのかもしれませんが、それが苦手でできないのですよね。


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分厚い資料をどっさり頂いて、とても苦痛な2時間を過ごしました。高齢化社会の中で、医療をどうするのか、厚労省が考えていろいろと改革されようとしているのでしょうが、私には理解できないまま、ますます憂鬱になって帰りましたよ。

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2018年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について⑦

今年の8.6ヒロシマ平和の夕べの音楽は「松浦美喜とnancy channel with friends」の皆さんにお願いしました。

松浦美喜さん、そう、広島ブログやフェイスブック、お弁当のインスタなどで人気のnancyさんです。この方の職業は?というと、ちょっと躊躇するのですが、もともとはデザイナー・イラストレーターでもあります。今はフリーでデザイナーの仕事をとても忙しくこなしていらっしゃいます。

一方、20代にジャズに出会い、以後ホテルのラウンジやステージでいろいろなジャンルの歌を歌っています。根強いファンがついていて、彼女の年末のディナーショーは人気で、即売り切れます。


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先日書いた「広島平和カレンダー」、その2001年度と2002年度には太郎君、花子ちゃん人形を作りました。

2017年、500人、500円、ご縁をつなぐ似顔絵バッジプロジェクトを開始。3.11東日本大震災を忘れない追悼の集い広島の黙祷、追悼の呼びかけのチラシの資金にしていらっしゃいます。

彼女が作った3.11追悼の呼びかけです。

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昨年の8.6ヒロシマ平和の夕べの缶バッジを沢山作って下さり私たちの資金にさせて頂きました。

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このような多才な nancyさんは8.6当日、お仲間と一緒に平和や広島の歌を歌って下さいます。ありがたいことです。皆さん、大いに期待して下さいね。


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性教育・養子縁組・平和の夕べ

昨日の日曜日はフル回転でした。午前中は、性教協の役員会。新年度の一年間のスケジュールを決めました。いろいろな雑談も含めて、楽しい仲間と会話で元気が出ましたよ。

みんなでお昼ご飯にお蕎麦屋さん荒井屋に入りました。そしたら、そこにはカープの新井選手の写真やサインがいっぱい。ここのオーナーと新井選手がお友達なのだそうです。


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急いで食べて自転車を必死でこいで午後1時からは性被害ワンストップセンターの電話当番に。そこでは、当番をしながら、いろいろと仕事がはかどりましたよ。

終わるとすぐにまた自転車で病院へ。赤ちゃんの養親になる予定のご夫妻と合流して病棟へ。赤ちゃんと対面すると、ご夫妻ともとても喜ばれて、涙ボロボロでしたよ。ああ、このご夫婦の元で、赤ちゃんは絶対に幸せになれると確信しました。


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いろいろとあって、養子縁組で赤ちゃんを手放す決心をした実母のつらさは十分に分かっています。彼女にも、これから絶対に幸せになってもらいたいと思います。でも、こんなつらい思いをしなくて済むように。ちゃんと性教育が必要なのです。それも、義務教育のうちに。今、指導要領は、避妊は高校になっています。高校に行かない子、中退する子、全くちゃんと教えてもらわないままに性を実行するようになってしまいます。知らないままに実行することの悲しさを十分に見てきました。

病棟の助産師さんがとても対寧に赤ちゃんのこれからの説明と指導をして下さいました。ほんとうにありがたくて。養親の予定のお二人は、教育入院をして、赤ちゃんのミルクやお風呂の指導を受けて、連れて帰られます。

明日は、実母のお母さんと一緒に出生届を提出に行きます。

そして、夜は家で今年の「8.6.ヒロシマ平和の夕べ」の呼びかけ文の原稿書きです。一応出来上がりました。今年もいい会になると思います。まだこれからいろいろとご案内をしますね。

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平和カレンダー、文科省、教育委員会

頂き物が続いています。

3月8日、nancyさんがブログでナン祭りという事で、恒例のプレゼントをふるまって下さいました。いつも、NANCYさんと夫さんの共作のバッグのことが多いのですが、今回は、子ども用のトレーナーでした。私、即応募しましたね。いつもは、沢山の応募のあみだくじの抽選で当選が決まるので、当たらないだろうなあと思っていたのですが。なんと、応募者が5人だったのですって。当選は3人。でも、こんなに少なかったので、阿弥陀くじはなく、全員にプレゼントとしてくださったのですよ。ラッキー!!

で、昨日nancyさんがクリニックに持ってきて下さいました。

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かわいい!!3月の終りに孫に会いますので、お土産です。これまでもnancyさんのコップなど喜んで使っているので、きっと大喜びするでしょう。ありがとうございました。

そして、昨日頂いたのが、広島平和カレンダーです。広島教育研究所が毎年作っているのですが、今年ははだしのゲンの中沢啓治さんの「広島カープ誕生物語」のカレンダーです。毎年4月から翌年3月までの仕様になっています。

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平和カレンダーは、毎年作られています。上記、nancyさんは、2001年と2002年だったと思います。太郎さん、花子さんの人形を作って、それを撮影した写真をカレンダーに使用されました。かわいい人形が、戦争に巻き込まれ亡くなって行く姿が描かれました。

以前、学校現場では、平和カレンダーは県内どの教室にもかけられていました。でも、文科省と県教育委員会の締め付けもあって、学校では飾られなくなりました。教育委員会の人の視察がある時、教室に掲げていると、「これが飾ってあるのですね」と言われ、校長が震えあがって、即、撤去。という話を聞いたことがあります。でも、今日聞いたのですが、広島市は大丈夫。県はダメという事でした。広島市は平和教育に力を入れると公言しているので、だそうです。

今、文科省の中学校の授業・教育現場への介入が問題になっています。前川さんがいらっしたころは、まだよかったのでしょうか。いろいろと政治家の介入を拒絶する努力をされていたのでしょうか。でも、性教育に関しては、ひどいものです。

今回、都教育委員会の中学校での性教育についての介入がまた報じられています。また、あの古賀都議ですよ。

昨日、15歳の子が赤ちゃんを産みました。すぐに病院に行ってお話しました。意志は変わらないので、養子縁組のお世話をします。今日は、夕方から養親の予定のご夫婦にお会いします。こんなことが、産婦人科の現場では起こっているのですよね。中学生に避妊を教えてはいけないとする文科省の指導要領がおかしいのですよ。

また明日お話します。


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2018年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について⑥李鐘根さん

今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の被爆証言は、李鐘根(イジョングン)さんにお願いしました。

年々被爆者の方々の証言を聞くことが難しくなってきました。今のうちに、できるだけ沢山の方々のお話を聞いておきたいと思います。

中でも、今年は在日の方のお話を伺いたいと思いました。

今の政権の中で、北朝鮮を憲法改悪のために利用し、巷ではまさかと思うようなヘイトデモが堂々と行われ、ネトウヨによる聞くに堪えない罵詈雑言がネットにあふれるという状況の中で、これまで生き抜いて来られた在日の被爆者のお話を、今こそお聞きしたいのです。

2014年には朴南珠さんにお話をしていただきました。この度は、男性の被爆者のお話です。

李さんは、毎年8月6日には日本と韓国の学生たちのセッションを受け持っていらっしゃいます。私たちの会と時間が重なるために、ご無理をお願いして調整して頂きました。とてもありがたいことです。

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広島市平和文化センターから李鐘根さんのプロフィールと被爆証言記を送って頂きました。

「1928年生まれ。朝鮮半島から日本に渡った両親のもとに島根県で生まれる。国民学校高等科卒業間近の頃、運輸省広島鉄道局に就職。広島第二区間区所属していた16歳の時、職場に向かう途中、爆心地から2.2kmで被爆した。」

また、中国新聞ヒロシマ平和メディアセンターから。2016年11月7日に紙上に掲載された李さんの証言はここにアップされています。

http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=66155

そこには、李さんが幼いころから受けた様々な差別が記されています。大人の男性から立たされて小便をかけられたり、学校では女の子が泣いていると、彼のせいにされたり。「あきらめて耐えるしかなかった」と言われています。

在日であることも、被爆したことも隠して生きてこられた李さんは、2012年、ピースボートで世界一周する中で、本名を名乗り、被爆体験を話しました。2014年には、チェルノブイリやアウシュビッツなどを訪ねました。

送って頂いた平和文化センターの「在日韓国人二世の被爆証言」の最後には、こう記されています。

「私が証言する上で強調したいのは、被爆したのは日本人だけではなく、外国人の被爆者も大勢いたということです。なぜ、その人たちが日本で被爆して死んでいったのか、こうした事実を伝えるためにも、被爆者の一人として証言し続けていきたいと今は考えています。」

李鐘根さんの貴重な証言、楽しみにしています。ぜひ多くの方に聞いて頂きますように。

(写真はネットから頂きました。)

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墓参り・サファリ

昨夜遅くに大分→福岡→広島を駆け抜けて帰って来ました。廿日市のインターを出る前に沢山のトラックが停まっていて、ハッと気づきました。午前0時以降に出れば、高速料金が安くなること。で、私も15分ほど待って出ました。だから、家に到着は0時20分でした。

昨日は、河野の実家の仏壇に広島から持って行ったお供えをし、お線香をあげて、それからお墓へ。

お墓はのんびりした地の山の中、この大きな杉の木の根元にあります。

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お水とろうそくとお線香とピンクの大きなユリを四本買って持って行ってお供えし、掃除をし、ろうそくとお線香に灯をつけて、拝んで帰りました。

河野のお姉さんにはお家で、お兄さんには実家でお会いし、ご挨拶もできました。

これで、大分行きの目的は果たすことができました。今度は初盆に来ます。

我が家の庭や道路の掃除は姉が手伝ってくれて、きれいになりましたし。そして、何年ぶりかに別府に来た姉が行ったことがないというので、帰る荷物も全部持って、アフリカンサファリに行きましたよ。

車の中から沢山の動物を見られて、私も姉も大いに楽しみました。

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中でも、ヒョウがおなかがキュッと締まって美しかったですねえ。

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福岡の兄とは一緒に食事をしました。みんな歳をとって、健康が危うくなった今、兄妹みんなが集まることはもうないだろうか、などと話しました。

昨日書いた、憂鬱なこと、気が重いことというのは、私が我が家のそばにある駐車場に無断駐車をしたと、義姉が我が家に行った時にすごい剣幕で怒られたと聞いたことです。赤のBMで広島ナンバーだったと。確かに、私の車て同じだけど、私は、そんな所に停めたこともないし、大体、我が家にちゃんと二台分停められる駐車場があるのに、他の所に止める理由もないし。一体、いつのことを言われたのか分かりませんが、とんだ濡れ衣。夫は、そんなしてもいないことをしたと言われるのは、放っていてはいけない、ちゃんと言っていけと言いました。それが私は憂鬱で、私はやっていないのだから、放っておけば、そのうち分かるでしょうと思って。結局言って行きませんでした。これまで、私はいろいろと言われ慣れてしまったのかもしれません。自分にやましい所がなければ、あれこれ反論しなくとも、毅然としていればいい、そうして生きてきたので・・・。

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兄妹

別府にいます。

昨日、大分の長兄の家に行きました。私は、別府に帰る度に行っていたのですが、姉は本当に久しぶりに兄に会います。

兄は、胃がんと膀胱がんを患っています。何回もの手術、その後の抗がん剤を頑張って受けて、でも今、腫瘍マーカーも高く、転移が沢山あって、もう何もしないで経過を見ている所です。でも、元気でした。

私が間違ってナビを入れて、いったいここはどこなのか訳が分からなくなるというボケをしてSOSを求めたら、兄が自分で車を運転して迎えに来てくれて、びっくりしました。

兄は、久しぶりの姉に喜んで話しています。「お前もよく生きたなあ」と。戦争中、母と当時の子ども三人が島根の田舎に疎開している時、姉が丹毒になったと。とてもひどくて生きられないとみんなが思っていたと。当時、父の長兄の奥さんがとてもやさしい人で、こっそりと母に飼っていた鶏が産んだ卵を下さって、それを子どもたちが食べて生き延びられたのだと言います。

私と妹は戦後の生まれですが、上の三人は、厳しい戦争を乗り越えています。田舎で遠慮しながら生きていたことが二人の共通の話題となっていました。

下の兄は、子どもの時からずっと、大学も農学部で、今に至るまで植物好きです。疎開をしている時に、スイカの小さな実を取ってきて、「お母ちゃん、これっ」と見せたと。母は情けなくて情けなくて、と、これは何度も生前母に聞きました。きっとひどく怒ったのでしょう。

これと同じことを夫にも聞いています。妹がままごとをしていて、お兄ちゃん、何かお野菜を取ってきてと言われて、ご近所のスイカの小さな実を取ってきて、農家さんが怒鳴り込んでこられたと。怒った義父が夫を木に逆さにつるしたと。

全く別々な所でい生きていても、そんな同じようなことが、全国どこにでもあったことでしょう。

兄夫妻は、大分大学医学部に献体する手続きを取っています。遺骨は、そこの共同の墓に埋めてもらうと。死んだあと、墓はいらないと言います。娘夫妻は激しく抵抗したけれど、何とか説得したと言います。

食欲もあまりなくてエンシュアを飲んで生きていて、ほほが痩せている兄ですが、途中で買って持って行ったお寿司を喜んで一緒に食べました。よかったよかった。

帰る前、写真を撮ってくれと。三人の兄妹がそろうことはもうないだろうからと言います。義姉が撮って下さいました。

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今日は、帰りに福岡にいる下の兄に会って帰ります。

今朝の姉と二人の朝ごはんです。義姉を作って持たせて下さったキッシュ、福島から送って頂いた温泉卵、ミルクティ、どれも美味でした。

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でも、とても憂鬱なことがあって。帰る前にそれをちゃんとしなければなりません。気が重いのです。また書きますね。

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らあめん紺屋のまぜそば

昨日、晩御飯に「らあめん紺屋」に行きました。紺屋の「まぜそば」が食べたくて。ホームページを見ると、ちょうど今期間限定は「まぜそば」だとあったので、それはそれは行かなくては。で、雨の中を行きましたよ。

まぜそば。底におつゆ、細麺、ミンチ、そしてかいわれ、ネギ、ミョウガがたっぷり。

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それを混ぜて頂きました。混ぜるとこうです。

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ああ、美味しいと私は夢中に食べたのですが、胃のない夫は、食道と腸がつないである細くなっている所に詰まってしまって、全部は食べきれませんでした。おいしいのに、残念と。

今、名古屋の前川さんの中学校での授業について、文科省からひどい質問の形の圧力がかけられたと。ずっと前、寺脇さんが広島の教育長だった時のこと。

不登校の子どもたちの劇団「がんこ寿司」の劇を一緒にやったことがあります。劇の後、不登校の子供たちと寺脇さんが、一緒にシンポジウムをしました。寺脇さんは、それぞれが生きる道をどう見つけるか、学校教育だけでなく、広い意味での学力をというお話をされました。

その時、一人の男子が「ラーメンや」をすると言いました。寺脇さんが「それは素晴らしい!!」と絶賛されたことをよく覚えています。その時の不登校の子どもたちと紺田さんが一緒に作り上げられたのが紺屋だと理解しています。

4月15日に、尾道である前川さんと寺脇さんの講演会、絶対に行こうと思っていたのに、その日が当番医でした。もうすごく残念で。

そんなことを思い出したりしながら、美味しくいただきました。

私はきょうから二連休。お彼岸のお墓参りに大分に行きます。夫は行かないので、姉についてきてもらいます。義母が亡くなって、初めてのお彼岸です。雨の中の長距離ドライブです。

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2018年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について⑤

小出裕章さんとのメールのやり取りを続けます。待ちにまった半年前にスケジュールを決めるという、律儀な小出さんからの2月28日のメールです。


『 8月6日、お伺いします。  小出
河野 美代子 様
 こんにちは。
 2月も今日が最終日となり、8月にお引き受けするお誘いを確定しました。

 8月6日の平和の夕べ、お伺いしたいと思います。

 集会のスケジュール、宿泊が必要になるかどうか、聞いていただくべき話の内容など、おいおいご相談したいと思います。
 とりあえず、8月6日の集会にお伺いするということだけ確定とさせてください。
 信州も陽射しが春らしくなってきました。
 お伺いする時は夏真っ盛りですね。
 お元気で、ご活躍ください。
              2018/2/28  小出 裕章 』


それへの私からのメールです。

『小出裕章先生
 広島・河野美代子です。

昨日は、お返事ありがとうございました。
もう、本当にうれしくて、バンザイ!!と何度も叫びました。そして、ずっと胸ががホコホコしておりました。
大変お忙しい小出先生にご無理を申し上げて、すみませんでした。
でも、私たちとしては、どうしても今回先生に来ていただきたく、熱望しておりました。
日々、政治の状況が報道されています。
あの憲法が本当に変えられそうだと危機感をもっています。

数少なくなった被爆者で証言をして下さる方たちが、口をそろえておっしゃいます。
「今が、あの大二次世界大戦の戦前の状況とそっくりだ」と。
福島の人たちを放り出したまま、また次々と原発が再稼働されています。
今、この憲法9条と原発の問題を話して頂けるのは小出先生しかいないと思いました。
私としては、このテーマで話して頂きたいと思って言いますが、今度3月4日にスタッフ会議を行います。その場でみんなで話して頂きたい内容をもう一度詰めたいと思います。
また、広島にいらっしゃる予定は、全て先生の意志や希望にお任せしますが、8月5日も6日も、宿泊の手配はできております。広島では8月5日のホテルはなかなかとりがたいのですが、それを見越して、昨年の早いうちから押さえております。
また、改めまして 具体的な事はご連絡させて頂きたいと思います。

どうぞ、よろしくおねがいします。
今日は、またひどい嵐となっているようです。広島でも雨、風が続いています。私は、今から宝塚に講演に参ります。
先生も、本当にお忙しい事とお察しします。どうぞお体にお気をつけて、お元気にお過ごしくださいますように。

お礼のメールが遅くなってお詫び申し上げます。どうぞ、よろしくよろしくお願いします。ありがとうございました。

   2018年3月1日
                河野美代子』

まだ続きます。

一昨日の日曜日、用事の帰りに久々に海を見ました。この黄色のブイがなければもっといいのになあと思いましたが、仕方がありません。それが入らないように撮ることができませんでした。宮島の鳥居が小さく見えます。

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そのあと、これも人々に宮島口の田の久のお好み焼きを食べて帰りました。長田屋以外のお好み焼きも久しぶりですが、美味しかったですよー。ここのは、トッピングでなく、みんなにネギがかかっています。

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二つの感動・広島市会議員補欠選挙・RCCラジオ特別番組・

今朝はとてもうれしいです。二つ感動したことがあります。

広島市安芸区の広島市会議員の補欠選挙、自民対共産の一騎打ちで、自民党の候補を破って共産党の候補中石ひとしさんが当選したとのこと。

政務活動費の詐欺事件で起訴され、議員辞職した熊本憲三さんの辞職を受けての選挙、なんと辞職した熊本氏の妻が自民の候補として出るという、聞いたこともない選挙。対して共産党しか候補を立てることができなかった野党。もともと熊本さんはとても選挙に強くて、いつもトップ当選する人でしたから、今回も熊本さんが勝つだろうと思っていましたが。やはり選挙民は無自覚ではありませんでしたね。

なんと素晴らしい。でも、でもです。投票率が17%ですって。これは、妻を立てたという自民に対してのみならず、候補を立てることができなかった他の野党に対しての批判でもあると思います。

まあ、なんにしても、広島のただ一つの小さな区ではありますが、今の安倍自民の影響がないとも言えないでしょう。よかった、よかった。

もう一つ。昨日は、用があって、一人で車を運転していました。その時、偶然なのですが、ラジオでRCCの特別番組を聞きました。聞いている内に、ゾクゾクしてきました。「広島から伝えること・記録すること・守ること」のタイトルでしょうか。

原爆小頭症とRCCの秋信利彦さんのことを中心のルポでした。

母親の胎内で被爆した原爆小頭症の人たちのことは、把握していても、それは原爆のせいとは言えないとの立場を取り続けていたABCC。(それは私には、今の福島の甲状腺がんの子どもたちのことと全く重なりました。)
秋信さんは粘り強くその方たちのことを発掘し、説得し、親子の会を立ち上げます。その間、さまざまな偏見と差別の中でひっそり生きていた方たちに対し、取材ではなく、一人の人間として、ずって支援を続けます。

RCCに残り続けている過去の録音を駆使し、懐かしい方々の声も聴くことができました。

そして、あの1975年の秋信さんの天皇に対する質問と回答。それも生で聞くことができました。質問も「昭和26年、46年・・・三回ほど広島に来て、市民にお言葉をかけて頂きました」から始まり、「戦争終結に当たって、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたでしょうか」とても丁寧でした。それに対して天皇の

「遺憾には思うが、戦争中のことであり、広島市民には気の毒であるが、やむを得ないことと思う」

でした。秋信さんは、「何もしていない、母親のおなかの中にいたのですよ、それでこのような被害を」と録音の中で言われました。

秋信さんは、山代巴さん編の「この世界の片隅で」(「この世界の片隅に」ではありません)に風早晃治の名前で「IN UTERO」・胎内被爆児のことを書いていらっしゃいます。

胎内被曝児のことを証明するために、広島大学の(産婦人科)に子どもたちを入院させていろいろと検査してデータを取り、厚生省に何度も陳情に行き、そのような活動をすることで、やっと原爆症と認められたこと。その活動もこの番組の中で出てきました。

私ごとですが、医学部を卒業後、広島大学の産婦人科で医学界に原爆小頭症のことを初めて発表した、それを見て、産婦人科に入ろうと思ったものです。

その子どもたちの入院、検査は田淵教授のもとで、平位剛先生が中心となってされました。平位先生は、その後もずっときのこ会の親子さんと交流を続けておられました。公にはされていませんでしたが、私は、平位先生から個人的にその交流のことを聴いています。平位先生も、昨年亡くなりました。

秋信さんは、2010年に亡くなりましたが、亡くなる前にきのこ会にあてたメッセージも番組の中で流れました。運転しながら、涙が止まらず、困りました。

偶然聞いたラジオですが、こんな素晴らしい番組を作って頂いてありがとうございました。ほんとうにタイトル通り、「伝えること」、十分に伝わりましたよ。今も私の胸には感動が残っています。全国の人たちに聞いて頂きたい素晴らしい番組でした。

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2018年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について④

私が小出裕章さんにメールをし、それに対してすぐに小出さんからお返事が来ました。それを読んで感激しました。小出さんのお人柄がにじんでいます。

『河野 美代子 様
 おはようございます。
 すっかりご無沙汰しておりました。
 メール、いただきました。
 
河野さんは、今朝は大阪のホテルでお目覚めですね。
 これから東大阪の中学生たちに話を聞かせに行って下さるとおこと、ありがとうございます。
 8・6ヒロシマ平和の夕べにお誘いくださり、ありがとうございます。

 河野さんがお読みくださったという「仙人になる道」に書いたように、私も生き物の必然として歳をとってきました。

 それでも私がやらなければならない仕事はまだあると思います。
 そのため、私に残された力をどうしても私でなければならない仕事に集中しようとしています。

 河野さんが「ヒロシマを軸に、福島と沖縄は絶対に欠かせない」とお書きくださったこと、私もそう思います。今年の平和の夕べには山城さんも誘ってくださっているとのこと、それもありがたく思います。

 平和の夕べが大切な集まりであることは十分に承知しており、特に朝鮮半島の核問題は安倍政権の暴走の下、特に重要だと思います。

 それを聞いていただけるのであれば、最優先でお引き受けしようとも思います。
 ただ、すでに竹田さんにはお伝えしてありますし、河野さんもご承知下さっていると思いますが、私は半年以上先は生きているかどうか分からないので、一切のお約束をしないことにしています。
 そして、お引き受けするお誘いを半年先半年先というように決めてきました。
 8月にいただいているお誘いのうちどれをお引き受けするかは今月未に一括して決めます。

 勝手を言って申しわけありませんが、お引き受けするしないの最終的な決定まであと半月ほどお待ちください。
 信州は冬本番ですが、それでも陽射しは春を予感させます。
 もし、お伺いすることになれば、真夏本番ですね。

 73年前のあの日、焼けるような暑い町で、本当に焼き殺されていった人たち・・・、そんな悲劇は2度と迎えたくありません。

 山下さんの陳述、福島の子どもたちの甲状腺がんについての河野さんの文章も拝読しました。

 私も、福島の被害に関して、4月1日にDAYS JAPAN主催の集会に行くことにしています。
 まだ、寒い日もしばらくは続くでしょう。
 お元気でご活躍ください。
                       2018/2/15  小出 裕章
ps
 朝鮮の核問題については、信州の市民グループから求められて書いた文章があります。
 すでに竹田さんにはお送りしましたので、たぶん河野さんにも届けていただいていると思いますが、念のため添付します。

(小出さんから頂いた「朝鮮民主主義人民共和国の核について」は、8.6当日参加の皆様にお配りする予定でいます。)    』

そして、2月28日に、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」に参加するとのうれしいメールをいただきました。そのあとのメールのやり取りも紹介させて頂きますね。

これもクリニックの青野さんのお花です。こでまりが華やかです。

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2018年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について③

私から小出裕章さん(この呼び方は慣れませんねえ、やっぱり小出先生と呼びたいですが・・・)に出したメールの続きです。

『・・・・ こんな活動をしながら、今年の8.6に取り組もうとしています。

広島の被爆者の語り部は、在日の男性にして頂きます。もう、だんだんと被爆者が亡くなって、生の声が聴きにくくなりました。今の内に沢山の方の体験を直に聞いておきたいと思います。

昨年は、広島二中の一年生が、学徒動員で今の平和公園の川岸に座っていて、全員が亡くなった、その一年生の教師で、ともに爆死された方の遺児であり、ご自分も被爆者で、今肺がんと闘っている方、小野瑛子さんに語って頂きました。

今年、絶対に語ってほしいと思っている山城博治さんからは、今一ついいお返事をいただいていません。でも、当日は広島に来られていますので、何とか私たちの会にも来て頂きたいと、あきらめていません。3.11に京都での集会に博治さんが来られるそうですので、直接頼みに行こうと思っています。

小出先生に来て頂いたのは、2012年です。もうあれから5年以上がたちました。当時、来ていただいて、本当にうれしかったのです。当日話して頂いたことは深く胸に残り続けています。(あの日、車いすで、奥様に連れられて会場に来られた、はだしのゲンの中沢啓治さんも、その4か月後に亡くなりました。)


(この時の中沢さん奥様です。この同じ時、神田香織さんに講談「はだしのゲン」を演じて頂きました。それを聞きに来てくださったのです。)


201286

私は、今、大阪のホテルでこのお手紙を書いています。明日、東大阪の中学生に話しに行きます。来る新幹線の中で、小出先生の「原発と憲法9条」を読みながら来ました。そして、やっぱり、どうしても広島に来て、そして、お話し頂きたいと強く思いました。

どうぞ、私たちの熱い思いを受けて頂きますように。


どうぞどうぞ、8月6日、広島に来てくださいませ。もう、先生用にホテルも押さえております。宜しくお願いします。お忙しい先生に負担をかけるような長い手紙は書かないようにと竹田から言われております。それは承知しておりますが。

ご迷惑と思いながら、もしよろしければ、山下氏の陳述と、私が福島の子どもの甲状腺がんについてミニコミ紙に書いた原稿を添付しますので、お目を通して頂けると幸いです。

長文失礼しました。

まだまだ寒い日が続くと言われています。どうぞ、先生にはお体を大切に、といっても、先生は私より二歳も若い!!のですよね。お互いに体に気を付けながら、ぼつぼつ頑張りましょう。
再度、宜しくお願いします。
 
         2018年2月14日
                  
                          河野美代子』

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2018年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について②

今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の平和講演は小出裕章さんです。この講演を引き受けて頂くための、私と小出さんの書簡(メールですが)を、小出さんの許可をいただきましたので、公開しますね。これまで私は、「小出先生」と呼んでいましたが、この度、小出さんから「先生はやめるように」と言われましたので、以後、小出さんとお呼びしますね。本音は、ずっとずっと「先生」とお呼びしたいのですが。ただし、それまでのメールではそのままです。
以下、最初に小出さんにお出ししたメールです。


『近年にない寒さと、どか雪の冬が続いています。
小出先生には、信州にお住まいと聞いております。寒さと雪は大丈夫でいらっしゃいますでしょうか。

竹田さんから、小出先生は、手紙をよこさなくていいとおっしゃっていることを伺いました。でも、そうは行きません。この間、お話したいことは沢山あります。それにお話を聞きたいことも。でも、なにから書いたら良いのか・・。

先日、小出先生がどなたかに書かれた「北朝鮮の核」をどう考えるかという文章を読みました。ああ、これを聞きたかったと思いました。

そして、先生が信州に居住されるにあたっての文も読みました。これは悲しかったです。いつかひっそりと消えて行くだなんて。まだまだ消えてもらっては困ります。私たちは、どんどん負けて行っています。あの醜悪な安倍政権の元で、とんでもない社会が作られようとしています。変わるはずがないと思っていた憲法も危なくなってしまっています。

先生たちが消えてもいいのは、一安心、これで後継者に任せられるという時だと思うのです。まだまだ社会は先生を必要としています。どうか、消えるなんて言わないでください。

 私たちの8.6ヒロシマ平和の夕べも、昨年10回目を行いました。今、すっかり市民の方たちにも定着して来たと思います。
私たちは、ヒロシマを軸に、福島と沖縄は絶対に欠かせないという姿勢でやってまいりました。それは、8.6当日だけでなく、日ごろの活動としても。


 先日、大切なスタッフの一人である山下が、伊方原発運転阻止の原告の一人として、法廷で陳述をしました。それは、自分を語りながら、人が見える素晴らしい陳述でした。彼は、社会福祉士であり、要介護5の妻を介護しながら、そして自分も癌を患う身でありながら、生活や活動をしています。江田島という瀬戸内海の真ん中に住み、もし伊方原発が事故を起こしたら、島の人々の生活はなくなってしまうこと、いえ、事故を起こさなくとも、そこから排出される温水によって、瀬戸内海の生態系が変わってくることなど、聞いていて涙が出るような陳述でした。

私たちが続けている、広島への福島の親子の保養は、甲状腺がんの検診をセットにしています。気骨のある甲状腺の専門医、チェルノブイリで子どもの手術の指導もしてきた先生が、無料で見て下さっています。でも、子どもたちの中には、次々と嚢胞や腫瘤ができて、針生検をしなければならなくなった子が続出です。


5 中には、甲状腺がんになって、それも福島で何にもなしとされた半年後に、転移性の甲状腺がんが見つかったという青年もいます。事故当時、中学生だった彼は、今大学生です。彼女もいます。彼は、父親も本人も、福島県立医大で手術を受けることを拒否し、広島で受けました。でも、転移、再発を繰り返し、この二月末には、四回目の手術を受けます。交通費だけでも経済的負担も大きく、私たちも必死でカンパを集めて支援をしています。

(手紙はもう少し続きます。花は、クリニックの青野さんのです。活けられた時はみんなつぼみでしたが、一斉に開きました。後二輪咲いたら、もっと豪華でしょうね。楽しみです。)
 

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2018年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について①

これから、しばらく、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」についてお話しますね。今年の準備は着々と進んでおります。

今年のメインの講演は、小出裕章先生です。

小出先生には、2012年の平和の夕べに来ていただきました。福島の原発事故の後。先生の講演は、その事故を止めることができなかったという、先生ご自身の謝罪から始まりました。京都大学原子炉実験所の研究者の立場から、ずっと原発の危険性を訴え続けて来るも、ついにあの事故が起きててしまったことへの懺悔でした。

862012

丁度この時のスライドも衝撃でした。

2

フクシマ原発でまき散らされたセシウム137の量です。原発と、福島の事故について、私たちが知らなかったことをたくさん教えて頂きました。そして、そのお人柄にも多くの参加者が感銘を受けたものです。

そのあとの懇親会で。立って小出先生とお話しているのは、沖縄の知花昌一さん、神田香織さんの右に電車内被爆者の米澤鐡志さん、こっち向きの秋葉さんと話しているのが、後ろ姿ですが、ドイツ、緑の党の副党首ベーベル・ヘーンさん。

862012_2

あれから、もう5年以上も経ちました。その時には、まさかと考えられもしなかった、原発が次々と再稼働され、福島の子どもの甲状腺がんの原因は原発の事故のせいではないと未だに言われ続け、放射線の線量が高いまま、故郷に帰れとの方針を出され、避難の家賃は打ち切られるなど、被害者は、冷たく放り出され続けています。

一方、政治の世界では、安倍一強の元で、まさかと思っていた改憲が目の前に実行されようとしています。北朝鮮との確執、それは日本の政府が自ら作りだしたものでものでもありますが、大きな理由ともしています。

このような状況で、小出先生は、北朝鮮の核兵器のこと、原発と憲法九条のことなど積極的に情報を発信していらっしゃいます。今こそ、もう一度、小出先生のお話を聞きたいと思いました。

小出先生が、今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」に来てお話して頂くことを了承して下さって、本当にうれしく、元気が出ました。今年は11回目になります。さらにいい会にしたいと張り切っております。皆様、どうぞご期待下さいね。

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20年前の赤ちゃんと。

昨日のこと。一組の親子さんに食事のお呼ばれに行きました。「先生は、何がいい?和食、中華?」「それは若い人、彼に決めてもらって。私は何でも食べるから」では焼肉でもいい?」「いいよー。焼肉、うれしいよ」で、叙々苑の焼肉でした。

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20年前、彼女は彼を出産しました。その時彼女は17歳の高校生でした。頑張って生むことを選択し、結局当時通っていた県立高校から通信に転校しました。通信高校の卒業式には2歳の彼を連れて出席しました。

それから彼女は一人で子育てをしながら勉強し資格も取り、今や沢山の顧客を持ち、その分野では広島のトップを走っています。

赤ちゃんの時以来20年ぶりに会った彼は、立派な青年になっていました。予備校生活を経て、この度大学生となって東京に行きます。以前から、その時には一度彼に会ってねと言われていました。

まあ、その青年の素敵なこと!!お母さんによく似た美男子ですが、何よりその爽やかな会話。人の話はきちんと目を見ながら聞くし、自分の思いはちゃんと明るく話すし。

よくまあこんなに立派に育てたねえ。彼女の頑張りに敬服しました。

食事を終えて帰る時、なんと彼は私にコートを着せかけてくれました。そして、外で握手。彼女は、私はハグね、と彼女とハグ。そしたら、僕もと、また彼とハグ。本当にうれしいひと時でした。

ところで、入学祝い、何にしたらいいのか、若い男性には何を上げたらいいのか、さっぱり分かりませんでした。で、こんな時には娘です。そしたら、娘がどこの大学?と聞いて、それなら「ポーターのリュック」と言いました。ポーターはどこ?そごうで教えてもらい売り場に行きました。でも、リュックはいっぱいあって。写真を撮って娘にラインをし、そうではない、素材がもっと雨でもいいの、とか、ファスナーでざっと開けられるようになったのとか、最後はラインのビデオで映しながら、話しながら選びました。娘のお墨付きをもらったリュックは、彼はとても喜んでくれました。まったく、娘も便利な人です。

20年。私にとってはついこの前なのですが、その間に赤ちゃんが大学生になっていたという事実、彼女も彼も懸命に生きて来たであろうこの20年、温かい思いを抱いて帰りました。

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さようなら原発ヒロシマ集会③

おしどりマコ・ケンさんの講演は多岐に渡りましたが、その中でとても気になったり感動したことを二つ。

一つは、福島の農業のこと。私たちは、福島の農産物の放射線濃度ばかりに気を取られています。しかし、この度指摘された問題は農業に従事する人たちの健康のことでした。

2017年4月26日、福島県農民連の国会内での院内集会が開かれました。そこにお二人が参加されてのことです。

多くの農地にはセシウムがまだ高濃度に残っていると。そこでの農産物には、農地にカリウムをたくさん撒きなさいという指導がなされたと。すると植物はセシウムのかわりにカリウムを吸い込み、それによって農産物中のセシウムはほとんど検出されなくなったのだそうです。しかし、その農地で作業をする農民の方たちは、土ぼこりなどにより、セシウムを吸い込んでしまいます。

その方たちへの指導では、マスクをしましょうと、帰ったら、すぐに「鼻をかみましょう」「うがいをしましょう」それにより、鼻の粘膜についたセシウムを排出することができると。また、除染ですが、農地に行く途中の道路の多くは、除染されていないと。毎日そこを通って農地に行くのだと。その方たちに県は、まだ放射線が高濃度の所は、「息を止めて、できるだけ早く駆け抜けましょう」と、こんなこと指導がなされているのだと。

それから、お二人はドイツに招かれて、多くのところで講演をして回ったと。大学や高校でも。そこでの生徒、学生たちは、とても熱心で、講演の途中でも後でも、どんどんと質問の手が上がると。とても詳しく勉強していて、質問の内容も高度なものなのだと。

例えば、「フクシマ原発が壊れたのは、ほんとうに津波のせいなのか、その前の地震で壊れているのではないのか」と。「地震が多い日本では、地震で壊れたというのはまずくて、めったに起こらない津波での事故だと言わないと、これからに都合が悪いのではないか」と。彼は、インタ―ネットの英語版で沢山の原発の記事を読んでそう確信を持ったと言うのだそうです。

別の学生ですが、すごい質問をするので、どうしてこんなに多くのことを勉強しているのかと尋ねたら、「自分は大人になったら、第三次世界大戦を防ぐような仕事をしたいのだと。その目的をもって勉強をしている」と言ったと。

校長先生がおっしゃったと。ドイツは、あのナチスを投票で選んでしまったという大変な間違いを犯したと。まさか、ナチスがこんな方向に行くとは思っていなかった、しかし、声を上げることもできず、ずるずると引きずりこまれて行ってしまったと。その間違いの反省から、子どもたちには、自分で考えて、自分で声を上げ、行動することができるように、そういう教育をしていると言われたのだそうです。

これは、すごいことですね。日本はまるで反対なのですから。声を上げないで、言われたことを素直に聞き、黙々と仕事をするように、そんな人を作る教育をしていると、私は痛感しています。ドイツの教育のすばらしさは何度も聴いてはいますが、今回も感動をもって聞かせて頂きました。

おしどりマコ・ケンさん、ほんとうに素晴らしい。今回は時間の関係で、子どもの甲状腺がんのことについてのお話を伺うことができませんでした。それがとても残念で。いつか、またこれも含めてお話を伺いたいと思います。

本当に本当にありがとうございました。

会では、沢山の資料をいただきました。これから、時間をかけて読ませて頂きます。

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会場でご挨拶をした伊方原発広島裁判原告団の団長さんの堀江壯さんが、カバンをごそごそしてこんな手作りの鉛筆をくださいました。一本は私が、一本は浜中先生が頂きました。ありがとうございます。

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主催者の皆様、ありがとうございました。これから、自分は何をすべきか、考え、行動しましょう。

この会の後、原爆ドーム前に場を移して集会とデモ行進が行われました。その会でお話しされる人見やよいさんです。

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さようなら原発ヒロシマ集会②

「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」での人見やよいさんのお話の後は、おしどりマコ・ケンさんのトークライブ」でした。おしどりマコさんのお話が聞けるのは、ほんとうにうれしくて。これまで、福島のことを考えたり取り組んだりするのに、マコさんの情報にどれだけ助けられたか。お話を直接聞きたい、聞きたいと思って来たのが、やっとかないます。

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本当に素晴らしいお話でした。もちろん、話のプロですから、歯切れよく、楽しく、そして大切な情報をどんどんと話してくださいました。彼女は鳥取大学医学部生命科学科を3年で中退し、よしもとの芸人として活躍してました。大阪から東京に舞台を移して三か月で、3.11に遭遇しました。その3月19日から31日まで、お二人は、品川プリンスホテルで春休みお子様キャンペーンに出演することになっていました。そしたら、どんどん関係者の人や会社、事務所が避難すると。関西や沖縄や海外へ。おかしいなあと疑問を持ったことから彼らの活躍が始まります。

ずっとインターネットでの政府・東電の記者会見を見、それを彼女は書き写します。書き写したものはノート20冊にもなったと。やがて、記者会見では聞きたいことが聞けないことにもどかしくなった二人は、6月記者会見場に行き、参加し、質問をします。その後、すっとずっと彼女たちは記者会見に参加し続けます。初めに質問したのは、

「今、爆発した原発からは、どれだけの放射線が出ているのか」と。爆発した時だけ放射線をまき散らしたのではなく、すっと大気中に出続けていると東電が認め、発表したのは、それから三か月後の9月になってからなのです。その大量の放射線が、風に乗ってまき散らされていると。

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これだけでなく、全て東電は、済んだ後、今は落ち着きましたという所で、発表をすると。3月15日のメルトダウンは5月まで発表しなかった。分かっていても、質問をすると、「メルトダウンて何ですか?」などとごまかしていたと。

そして、大切なこと。沢山の裁判が行われていますが、その原告の情報は古いと。もっとどんどんと新しいことが今になって分かってきている、それが取り入れられていないと指摘されました。

あまりに沢山のことを教えていただいたのですが、農業のこと、それからお二人はドイツに招かれて講演をたくさんしています。そのドイツでの教育のこと、とても感動したので、もう少し報告を続けますね。

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さようなら原発ヒロシマ集会①

今日は、朝からずっとずっとバタバタしていてブログを書くのがこんな時間になってしまいました。今日のご報告を少し。
今朝弁護士会館での、「フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会」に行きました。

弁護士会館の大ホールが一杯の人でした。これはまだ始まる前の写真です。

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初めに呼びかけ人のお一人、弁護士の山田延廣先生のあいさつ。

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そして、福島からの報告は福島原発告訴団役員の人見やよいさん。

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1961年生まれ、福島県郡山市在住のフリーライター。フクシマ・アクション・プロジェクトなどでみんなが幸せに暮らせる脱原発社会を目指して活動していらっしゃいます。

スライドを作って来られ、今の状況を話して下さいました。

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これは、最後のスライドです。

その前に、福島の状況は、がんと同じだと言われました。人見さんは、今、がんと闘っていらっしゃいます。その彼女に向けて、抗がん剤は使ってはいけない、こんなものを食べてはいけないなど、どっといろいろと言ってくる人達がいると。彼女は抗がん剤で治療していると。髪も抜けて、今日は、ウィグで来たと。

福島にいる人に向けて、なぜ逃げなかったのかとか、逃げなくて大丈夫なのに逃げるのはけしからんとか。いろいろと言ってくる人がいると。

がんの人にも、福島の人にも、やさしい言葉を言って欲しいと。それぞれがそれぞれの状況の中で自分の生き方を決めて行っているのだから。「その当事者には優しい言葉をかけてほしい」という言葉がとっても切実で命がけで。胸に響きました。そんな厳しい状況の中で、よく広島まで来て私たちにお話して下さいました。本当に感謝します。

この後は、おしどりマコ・ケンさんのものすごいお話でした。明日、お話しますね。

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ふきのとう

同じマンションの方から採って来たばかりのふきのとうを頂きました。春の香がプンプンする超新鮮のふきのとうです。これで半分ほどです。

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新鮮なうちに料理するに限ります。すぐにコンビニに行って、焼きクルミを買ってきました。

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先にクルミを刻んでおいて。フライパンでみそとみりん、お砂糖を練ります。いったん火を止めておいて、ふきのとうをさっと洗って刻みます。もっともっと香が立ちます。刻んだら、すぐにフライパンに入れてまた練ります。味を見ながら、微調整。

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本当においしいくるみ入りのふきのとうみそが出来ました。姉におすそ分けして、残りをタッパーに詰めました。これから当分白ご飯にのっけて食べます。うれしい。

次の日、夫が桜エビとふきのとうを揚げたと。かき揚げでもない、形も変で何かオリジナル。でも、それが美味。おいしくておいしくて。

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食べている途中、アッと気づいての写真でごめんなさい。

もう一つ。ゆ―ぽっぽで梅根昆布茶と桜茶を買ってきました。

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お湯を入れて、ゆっくりと飲みます。どちらもおいしくて、春を堪能。こんな時だけとても幸せです。



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えっ、東京電力?

 昨日のことです。中保健センターでの健康相談を終えて、午後クリニックでいろいろとたまっていることをしていた時、電話がかかりました。私のクリニックで契約している音楽関係の会社〇線の方だそうです。

〇線との契約をしている法人の方にお電話していますと。「電気代がお安くなるご案内です。担当の方はいらっしゃいますでしょうか」と。「担当はいませんが、私がお伺いします。何でしょうか?」と。「電気代がお安くなります。」と相手は繰り返します。

「それは、電力の自由化で、中国電力以外と契約すると安くなるということですか?」

「はい、当社は東京電力と契約しています。お客様も東京電力と契約なさるとずいぶんお安くなります。」

私はびっくりしてうろたえました。

「あの、東京電力って、東電ですよね、あの、あの福島第一原発の東京電力ですか?」

「はい、そうです。」

「東電が電力販売の別会社を作ったという事ですか?」

「はい、そうです。そこと契約すると、お安くなるという事です。」
まあ、よくもまあぬけぬけと。

「結構です。私は東京電力と契約なんてしません。冗談じゃない。原発被害者を放っておいて何ですか。こんな会社と契約だなんて。お宅も、もっとましな会社と契約なさったらいかがですか」

「でも、安くなるのですが」

「安くならなくてもいいです。契約はしません。」そう言って電話を切りました。その後も気分が悪くって。中国電力も島根原発や上関のことがあるので、他にしたいとは思っているのですが、よりによって東電だなんて。

数日前、私は福島の家族と会いました。中学生で被曝し、甲状腺がんになり、広島で手術をした大学生です。今回、4回目の手術を受けました。転移、再発の繰り返しです。手術を終えて福島に帰る前に一緒にランチをというつもりでしたが、私の診療が長引いて、ランチに間に合いませんでした。で、カフェでお茶、私だけごはんを食べました。術後の彼は思ったより元気でホッとしました。まだまだ彼の闘いは続きます。彼の甲状腺がんは、福島県の統計に入っていませんし、医療費の補助も出ません。少しだけですが、カンパをお渡ししました。

まだ彼のことで暗い気持ちになっている所に今回の電話です。本当に、この私に、くそっ!!みたいなものです。

今度の日曜日、人見やよいさん、おしどりマコさんの話を聞きに行きます。


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今度は、8.6ヒロシマ平和の夕べについてお話しますね。

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切明千枝子さんの被爆証言④

切明千枝子さんの被爆証言の会で配られた平田節子さんの手記です。爆心地の雑魚場町に学徒動員されていた県立広島第二高等女学校2年1組41人のうち、たった一人生き抜いた平田さんは、1968年、国泰寺中学校に奉職中、38歳で胃がんのために亡くなっています。

『    回想記  平田節子(県立第二高等女学校4期生・2年西組)

ピカッと光ったと思ったが、その後の記憶はない。おそらく、爆風に吹き飛ばされて意識を失っていたのでしょう。しばらくして起き上がってみますと、私の周囲には誰一人みえず、急に一人ぼっちの世界に置かれたような気持ちで突っ立っていました。

「 これはやられた。」と気付くや、両掌を耳に当てて、地に伏せました。10分ばかりそうしていたでしょう。再び立ち上がってみますと、暗闇の中に真っ赤な火の手が上がっていました。炎は見るまに広がり、あたり一面火の海になったようでした。

この明るさに、チラホラ人影が見え始めていたので、近寄ってゆきましたが、その異様な姿には全く驚きました。垂れ下がった皮膚、水ぶくれした顔、はれあがった唇、何物かの化身としか思えませんでした。慣れぬ地理に、この天変地異、全く方角の分からぬまま、たださまようだけでしたが、そのうち先生が見つかりました。既に数人の生徒が、両脇にしがみついていましたが、先生もまた同じ被害を受けながら、両手を広げ、ひなどりを抱きかかえるようにして立っておられました。私は自分の名前を告げて、先生にうなづいて頂いたものの、私にはすでに先生は生きている人のようには思えませんでした。ただ、生徒のために責任感と精神力で突っ立っていらっしゃったのではないかと思います。

うろたえている私は、いつの間にか、先生にもはぐれていました。面相のほとんど変わっていない私が、友人の目にとまったらしく、私を呼びながら走ってきました。そして自分には見えぬ、変わり果てた我が顔を気にしながら漏らした、必勝を誓う言葉に、私は胸をつかれ、「今や友と一緒に地獄の道を切り開かん」、そんな気持ちが沸きあがってくるのを覚えました。

三・四人が手に手をとって、一列横隊になり必死になって、逃げ路を探しました。全身油ぎり、素足の痛さを呪いながら走り回るうちに、北小路さんと二人だけになっていました。炎の熱気はますます激しく、ついには服に火がつき、二人は貯水槽に飛び込むほどでした。

こうして、人の流れに混ざって右往左往するうち、ふと皆とは反対の方向に逃げる気になり、北小路さんの手を引っ張りながら走りましたが、幸いにも、やがて小さい橋に出ました。二人は目をくっつけるようにして橋の名を読み、今朝通ってきた橋であることを確認して、比治山橋目指して駆け戻りました。

比治山橋を渡り切ると、友人はもはや一歩も歩けないほど疲労していて、私に背負ってくれと頼むのです。私は、途中何度も休みながら、出汐町まで背負って帰りました。

比治山南端のハゲ山の麓に、臨時の救護所があるということを、兵隊さんから聞き、友人を連れて行くことにしました。その途中、また飛行機の来襲を受け、私たちはあわてて笹の茂みに逃げ込みました。そして二人は、暫くそのままで転がっていましたが、救護所の人が、私たちを防空壕に収容して下さいました。

後日、私の作業班で生き残ったのは私一人であることを知り、どうしようもない孤独感に襲われたことを今も忘れません。

出典:「原爆被災証言記-忘れられた学徒たち」
(県立広島女子大・県立広島第二高等学校同窓有志編  2007年発行)』

これで、切明千枝子さんの被爆証言に関連しての記事を終わります。切明千枝子様、関係者の皆様にこころからお礼申し上げます。

私は、これから中保健センターで無料健康相談に行きます。

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切明千枝子さんの被爆証言③

切明千枝子さんの手記の続きです。

『そのことがきっかけになって、もう新校舎の建設は始まっていたのだが、急遽建設を請け負った業者と、女専・第二県女の同窓生有志とで名前も分からない忘れられた支社たちの慰霊祭を実施することになった。導師は宇品の千暁寺のご住職であった。(千暁寺は、被爆の翌年の三月三日に女専と第二専女合同で原爆で亡くなった職員・生徒の追弔会を行ったお寺でもある。)       
             *

今はもう事項だと思うので一つの記録として記しておくが、この話が表に出て、慰霊祭の話が持ち上がった時、工事の関係者の方が「あの校地へ被爆者の骨を埋めたというのは本当か?何か証拠の記録でも残っているのか?これが表沙汰になると、遺骨探しをしろなどと言うことになって、校舎建設の工期が遅れる。この件はマスコミ関係者へは黙っていて欲しい。慰霊祭も取り止めるか、どうしてもというのなら内密でやって欲しい」と、私のところへひざ詰め談判に来られた。

「証擦の記録などは無いけれど、現にこの私がこの手で埋めたのですから、これほど確かな証拠はないでしょう」と答えたまま、後の言葉が出なくて涙がジワリと滲んできたのを思い出す。

その後、当時の女専の教授早川甚三先生が(先生は原爆被災の一か月前に応召され広島を離れておられたが、戦後昭和二十年十月に復職された。)「原子爆弾見聞録」と題する手書きの記録を読んでいると、「私が学校へ戻って来た当時には、まだ、学校の周りには被爆者の白骨がゴロゴロしていた」という記述があり、私の記憶は本当だった、単なる悪夢ではなかったと、改めて

それから数十年、校舎に立ち込めた霊気のようなものは、我々凡人には感知できないもので、池田先生のように芸術家としての繊細なしかも鋭い感覚の持ち主だけに感じられる何かであったのではないだろうか。

今、立派に建物が完成し、大学の中身も、大きな変化を遂げているが、そこに学ぶ若者たちに、、あなた達のキャンパスで、たった六十年以前に、こんな悲劇があったのだと伝えたい。

この被爆証言が、県立広島大学に学ぶ皆さんに読まれて、宇品キャンパスで繰り広げられた悲惨な歴史の一齣を知って頂くよすがともなり、更にはそれが反戦核平和につながる大きな力となることを祈念してやまない。(合掌)

  出典:「原爆被災証言記―忘れられた学徒たち」(県立広島女子大・県立広島第二高等女学校同窓有志編   2007年発行) 』

当日は、同じ証言記に載せられている平田節子さんの回想記も配られました。平田さんは、雑魚場町で建物疎開跡片づけに学徒動員されていた2年1組41人のうちのたった一人の生存した方です。1968年国泰寺中学校に奉職中に亡くなっていますが、この平田さんの手記は、関千枝子さんの「広島第二県女二年西組-原爆で死んだ級友たち」にも引用されています。明日はそれを転載させて頂きますね。

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切明千枝子さんの被爆証言②

切明千枝子さんの被爆証言を聞きに行って、切明さんが話されたことの一部です。

広島は大きな墓場なのです。平和公園には沢山の白骨が埋められています。平和公園を歩く時、沢山の白骨の上を踏んで歩いているのです。「ごめんなさい、ごめんなさい」と言いながら、そこを歩くのだと。

その日に配られた切明さんの手記の一部を紹介させて頂きます。

「原爆被災証言記―忘れられた学徒たち」(県立広島女子大・県立広島第二高等女学校同窓有志編に収載されている「現・県立広島大学宇品キャンパスで起きた悲劇-1945年8月」 切明千枝子(第二県女2期)・(女専21期生)

『現在の県立広島大学の建物の新築工事が始まって間もないころのこと。当時、女子大の同窓会会長だった小池美枝子先生との雑談の中で、先生が「前の校舎(戦前からの木造の校舎でなく、昭和三十年代に建築された鉄筋コンクリートの校舎)の時に、キャンパスの東南にあった棟におられた美術の池田亨先生が、「夕方、学生のいなくなった校舎に一人でいると、何か言い知れぬ不思議な空気、どう表現してよいか分からないが、ぞっとするような霊気が、霧のようにたちこめるのを感じることがある。あの校舎には、過去に何かあったのではないか」とおっしゃっていたのよ。」と話された。

それを聞いた時、私には長い間心の中に封印をして閉じ込めていた一つの記憶が混ざさま゛と蘇った。

それは、一九四五年(昭和20)八月六日のあの日から始まる数か月のできごとである。

(沢山の生徒たちや教師たちのあまりにひどい被災の状況、の記述がありますがごめんなさい、略します)
—-その波多野先生をはじめとし、亡くなった第二県女の下級生、専売局の工場で唯一の死者となった第二県女専攻科生の野村昭子さん、そして津山校長先生の一人娘文子さん(女専7期国文卒)も学校で荼毘に付したのである。(証言の中で、遺体がなかなか燃えなかったことも話されました)
学校関係者の遺骨は拾って藁半紙の上に乗せ(蓮の葉で包んだものもあった)、死亡日と名前を記して、校長室の大きな応接机の上に並べられてゆく。遺族が引き取りに来られるまで丁重に安置したものである。

ところが、名前も分からない一般市民の方の遺骨は拾われることもなく、そのまま埋められたり、野晒しにされていた。

被爆から三か月経て、学校が再開されてもその骨は野晒しのままだった。ある日、福崎先生の指示で、私を含めた数人の級友でその野晒しの遺骨に、心の中で念佛をとなえながらシャベルで土をかけ、その場に埋めてしまった。骨太で恐らく男性の大人と思われる骨、少し細めで女性かなと推察できる骨、そして幼い子どもの骨だった。

「わしゃあのー、毎年八月六日にゃあ女専の校庭に行って手を合わすんよ。あん時、隠亡(原文のママ)もしたし、その骨をそこいら辺へ埋めもしたんじゃけん」と語っていた福崎先生も、肝臓癌で既に亡く、今となってをは詳しい話を聞くすべもない。

それらのことを思い出した私は、小池先生にその話をして、「もしかしたら、池田先生のおられた校舎のあたりが、遺体を荼毘に付したり、遺骨を埋めたりしたあたりかも知れません」と言ったのである。

小池先生は大変ショックを受けられ、「そういうことがあったのね・・・」と絶句された。』

この項、続きます。

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中村好博団長及び有森翔記団員追悼神楽公演

切明さんたちの県立広島第二高等女学校の生徒さんたちの被爆については、まだ続きます。今日は、昨日の神楽についてお話しますね。

昨日の10時から、広島市まちづくり市民交流プラザで「NPO法人上中調子神楽団あおぞら子供格神楽団」主宰の「中村PO好博団長及び有森翔記団員追悼団員神楽公演」に行きました。

2015年夏の日本産婦人科医会主催の性教育指導セミナーが広島で行われる時にANAクラウンホテルプラザ広島での懇親会で、青空子ども神楽団に「やまたのおろち」を演じてもらいました。全国から来られた方たちがびっくりして、やんややんやの大拍手でした。

そして、このあおぞら子供神楽団は、2016年の2月に広島ユネスコ奨励賞を受賞されました。その時に池原理事長さんと中村団長さんが出席されました。

それなのに、その年の10月に中村団長さんは亡くなってしまったのです。

その悲しみも癒えないうちに、今度は、昨年11月に有森翔記君が交通事故で突然亡くなりました。舞台にはお二人の遺影が。

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初めに、池原団長さんがお話しされました。有森君は、小学校2年の時に、池原さんが子ども神楽に来てみないかと声をかけると、すぐに「来たよ」と笑顔でやって来たと。それからずっと青空の団員として、そして神中調子神楽団の団員として活躍されていました。

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池原さんは、この間のいきさつを涙ながらに話されました。もう、どうしたらいいかと落ち込んて゛いたが、やはりここは二人の追悼の公演をしようということになったと。

まず子どもたちの「悪狐伝」、それから上中調子神楽団の「鐘軌」、子どもの「鈴鹿山」。ここでお弁当をみんなで戴いて、あとお兄さんたちの「滝夜叉姫」、追悼セレモニーがあって、最後にご友たちの「紅葉狩」というプログラムでした。私は、午後の演目は参加できませんでした。

じっと神楽を見ていると、そのストーリの面白さも実感します。すっかり楽しませて頂きました。特に子どもたちがほんとうによく演じました。そして、お兄さんたちの演目は、さすがに貫禄で見事でしたよ。

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最後の写真は、上中調子神楽団の物です。

私は、幕間に皆さんにごあいさつをしなければならなくて、本当に緊張しました。でも、久しぶりに楽しい舞台を堪能させて頂いて、感謝しながら後にしました。これからの皆様の発展とご健勝を期待しますね。それから、子どもたちや神楽団をを支える大人の方々、地域の方々にも感謝申し上げます。

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切明千枝子さんの被爆証言①

一週間前の日曜日の午前中、平和記念館に切明千枝子さんの証言を聞きに行きました。

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切明千枝子さんは、故切明悟さんのパートナーです。私は、切明悟さんの、子どもに対する暖かい視線が大好きでした。ご自分で出版社を作り、月刊誌、様々な単行本を出版なさっていました。私が「さらば悲しみの性」を出したころ、月刊誌に原稿を書かせてもらっていました。

その切明さんのご夫妻の記事が中国新聞ヒロシマ平和メディアセンターの記事にありました。

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教育についての本の出版だけでなく、原爆の資料集の編纂にも多大な尽力をなさっていたのですね。

切明千枝子さんも、ご自身、こんな歌を発表なさっています。ネットから頂きました。

Photo_2 証言の会には、沢山の方が来られました。主催者が用意された資料はとても足りなくて、追加の印刷に追われていらっしゃいました。

切明さんは、被爆当時15歳。広島第二高等女学校の一年生でした。みずからのひどい被爆だけでなく、母方の親族69人を全滅されています。その切明さんの被爆の証言は、女学院高校の生徒がインタビューして証言収録をし、それを起こしたものがネットに公開されています。

http://jogakuin.mapping.jp/2017/01/2016910.html

本当にひどい被爆後の状況を証言なさったのち、最後に若者へのメッセージとしておっしゃっています。

「71年自衛隊は誰かを殺したり殺されたりしていない。でも集団的自衛権が容認された今、同じ人間をまた敵と呼んで殺しあう時代が迫っているようで恐ろしい。戦争は一度はじめたらなかなかやめられない。せっかく生まれて来たのだから、戦争なんかで殺されないでほしい。犠牲になるのは一般市民。加害と被害両方の歴史となぜ戦争が起こるかをしっかり勉強し、自分たちが声を上げて、戦争を阻止し、生きとしいけるものが平和に共存する世の中にして、幸せに生きてほしい。」

この度の証言でも、もっとも強調されたのが、このことでした。

この場で配られた資料などについても、もう少しお話します。

 私は、今日午前中は袋町のまちづくり市民交流プラザでの「上中調子神楽団・あおぞら子供神楽団」主宰の「中村好博団長及び有森翔記団員追悼神楽公演」に行きます。とてもお世話になった団長さん、子どもたちを温かく、熱く指導なさっていた団長さんが、まだまだ若くして亡くなりみんな落ち込んだと。でも、団長さんの意志を継いで頑張ろうという追悼公演と思います。子どもたちも頑張って演じるでしょう。私も頑張って応援します。

第18回広島ユネスコ活動奨励賞の表彰式での団長さん(右)

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子どもたちの練習風景と舞台です。

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午後は8.6ヒロシマ平和の夕べのスタッフ会議です。



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「空が、赤く、焼けて」

私が宝塚の講演から帰り、新幹線の中で読んで大泣きしたのが、この本です。

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「原爆で死にゆく子たちとの8日間」のことが克明に書かれています。奥田貞子さんは、瀬戸内海の島にいて、広島にいる姪と甥を探しに来た8日間。その間に沢山の子どもたちと遭い、死を看取りました。

表紙の帯に重松清氏が書いています。

「僕は、あなたの描いた
  子どもたちのことが大好きになって、
  いじらしくてたまらなくなって、だからこそ、
  あの子たちに非業の死を強いた戦争を、
  核兵器を、憎むのです。」


 何人もの子どもたちの死が描かれています。1945年12月末までに原爆で死んだ人14万人。その一人一人がどのような人生を送り、そしてどのような死を遂げたか。それも、幼い子どもたちが。そこに想像を馳せること、そうして自らの生きる道を考えること。そのためにこの本はとてもとても貴重でした。

『おむすびを二口くらい食べると、みどりちゃんが「お兄ちゃん・・・お兄ちゃん・・・・」とまた泣き出した。私がどうれ抱っこしてあげようネ」と言うと泣きやんだ。焼けただれたこの子どものどこに手をやればいいのか・・・。あまりにもいたいたしいこの子でも・・・。でも、私のひざの上にそーっと抱いてあげると、静かに目を閉じた。

少したって、また「お兄ちゃん、お兄ちゃん、みんな食べないで・・・、お母様にもあげようよ」と苦しそうに言う。

「アアいいとも。お母様には、お兄ちゃんのを半分残しておくから、みどりは心配しないでお食べ・・・。いいんだよ。さあ、みどり」

でも、みどりちゃんは食べようとしなかった。』

『次の日の朝方、この少年は静かに死んだ。死ぬ少し前に、

「おじさん、戦争は終わったの?日本は負けたんでしょう。僕、もうどうだっていい」と言った。そして、「負けてもいい、戦争が終わった方が・・・」といったのが少年の最後の言葉だった』

こんなのが、沢山沢山。もう、ほんとうにたまりません。奥田貞子さん、よくこの本を書いて下さったと、大泣きして今、心から感謝します。

私たちは、もっと沢山の被爆者の話を聞かなければ。沢山の本を読まなければ。そう思いました。

明日は8.6ヒロシマ平和の夕べのスタッフ会議です。今年もとても大切な方たちのお話が沢山聞けると思います。

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宝塚の中3に話しに行きました。

昨日は、宝塚の山手台中学3年生に話しに行きました。

ほとんどの生徒がまだ公立高校の受験を控えている時期。この時期に話を聞くのはしんどいことだったでしょう。が、これから先生きて行くのに、決して無駄にならないことを話したつもりです。

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学校の雰囲気が好きです。廊下を見て回ります。

すごい達筆!!

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興味深いのは、全生徒のPiece→Peaceが張り出されていました。その一部です。

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生徒たちはよく話も聞いてくれて、気持ちよく帰ることができました。

ところで、新幹線の中で読む本を二冊もっていきました。その一冊を読んで、帰りの新幹線で大泣きしました。新幹線がすいていて、周りに人がいなくて良かったです。明日、これについて書きますね。

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私のしょうもない、大切なグッズです。

嵐ですね。広島はそろそろ通り過ぎようとしていますが、東北、北海道の皆様、どうぞ被害が出ませんように。今年は本当に気候が変で、地球全体の異変が危惧されます。

私は、今日はこれから宝塚に日帰りで行きます。中学生に話してきます。

今日は、いろいろと溜まっている私のグッズをお見せしますね。

お風呂に行く時にもっていくタオルがよれよれになってきているので、夫が棚から、これを引っ張りだしてきてくれました。ひゃ―、東方神起!!もったいなくって使えないわ。いつ、どこで買ったのか、すっかり忘れていますが、少し変色もしていますし。置いてるだけでは勿体ないので、使うことにします。

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私の朝ごはん、コーヒーのカップは東方神起の5人の時のです。もう写真の色も薄くなって、ヒビがはいっているのですが、まだ使い続けています。朝ごはんはほとんど夫が用意してくれます。ありがたいことです。

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花田さんにもらいました。今、実家の整理をしていて、出てきたのだと。頂いてうれしい!!1984年、最後のカープ日本一の歳のです。歴代カープの背番号を見ながら、これは誰だと、調べています。ああ、そうそう。長内とか山根とかいたなあなんて。高橋義彦、息子の憧れの人だったとか。もうこの時は江夏はいなくて残念。花田さんありがとう、大切にします。

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昨日、お昼ご飯用にローソンで買ってきました。食べに出られない時は、この中から選んで食べます。昨日は、やっぱり初っ端はチキンラーメンにしました。ちなみに、ローソンで買うのは、私はすべて無料です。ポイントで買えるからです。携帯のポイントがここでも使えるので。ずっと増え続けて、ずっと無料で買っています。次は何を食べようか、ささやかな楽しみです。

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それでは、ぼつぼつ出かける用意をしますね。今日は、セブンイレブンのカープチケットの売り出しです。もうあきらめて、ネットがつながらない、つながらないは、大変なストレスなので、買う努力はしないことにしました。

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