山代巴さんの「この世界の片隅で」の点訳本
私のフェイスブックのお友達にK.I.さんと言われる方がいらっしゃいます。K.I.さんは、沖縄在住ですが、広島に来て大橋和子さんに会ってお話を聞き、その時に頂いた大橋さんの手記をご本人の許可を得て、時間をかけてフェイスブックに紹介されました。それを読んで、被爆者の語りをそうして広めて頂くことに感動したものです。
そして、この度私のブログを読んだのがきっかけで山代巴さんの「この世界の片隅で」について書かれました。ご本人に、それを私のブログに転載させて頂きたいとお願いし、許可を得ましたので、ここに転載させて頂きます。フェイスブックだと、シェアという方法があるのですが、私のブログを読んで下さる方は、フェイスブックをされない方の方がうんと多いので、そうお願いしたのです。ただ、ご本人の希望で、フルネームを出さないでということでしたので、それが残念ではありますが。では、以下、転載させて頂きます。
「この世界の片隅で」(山代巴 著、岩波書店)をサピエにリクエストしていたのですが、昨日届きました。
この本は、河野美代子先生のブログで紹介されていた本で、河野先生のブログを読んで、私もこの本を読んでみたいと思ったのです。
1965年7月二十日出版の本。サピエに載っているかな、点訳されているのかなと思いながら検索したらありました。
広島の点字図書館にありました。すごい!
しかも本が届いてさらにびっくり!...
この点字本は、点訳完了が昭和40年11月一日でした。
かなり旧い本です。しかも、たぶん手書きで、点訳されてある。
たしか20年ちょっと前ぐらいからパソコン点訳と点字プリンターによる印刷になって、点訳を始めてから完了するまでのスピードが格段に速くなったし、プリントアウトもすごく早くなりました。
だけど、私が中学生(高校生ぐらいかな?)までは、盲学校の図書館にある本もほとんど手書きで、表紙も今のようなファイルじゃなくて、製本も手作りだったと思うんです。
でも、それが点訳してくださった方の暖かさが伝わってきて、私は好きでした。
久しぶりに昔の点訳、製本の本に出会って、とても懐かしく、嬉しく思いました。
「この世界の片隅で」(山代巴 著)は、1965年7月発行と書いてあります。
点字本は、4巻あって、4巻目の点訳終了年月日が昭和40年(1965年)11月一日とあったので、出版されてから3ヶ月と十日ぐらいで点訳が完成したことになるんです。
手書きでこれだけの日数で点訳したなんて、すごいです!
それを考えただけでも、どんなに一生懸命、いや、ひっしに点訳してくださったか伝わってきます。
点訳してくださった方は、視覚障害者の人たちにも原爆のことをもっと詳しく知ってほしい、早く伝えたいという思いで点訳してくださったんだろうなあと思いました。
たぶん、視覚障害者の中にも被爆の後遺症で苦しんでおられる方がいたかもしれない。今よりももっと情報が少なかった時代、原爆についても今よりも知られていなかったかもしれない。
そのような状況で、視覚障害者の人たちに点字で伝えたいと思って、こんなに短い日数で点訳が完了したのかな。
今から読み始めますが、読む前から本に触れてこのようなことを思いめぐらしました。
「この世界の片隅で」の内容ですが、河野先生のブログには次のような説明があります。
引用させていただきます。
山代さんの1965年に出版された「この世界の片隅で」には、大田洋子の作品にあるような原爆スラムと呼ばれた地域、福島町の被差別部落に住む被爆者、在日朝鮮人被爆者、胎内被爆による原爆小頭症、原爆により孤児となっ「原爆の子」、まだアメリカの統治下にある沖縄の被爆者などマイノリティーの立場の人たちのルポがこれでもかと出てきます。
☆ 私が投稿した記事の中で誤りの部分があったようなので、訂正します。
「私が中学生の頃(今から30年ぐらい前)までは、盲学校の図書室にある本は、ほとんどが手書きだった。」と書きましたが、手書きもあったと思いますが、機械による点訳もあったと思います。
教科書は機械での点訳だったと思うし…。
斯波さんがコメントで書いてくださったのには、「この頃の点訳は、多くがカニタイプという弘誓社ーぐぜいしゃせいの、機械部が横すべりするタイプでした。」とあったので、「ほとんどが手書き」というのは、私の記憶違いかもしれないです。
以上で転載は終わります。
私は、山代さんの「この世界の片隅で」が点字に翻訳されていることは全く知りませんでした。しかも、出版からたった三か月で翻訳が完成しているなんて。
被爆者の中には、もともと視覚障がいの方もいらっしたでしょう。その方たちのその後はどうだったのでしょう。また、被爆のやけどによってケロイドができてしまった人、白血病やがんで命を失った人のことは良く知られていますが、被爆によって視力を失った人もたくさんありました。原爆の爆風で眼球が飛び出してしまった人、また強い光で眼を焼かれてしまった人も。広島二中の「いしぶみ」の中にも出てきます。その方たちのことは、あまり語られていません。
この度のK.I.さんの投稿によって、改めてその方たちのことにも思いをはせました。K.I.さん、貴重な投稿、そして転載の許可、本当にありがとうございました。これからも、フェイスブック読ませて頂きますね。どうぞよろしくお願いします。
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コメント
なんか読みたい本の探し方を指南されているようで面白い。
投稿: 愛ちゃん | 2017年9月28日 (木) 11時38分