2018年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について③
私から小出裕章さん(この呼び方は慣れませんねえ、やっぱり小出先生と呼びたいですが・・・)に出したメールの続きです。
『・・・・ こんな活動をしながら、今年の8.6に取り組もうとしています。
広島の被爆者の語り部は、在日の男性にして頂きます。もう、だんだんと被爆者が亡くなって、生の声が聴きにくくなりました。今の内に沢山の方の体験を直に聞いておきたいと思います。
広島の被爆者の語り部は、在日の男性にして頂きます。もう、だんだんと被爆者が亡くなって、生の声が聴きにくくなりました。今の内に沢山の方の体験を直に聞いておきたいと思います。
昨年は、広島二中の一年生が、学徒動員で今の平和公園の川岸に座っていて、全員が亡くなった、その一年生の教師で、ともに爆死された方の遺児であり、ご自分も被爆者で、今肺がんと闘っている方、小野瑛子さんに語って頂きました。
今年、絶対に語ってほしいと思っている山城博治さんからは、今一ついいお返事をいただいていません。でも、当日は広島に来られていますので、何とか私たちの会にも来て頂きたいと、あきらめていません。3.11に京都での集会に博治さんが来られるそうですので、直接頼みに行こうと思っています。
小出先生に来て頂いたのは、2012年です。もうあれから5年以上がたちました。当時、来ていただいて、本当にうれしかったのです。当日話して頂いたことは深く胸に残り続けています。(あの日、車いすで、奥様に連れられて会場に来られた、はだしのゲンの中沢啓治さんも、その4か月後に亡くなりました。)
(この時の中沢さん奥様です。この同じ時、神田香織さんに講談「はだしのゲン」を演じて頂きました。それを聞きに来てくださったのです。)
(この時の中沢さん奥様です。この同じ時、神田香織さんに講談「はだしのゲン」を演じて頂きました。それを聞きに来てくださったのです。)
私は、今、大阪のホテルでこのお手紙を書いています。明日、東大阪の中学生に話しに行きます。来る新幹線の中で、小出先生の「原発と憲法9条」を読みながら来ました。そして、やっぱり、どうしても広島に来て、そして、お話し頂きたいと強く思いました。
どうぞ、私たちの熱い思いを受けて頂きますように。
どうぞどうぞ、8月6日、広島に来てくださいませ。もう、先生用にホテルも押さえております。宜しくお願いします。お忙しい先生に負担をかけるような長い手紙は書かないようにと竹田から言われております。それは承知しておりますが。
どうぞどうぞ、8月6日、広島に来てくださいませ。もう、先生用にホテルも押さえております。宜しくお願いします。お忙しい先生に負担をかけるような長い手紙は書かないようにと竹田から言われております。それは承知しておりますが。
ご迷惑と思いながら、もしよろしければ、山下氏の陳述と、私が福島の子どもの甲状腺がんについてミニコミ紙に書いた原稿を添付しますので、お目を通して頂けると幸いです。
長文失礼しました。
まだまだ寒い日が続くと言われています。どうぞ、先生にはお体を大切に、といっても、先生は私より二歳も若い!!のですよね。お互いに体に気を付けながら、ぼつぼつ頑張りましょう。
再度、宜しくお願いします。
再度、宜しくお願いします。
2018年2月14日
河野美代子』
『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。
| 固定リンク
コメント