岡井崇先生
先日、広島の産婦人科医会から訃報としてお知らせがありました。見て、驚きました。愛育病院の院長、元昭和大学の教授、岡井崇先生の訃報でした。
調べると、ネットにも配信されていました。岡井先生は、私にとっては、大恩人です。地方の一町医者に過ぎない私ですが、それでも助けて頂きました。
読みドクターの記事を貼り付けますね。
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20171223-OYTET50000/
産科医療の安全性向上に取り組んだ昭和大客員教授で愛育病院(東京都港区)病院長の 岡井崇おかいたかしさんが21日、肺がんで死去した。70歳だった。告別式は近親者で行う。喪主は長男・巌さん。後日、 偲ぶ会を開く。
超音波診断の専門家で、皇族の診療にも携わった。出産事故で脳性まひになった子どもに補償金を支払い、原因分析や再発防止策の検討も行う「産科医療補償制度」の創設に尽力。日本医療機能評価機構が運営する同制度の原因分析委員長や、日本産婦人科医会副会長などを務めた。
産科医療の抱える課題を広く認識してもらおうと、10年前から計3作の小説を発表。出産事故や訴訟に揺れる医療現場を描いた「ノーフォールト」、生殖医療の問題点を問う「デザイナーベイビー」は、ともにテレビドラマ化された。
もう、ずいぶん前です。私はある訴訟を抱えていました。それはつらい訴訟でした。ひとりで文献を探し、人を尋ね、文章を書く。私が書いたものは膨大な量の準備書面になりました。
友人の当時四国がんセンターの名医だった日浦先生が送ってくれた文献の中に、広島にいては手に入らない貴重な論文がありました。京都大学の小西先生の論文でした。小西先生にも何回も会って頂きました。その論文を手掛かりに、次々ともつれた糸が解けるように広がりました。
関東の大学病院の教授から電話がありました。これは、全ての産婦人科医にとって貴重な裁判です。私が電話をしておきますから、昭和大学の岡井教授を訪ねて下さいと。お電話を下さった先生も岡井先生も東大人脈でした。本当にありがたく感謝申し上げました。
岡井先生に連絡を取り、お忙しい先生にアポイントを半ば強引にお願いし、それまでに数々の資料をまとめて送りました。
でも、そのアポイントメントの日、台風が来ました。この日を逃しては、もうダメかもと必死の思いで飛行場に行くと、予約していた便まで運行され、その次の便から欠航となって、本当にラッキーでした。ジェットコースターのようなすごい揺れでしたが、無事羽田に着き、品川の病院の教授室に訪ねました。私が送った資料は、先生の机の上の山の中にありました。
当然予測していたことです。私は丁寧にこれまでの事をお話し、先生の見解を録音させていただきました。それを文字に起こし、先生に読んで戴いて訂正して頂き、準備書面を作りました。教授室には何回通ったでしょうか。
京都大学の論文、そして岡井先生の準備書面、それが決定的になって、私は百パーセントの勝訴となりました。判決の日には沢山のマスコミの方が法廷にいて、もしもの時のためにコメントも用意していましたが、私が負けなかったので、全く報道されませんでした。控訴もなく、何年もの裁判が終わって、本当に開放されました。
地方の私に力を下さった岡井先生には心から感謝しています。
それにしても、この度の訃報で初めて知りました。岡井先生が私と同じ年だったとは。すごい業績でしたので、もっと年上かと思っていました。産婦人科界とって、もう少し長くいて活躍して頂きたい大切な先生でした。合掌。
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