2018年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について⑥李鐘根さん
今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の被爆証言は、李鐘根(イジョングン)さんにお願いしました。
年々被爆者の方々の証言を聞くことが難しくなってきました。今のうちに、できるだけ沢山の方々のお話を聞いておきたいと思います。
中でも、今年は在日の方のお話を伺いたいと思いました。
今の政権の中で、北朝鮮を憲法改悪のために利用し、巷ではまさかと思うようなヘイトデモが堂々と行われ、ネトウヨによる聞くに堪えない罵詈雑言がネットにあふれるという状況の中で、これまで生き抜いて来られた在日の被爆者のお話を、今こそお聞きしたいのです。
2014年には朴南珠さんにお話をしていただきました。この度は、男性の被爆者のお話です。
李さんは、毎年8月6日には日本と韓国の学生たちのセッションを受け持っていらっしゃいます。私たちの会と時間が重なるために、ご無理をお願いして調整して頂きました。とてもありがたいことです。
広島市平和文化センターから李鐘根さんのプロフィールと被爆証言記を送って頂きました。
「1928年生まれ。朝鮮半島から日本に渡った両親のもとに島根県で生まれる。国民学校高等科卒業間近の頃、運輸省広島鉄道局に就職。広島第二区間区所属していた16歳の時、職場に向かう途中、爆心地から2.2kmで被爆した。」
また、中国新聞ヒロシマ平和メディアセンターから。2016年11月7日に紙上に掲載された李さんの証言はここにアップされています。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=66155
そこには、李さんが幼いころから受けた様々な差別が記されています。大人の男性から立たされて小便をかけられたり、学校では女の子が泣いていると、彼のせいにされたり。「あきらめて耐えるしかなかった」と言われています。
在日であることも、被爆したことも隠して生きてこられた李さんは、2012年、ピースボートで世界一周する中で、本名を名乗り、被爆体験を話しました。2014年には、チェルノブイリやアウシュビッツなどを訪ねました。
送って頂いた平和文化センターの「在日韓国人二世の被爆証言」の最後には、こう記されています。
「私が証言する上で強調したいのは、被爆したのは日本人だけではなく、外国人の被爆者も大勢いたということです。なぜ、その人たちが日本で被爆して死んでいったのか、こうした事実を伝えるためにも、被爆者の一人として証言し続けていきたいと今は考えています。」
李鐘根さんの貴重な証言、楽しみにしています。ぜひ多くの方に聞いて頂きますように。
(写真はネットから頂きました。)
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