「8.6ヒロシマ平和の夕べ」⑩米澤鐵志さんのお話
「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の最終の発言は米澤鐵志さんでした。
米澤さんは、電車内ヒバクシャの数少ないサバイバーです。著書に「僕は満員電車で原爆を浴びた:11歳の少年が生き抜いたヒロシマ」があります。
この「8.6ヒロシマー平和の夕べ」の第一回の講演者であり、以後毎年この会に参加してくださっています。
米澤さんは、今京都在住。いつも多くの所から求められて証言活動をなさっています。
先日も、ある専門学校で証言したと。その時に、原爆の被災だけでなく、日本の加害の話もしたと。そしたら、学生さんたちから、日本がそんなひどいことをしたなんて、全く知らなかったと。拉致よりもひどいことをしていたのですね、と。戦争への道を突っ走ろうとしている今、この歴史をちゃんと伝えていかないといけない。
それらをちゃんと伝え続けたこの会を今後も続けてほしいと言われました。
米澤さんは、電車内ヒバクシャの数少ないサバイバーです。著書に「僕は満員電車で原爆を浴びた:11歳の少年が生き抜いたヒロシマ」があります。
この「8.6ヒロシマー平和の夕べ」の第一回の講演者であり、以後毎年この会に参加してくださっています。
米澤さんは、今京都在住。いつも多くの所から求められて証言活動をなさっています。
先日も、ある専門学校で証言したと。その時に、原爆の被災だけでなく、日本の加害の話もしたと。そしたら、学生さんたちから、日本がそんなひどいことをしたなんて、全く知らなかったと。拉致よりもひどいことをしていたのですね、と。戦争への道を突っ走ろうとしている今、この歴史をちゃんと伝えていかないといけない。
それらをちゃんと伝え続けたこの会を今後も続けてほしいと言われました。
私は、ありがたくてありがたくて。いろいろとあった今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」、この会に今年も米澤さんが参加してくださったこと、そして私たちを励ましてくださったこと。つい涙ぐんでしまって、最後の言葉も皆様ありがとうございましたとしか言えませんでした。
米澤さんは、翌8月7日、83歳のお誕生日を迎えられました。米澤さんと共にヒロシマで8月6日を送ることができたのは、本当に大きな喜びです。ありがとうございました。どうぞ、これからもますますお元気で、若い人たちに語ってあげてくださいませ。
来年も、いい企画をして米澤さんをお待ちしますね。私の大切なツーショットです。
米澤さんは、翌8月7日、83歳のお誕生日を迎えられました。米澤さんと共にヒロシマで8月6日を送ることができたのは、本当に大きな喜びです。ありがとうございました。どうぞ、これからもますますお元気で、若い人たちに語ってあげてくださいませ。
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