「8.6ヒロシマ平和の夕べ」これまでの経過⑤福島の日塔マキさん
今朝のこと、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について、ブログを一生懸命書いたのです。ところが、もう少しで終わりというときに、ぱあっとすべて消えてしまいました。新しいパソコンにして二回目です。もう、時間もなく、いつか書かなければで、こんな時間になってしまいました。とにかく忙しくて、ばたばたしっぱなしで。でも、これまで毎日欠かさず書いてきたものを、ここで挫折してしまうわけにはいきません。今もう今日ギリギリですが、少しでも、今朝書いたものを再現しようと思います。
2014年に福島のことを語ってくださった日塔マキさんには、2012年の初めに、福島からの保養に親子さんを迎えた時に知り合いました。彼女は独身でしたが、親子さんのサポートのために一緒に来ていました。
そして、2012年の8月にたくさんの女性を広島に連れてきてくださいました。皆さん、原発の事故による放射能で、いったい私たちはどうなるのかという不運を持っていました。結婚、妊娠、出産は?と。
その女性たちに、私は話しに行きました。私が若かったころに持った不安と彼女たちの不安が重なっていました。私自身の経験を通して、いろいろと伝えたいことがありました。
2014年に福島のことを語ってくださった日塔マキさんには、2012年の初めに、福島からの保養に親子さんを迎えた時に知り合いました。彼女は独身でしたが、親子さんのサポートのために一緒に来ていました。
そして、2012年の8月にたくさんの女性を広島に連れてきてくださいました。皆さん、原発の事故による放射能で、いったい私たちはどうなるのかという不運を持っていました。結婚、妊娠、出産は?と。
その女性たちに、私は話しに行きました。私が若かったころに持った不安と彼女たちの不安が重なっていました。私自身の経験を通して、いろいろと伝えたいことがありました。
そして、2013年、4人の若者が「8.6ヒロシマ平和の夕べ」で話して下さり、2014年には日塔マキさんにさらに福島の現状について話していただいたということです。
悩んでいた日塔さんが、2015年には、妊婦さんになっていました。うれしくて。
悩んでいた日塔さんが、2015年には、妊婦さんになっていました。うれしくて。
そして、今年の三月、赤ちゃんと一緒に会いました。
たくましいです。2012年の初めに福島から親子さんを保養に迎えて、その時に出会いました。それから、彼女の生きざまにすっと触れさせていただいています。きっとこれからも。そして、私自身が元気をもらい続けるだろうと思います。
『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。
| 固定リンク
コメント